静岡空港建設予定地の決定は、昭和62年5月に設置された空港建設検討専門委員会により県内全域化r候補地を絞り込み、最終的に浅羽、掛川、榛原の3カ所となり、同年12月16日、時の斉藤知事により「榛原(島田)」に決定された。
この年初当選したばかりの私も、伊藤武、市川重雄,川合猛中村昭雄といったそうそうたる先輩議員や浜松商工会議所会頭だった加藤輝隆氏などと共に、24時間開港が可能な「浅羽」誘致に向けて奔走したことを鮮明に覚えている。
国の第6次空港整備計画への採択が決まった平成平成6年度には、地権者同意取得事前説明会を199回開催、翌平成7年12月に、国に対して空港設置許可を申請した。
平成8年当時、最初は殆どの地権者が反対する中で用地交渉を開始、以後今日まで買収地権者との交渉・接触は約7、600回に及び、結果として98%の用地取得に至った。 平成10年3月から石川知事自らが残された4世帯の反対地権者宅を訪問して協力要請を行ったが拒絶され、その後も要請を行い続けてきた。
本年9月までの間に、未同意4世帯地権者宅への交渉・接触は450回余に及ぶが、こうしている内にも、1坪地主としての共有地権者は約350人、立木トラストいわゆる立木権利者が約1600人にふくれあがってしまった。
反対地権者側の言い分は、「(空港建設地を榛原に決定した)ボタンの掛け違いを認めること」、「空港建設工事をすべて中止すること」、「土地収用の申請はしないこと」の、3つの条件を飲まない限り、いっさいの話し合いには応じられないという頑なな態度を変えない。いったん話し合いのテ−ブルにつけば、孝次はストップせざるを得ず、話し合いが意図的に長引かされれば、工事の再開の糸口がなくなってしまうと考えられる。
知事からは、条件を課することのない話し合いをしたいが、話し合いの条件を調整してもいいという提言をしたと報告を受けたが、これも拒否されいるという。
県及び国における事業再評価を受けて、この5月には、知事から書簡を送り、9月には、知事が地権者宅を直接訪問したい旨の申し入れの書簡を送ったものの、地権者側からは「今後手紙、来訪等による話し合いについての依頼はやめるよう」返信があったとのこと。打ちたい手は閉ざされたまま膠着状態にある。
彼らの土地は計画面積全体の2%、その多くは山林と一部は茶畑で、林産物や茶の生産といった生業の割合は微少で、人家の移転等の生活権の侵害もない。
知事は、いよいよ伝家の宝刀を抜いた。今後は国土交通省の航空局と社会制度審議会を所管する同省総合政策局の手の内に入る。
あしか18年の歳月をかけ、98%の関係地権者の同意を得た事業がひっくり返るようなことがあるとすれば、今後公共事業は何もできなくなる恐れがあるのである。
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静岡空港と土地収用