現在の国、都道府県、市町村という行政の枠組みは、昭和28年の町村合併促進法、31年の新市町村建設促進法などに基づいて大合併が行われた後、既に50年を超える今日まで大きな変化はなかった。いや、50年といわず、現行の枠組みは、明治時代半ばからもう120年余にわたって維持されてきたものだ。
この一世紀余の間に、大きな戦争も経験し、国民所得や生活様式はもちろんのこと、時聞的距離、空間的距離が短縮され、また情報通信基盤や社会資本整備などの面で大きな変化があっても、地方自治体制度は変わってこなかった。
しかし今日のインタ−ネット社会の実現によって、住民参加の手法や形態が大きく変化を始めている。更に加えて、現在の国と地方の危機的財政状況が、合併による行財政のスケ−ルメリットと相対的なコスト削減効果を迫り、地方はそれに伴う新たな町づくりなどの施策が求められるとする背景が、市町村合併への追い風になっている。
平成の大合併に向け、最初に口火を切ったのは、平成12年7月、当時の森喜朗総理大臣だった。翌13年3月には、合併特例を盛り込んだ地方自治法一部改正案が閣議決定され、国会に提出された。
平成13年度から、国の交付税は、過疎町村などに対する段階補正などを廃止すると共に、各種の合併支援事業などを導入し、アメとムチの両面から地方自治体を揺さぶった効果は抜群だ。平成11年3月に全国に3,232あった市町村は、合併によりこの4月には1,820にまで収斂する。
さて、平成の大合併に際して、国が望んだ市町村合併は、少なくとも人口10万人規模の市・町を全国に約1,000ほどつくろうとするものだった。
そうしたことから、今後もそうした国の意向に沿って市町村合併が進めば、そうした基礎的自治体に都道府県の事務事業が大幅に移譲されていく。
結果、これまで国、都道府県、市町村という3層構造で行われてきた事務事業の見直しが必要になり、次は当然、都道府県の枠組みのあり方に目が向いていくことは避けられない。そこで、国の地方制度調査会は、古くて新しい間題としての「道州制」を持ち出した。
ただ具体的な例をあげれば、国の関与の限界はどこか、警察行政は道州が行うのか、基礎的自治体である市町が行うのかなど個別の事務事業についての事務事業の分権の範囲と責任、何よりも税財源の再配分のキチっとした仕組みが必要になる。国会議員や中央省庁の激しい低抗も予想される。
三位一体改革が各省庁の抵抗で骨抜きされたように、道州制も同様に、かけ声倒れに終わってしまい、何も大きく変わらなかったとなる恐れもある。
しかし、そうした課題はあるにしても、「道州制」が行き詰まりつつある中央集権制度を打破し、真の地方分権を確立するための重要な施策の一つであることは間違いないということである。
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道州制への課題