世界遺産条約は1972年のユネスコ総会で採択され、地球上に存在する文化遺産や自然遺産を損傷や破壊などから守り、人類全体の遺産として保存していくことを目的として1975年(昭和50年)に発効した。
日本は1992年(平成4年)9月に、第125番目の加盟国として同条約を締結するとともに、その翌5年には、「屋久島」と「白神産地」が自然遺産として「姫路城」と「法隆寺地域の仏教建造物」を文化遺産としてユネスコの登録を果たしている。
また一昨年は「紀伊山地の霊場と参詣道」が文化遺産に、昨年は「知床」が自然遺産として認められ、現在我が国は自然遺産3地域と、「白川郷合掌集落」や「原爆ド−ム」、「厳島神社」などの文化遺産10地域の、全部で13の地域が登録されている。
日本が世界に誇る富士山、この名は有史時代からいろいろ表記されてきたが、一般的な表記は「不二山」である。これは、諸国に比べようがない唯一無二の高い峰という意味であることに論を待たない。
また、万葉集には山辺赤人が「田子の浦ゆ、うち出でて見れば真白にぞ、不尽の高嶺に雪はふりける」と詠んでおり、そこには「不尽」と表記されている。これには山頂に雪が尽きない意味と、そのあまりの偉大さ、壮麗さに“尽きることなき”としたとする二説ある。
富士山を世界遺産にという運動は、条約を締結した1992年から開始され、1994年には246万人の署名を集め国会へ請願書を提出した。この時は丁度、羽田内閣の総辞職騒動の時と重なり保留とされてしまった。
しかし同年12月、静岡・山梨両県で構築する「富士山を考える会」による「世界遺産登録リストに載せるための富士山の保全対策について」との請願が国会で採択された。爾来、国際フォ−ラムの開催や「富士山憲章」の制定、両県と環境省を巻き込んだバイオトイレ整備などの各種の保護・保全活動が活発になっていく。
結果、「登山者による山小屋トイレからのし尿とトイレットペ−パ−のタレ流し」、「登山道脇のゴミの散乱」、「米軍演習による山腹への大量の弾薬撃ち込み」そして「富士山麓への産廃不法投棄」等の理由で、富士山の自然遺産候補地としての選定は見送られた経緯がある。
今年、中曽根元総理を会長にして「富士山を世界遺産にする国民会議」が設置され、ユネスコの登録に向けて運動が再スタ−トした。また、富士山の文化的価値を検証するため、本県が設置した第一回目の「富士山学術委員会」が去る23日に開催され、平成19年度中の国内におけるリストへの登載を目指していくことを確認しあった。
だが、所有権等に対する各種の法規制、廃棄物投棄やゴミ・し尿処理対策のさらなる徹底など、国内リスト登載に向けた道筋は決して平坦ではない。
世界文化遺産としての富士山は、そのユネスコ登録が究極の目的ではなく、登録が認められた場合は、国民が一体となって、その恒久的な保護と保存管理と監視という大きな義務を負うことになることを忘れてはならない。
|
|
5月 富士山を世界文化遺産に