9 伊勢湾へ
いよいよ長良川が揖斐川と一体化し、伊勢湾に流れ込みます。
長良川の右岸をどんどん、どんどん、下流へ向かって走って行くとついにこの写真のような場面に出ます。この写真の左側に見える川は長良川、右側に見える川は揖斐川です。つまり、この道は二つの川に挟まれているわけです。
前方の鉄橋は、東名阪自動車道という高速道路(とうめいはん、と読むと東名、名神を超えるとても長い高速道路のように思ってしまう。ひがしめいはん、と読むのです。)の鉄橋で、更に行くとJR関西線、近畿日本鉄道の鉄橋と続きます。この道はこれらの鉄橋ををくぐり、すぐその先で天下の国道1号線にT字型に繋がり、ついにこの道はなくなります。というか長良川の堤防がほとんど消失するわけです。と同時に長良川も終わるのですが、最後に最近有名になっている長良川河口堰がその先にあります。それで、長良川の全てが終わるわけです。
長良川河口堰は、長良川唯一のダムで色んな稚魚がここを通過することが難しいので、自然破壊になるなどと心配されています。元々、防災上の必要性から構築されたのですから、当然、そういう効果はあるのでしょうが、私のように、時々遊びに行くだけの人間から見れば、長良川が数少ないダムのない川であって欲しいという気持ちが強いことは否めません。でも、そこで暮らしている人から見れば、また、違った見方があると思いますから、あまり勝手なことも言えません。今から約200年前の1798年には大洪水で今の岐阜県笠松町から三重県桑名市までが一面泥海になってしまったという話を聞くと、のんきなことはいってられないのかな、とも思います。昭和35年の長良川の岐阜市芥見での氾濫も知っていますから。
もっとも、このこととは別に私が強く感じるのは、長良川に「つぼどん」がいなくなったという点です。「つぼどん」というのは、私が子供の頃の友達の名前ではなくて、一種の巻き貝の名前です。大きさは、2センチくらいの黒色をした巻き貝(タニシのようなもの、といっても私はあまりタニシは見たことがないから、現代人の多くの人もタニシのようなものと言っても分かりにくいと思います。サザエをグンと小さくしたような巻き貝です。)で、当時は、水の中にある石をひっくり返すと裏側にびっしりくっついていました。これをつぶして、餌にして魚を釣ってたものですが、今は全くいません。やはり、水が汚れたからでしょうか?それから、長良川の水量も減っていると思います。水量が減れば、単位水量当たりの汚れはよけい大きいことになるので、そのこともあって長良川の水も下流に来るに従って、あまり気軽に泳ぎたくない雰囲気になってきているのは残念です。
右の写真は、この辺りの長良川の写真です。海なのか川なのか分からないようなゆったりした水面になっています。そして、この辺りの川底は砂になっているはずなのですが、・・・・というのは、私が小学生の時に初めて、千本松原へ来たときに、ここで泳いだのですがその時に川底が砂だったので驚き、今でも覚えているわけです。・・・しかし、今は、濁っていて上からは川底が全く見えないので、砂かヘドロかは分かりません。少なくとも私はとても泳ぎたくないです。しかし、ウォータージェットのお兄さんと、そうだ、なかなかすてきなお姉さんの二人組もウォータージェットを乗り回していたから、それほど汚れてはいないのかも知れないけど、しかし、昔の白砂青松のイメージとは全く違いますね。
かくいう私も全重量で2屯にもなるようなRVを転がして、車内の冷房をがんがん効かせて、ここまで来ているのだから、それをさしおき、水が汚いとか、空気が汚れたとか言ってるのは、大きな矛盾がありますね。こんな私に誰がした?結局、みんなで渡ってここまで来たんだなあ。
もっと地球に優しい生活をしようとか言うんだけど、そんなことは自発的には不可能なので、結局、スローガンを言うことで自己満足して納得してしまう人が多いような気がします。現況を客観的に把握して、知恵と工夫で地球にかかる負担を軽くしていく方法を見つけていくことしか現実に可能な手段はないような気がしますが、「知恵と工夫」でならまだしも、これを「科学技術」でと単に言い換えるだけで、拒否反応を起こす人が結構多いような気がするのは非常に残念です。日本の最も有効な資源となりうる「知恵と工夫」の振興が 行政改革の波の間で沈没してしまいそうなのは、次代を担う若い人たちの「知恵と工夫」離れをさらに加速するような気がして、残念でたまらない、今日このごろです。
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