7 木曽三川公園のうち千本松原付近
木曽三川とは、長良川、木曽川、揖斐川の3つを言います。この3つは、伊勢湾に注ぎ込んでいますが、注ぎ込む直前あたりで3つの流れがきわめて接近し、揖斐川と長良川は合流します。当然、この辺りは昔から深刻な水害に見舞われてきており、江戸時代には幕府はこの地域の堤防作りを薩摩藩に命じています。薩摩藩は莫大な経費をかけて堤防を作り上げ、地域の人は大いに助かったのですが、薩摩藩の責任者は多大な経費を費やさざるを得なかったことについて、責任をとって切腹しました。ここには、切腹した平田ゆきえをまつった神社があります。平田ゆきえ さんだけでなく、薩摩藩は多くの藩士をここで失っていますが、その最初に亡くなった人は腰のもので怪我をして亡くなったという記録になっています。その本当のところはやはり何かに責任をとって切腹したということのようです
(薩摩義士についてのホームページ参照)。つまり、切腹をしたということになると、家の子郎党に悪い影響が及ぶので、腰のもので怪我をしたという記録にしているようなのですが、悪い影響が及ぶことが分かっていても切腹せざるを得なかったようなつらい事情あるいは、憤懣やるかたない事情があったのではないでしょうか。ここへ普請に来た薩摩藩の藩士947人のうち、53人が切腹し、33人が病気あるいは怪我で亡くなったということです。この普請は1年と少しという驚異的な速さで成し遂げられたのですが、そんな短期間にこんな大きな犠牲が払われたわけです。
すいません。ここは、まだ、良い写真がありません。千本松原付近になると河口に近いので、河床は石ではなく砂になります。そんな海に近い感じの写真を出したいと思ってるのですが、近日中に取材します。
代わりに水辺の書斎及び水辺のキッチンで憩う筆者の写真を載せます(そんなもの見たくない?)。遠慮しないでけっこうです。そうだ、水辺に面した裏庭の写真もお見せしよう。
水辺の書斎にてたたずむ
水辺の台所にて、しばし、来し方を反省し、行く末を構想する。
裏庭にて、秋の陽を浴びる家族
もちろん(?)、残念ながらこれらは筆者の家ではありません。木曽三川公園の中にある住宅展示場の中で撮った写真です。写真の中に見える水は揖斐川とつながっている水路です。ちなみに、私は今は、岐阜県各務原市に住んでいます。長良川と木曽川に挟まれた地域で、水と緑の豊かな町です。航空自衛隊の基地があり(ここの飛行場は現存する飛行場ではもっとも古いもので、大正5年に創設されたものである。)、科学技術庁の飛鳥という飛行機が開発されたことは、知る人ぞ知る町です。人参とサツマイモの産地であり、かかみがはら航空宇宙博物館(下の写真)があります。