「河原子夜雨」1947



「荒川の月」1929



「大和初瀬寺」1950



「小樽の波止場」1933



「新東京百景 芝大門の雪」1937



「浜町河岸」1925



「東京橋場渡黄昏景」小林清親 1876

2004.9.20

「逝きし世の面影」読了。面白かったです。建築に近いところではエドワード・モースがこの時代の人です。"Japanese Homes and Their Soroundings"は最近の訳が出ていますが、"Japan Day By Day"は昭和14年に創元社から出た石川欣二の抄訳が手許にあります。これはこれで時代の空気を知る上で面白い資料になるのですが、原書が欲しいなと思って調べてみました。b&nで見積もりを取ったらリプリントがなく、明治のものは$500位なのでお金がない私には手が出ません。

先日お話した、本書の良い挿絵になりそうな絵を御紹介します。川瀬巴水は最初江戸東京博物館のみやげもの売り場で見つけ、小林清親に似ているなという印象で絵葉書を買って来たものです。版元である渡邊木版美術画舗(http://www.hangasw.com/)に頼めば、他の版元から出たものも取り寄せてくれます。ウェブコレクションが充実しているのはLos Angeles County Museum of Artではないでしょうか。基になっているJuda collection というのは戦前デパートだったかをやっていて、機関投資家のハシリとなった、まあ「LAの富豪」という人の様であります。

初版の年代物は安ければ15万円くらいから、大方は50万から100万程になるので手が出ませんが、後摺りが手ごろな値段なので、設計した住宅の新築祝いなどに使おうかと思っています。肉筆画は近代的な文脈からすれば「作家」の「作品」ということになるでしょうが、刷り物はそうした近代芸術の軛からから自由で、刊行された時代の精神を観ることができる、というのも欧米で好まれる理由になっているのでしょう。オランダでレゾネがでているので、お勧めします。版元だと定価なので、b&nかamazonで買った方が安いかもしれない。多分$300くらい。

大正8年から昭和32年に至る800枚程の絵をめくってみると、これまでに言い尽くされた感のある「近代日本の二重構造」が絵となって眼前に浮かび上がって来ます。現在版行のもので好きなのは「河原子夜雨」「荒川の月」「大和初瀬寺」などの情景ですが、「小樽の波止場」など、1933年という年付けを見ると、大方この絵を壁に張って物思いに耽るインテリゲンチャ諸君も多かったのではないかと思います。

「越後郷本の落陽」という絵には浜辺にやぐらのようなものが組んであるので、問い合わせてみるとやはりここが日本石油の発祥地、ということでした。1937年には雪を蹴立てて芝大門を走り込む大形乗用車の図、なんてのも出されていて、江戸時代の瓦版宜しくジャーナリスティックな面もあります。ほとんどの絵では枠外に「昭和3年作」のように、版行年次が摺られているのに対し、「新東京百景 芝大門の雪」では良く見ると「昭和11年2月写」とあります。戦後に書かれたものですが、信州のどこか田園地帯の秋を汽車が走り過ぎるところを、山の上から見下ろした図があるのですが、同じような景色を、汽車を銃撃する米軍戦闘機の搭載カメラの画面で見たことがあるな、という感慨をよぶものもあります。

「浜町河岸」というのは1925年の絵で、後藤市長が国会で近代都市建設のための長広舌を振う頃には、川向こうには既に「火事と喧嘩は」なんとやらで、江戸時代と変わらぬ町並みが元通り出来上がっていた、という夏の暮れ六つ前の景色なのですが、版元が渡辺ではなく、今は千代紙を商う伊勢辰である所為もあってか、「双作版画会」と銘打ってあります。新式の「創作版画」への当て付けと同時に、小林清親の「東京橋場渡黄昏景」の向こうを張って、という心でしょう。

モースは横浜の港へ着き、日本への記念すべき「第一歩を記す」以前に、沖に停まった汽船から岸まで彼を運ぶ小舟が「ヘイ、ヘイ、チャ。ヘイ、ヘイ、チャ。」というかけ声を伴った人力による櫓を動力としているのを見て、驚きと共に近代以前の日本へのめり込んでゆきます。彼にとってこの国は化石エネルギーの利用を知らず、従って工芸品を始めとする全ての生活用品ははひとつづつ人間の手で作られ、その品質は近代工業の発達と共に欧米社会に溢れんばかりに拡がった蕪雑な工業製品とは比べ物にならぬほどの高水準を保っていると見えます。

モースが目を見張ったような「人の手の力」を、現代の我々が実感出来る分野の一つにアニメーションがあるでしょう。ディズニーが手書きの絵を動かしてみせた時には、我々は驚嘆したのですが、その後のディズニー作品を見ると、それらは近代的な商品価値を伴うディズニー「作品」に他ならず、その制作過程は近代的な商品生産のための単純労働の集積でしかないことが見て取れます。従って制作現場はメキシコから台湾へと安価な労働力を求めて移動し、それにつれて一枚一枚の「絵の力」も低下して来たことがありありと見えます。最近では「人間よりもコンピュータにやらせた方が安上がりだ。」というわけで、コンピュータグラフィックスがしだいに多用されるようになりましたが、どうみても絵の力が細くなる方へと進化している様見受けられます。

これと対照的に宮崎駿に代表される日本製のアニメーションは、江戸時代と同じく「職人の力」によって生み出されているような趣を感じます。アニメーションを作り上げている何千枚か何万枚の絵の一枚一枚が、近代的な商品生産のための単純労働としてではなく、「一枚の絵をきれいに書くことが出来た。」という職人的満足のうちにつくり出され、それが重なって一本のアニメーションとなっている、という姿を感じてしまいます。おそらくこのような制作システムは浮世絵の時代に完成されたものではないでしょうか。そこではコンピュータグラフィックスも単なる「職人の道具」として扱われているはずです。一人の芸術家の「個」としての営為が西洋近代的な商品価値を伴った「作品」としての芸術品を生み出す。というシステムとは異なった、多くの職人の力の上に幕府の御用絵師としての「狩野派」がある、といった美術品の制作システムの方が、アニメーションのような複雑多岐にわたる画像制作に向いているということではないでしょうか。日本人の「個」の営為としての絵画などが近代以降、世界水準に達していないのと対照的にも見えます。川瀬巴水の様な版画の世界はそうした「個」の営為ではなく、江戸時代から受け継がれた「職人の力」に基づくシステムで、近代日本という「浮き世」を描いているところに力があるのだと思います。

渡辺京二さんは「逝きし世」と「近代的自我」を対比させて結語としていましたが、都市あるいは土地利用という点からすれば、前近代的な「公」が地券発行と土地解放で崩壊し、その廃虚に無責任な行政機構が野放途に肥大化し続ける、というのが市井人民の認識ではないでしょうか。小淵さんだか森さんだかが始めた「都市再生本部」の看板であった森ビルが、回転ドアでヘマをして曝しものになり、大方の溜飲を下げさせた、というのはその辺りの事情だと思います。

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