2008.1.29

版元渡邊庄三郎のウェブページを覗いたら,巴水の後摺が16点程増えている。書籍なら「重版出来」などと喧伝するところだが,版画では何と言うのだろう。「昭和11年2月写」と記された「芝大門の雪」がある。「1928.3.15」を彷彿とさせる「小樽の波止場」同様、同時代を凝視める視線に応えたのであろう作品だ。

もう一点、目に留まるのは「不忍池の雨」。1945年3月10日に消失することになる、伊東忠太博士設計、1914年竣工の弁天堂天竜門が1929年の雨中に鎮座している。F森教授か誰かが「おそらく伊東忠太博士自身が最も気に入っていたであろう。」と評した作品だ。博士が設計途中で丁寧にスケッチを繰り返していた風鐸も、くっきりと描き込まれているのは、「名人は名人を識る」という訳だろう。私は骨董趣味でないので「東海道風景選集・品川」同様、後摺だけに人物の持つ傘の色のくっきりしているのが良い。

もっとも蝙蝠傘の時代とあっては「傘の色は「ぱんっ」としてなくっちゃね。」と言った所で、何のことか解らぬ人が増えてゆくのであろう。あれは「写真に撮ったらこう見えた」という色ではなくて、下ろしたての傘の中から外の光を透かして見ると、油紙がきれいに見える、というのを表現しているのだと思う。

400年から昔のルネサンス絵画の、当時の人が見たであろう色と、同じものかどうか解らぬ色を珍重する文化と違い、伊勢神宮の式年造営と同様、当時の人の目に映った初版と、同じ色合いを楽しむことが出来るのが、後摺のすばらしさであり、それを手元に置いて何十年か愛でている間に、自分の生活時間に重なって、色が褪せてくるのもまた愛おしい、というのが我が国における「サビの文化」だろう。

眺めていると「世界最終戦争」後のバブルで、「リベラリズム」と「デモクラシー」が宙を舞い、やがて「三国同盟」へと落ち込んでゆく時代の空気の匂いがする。「リベラリズム」も「デモクラシー」も、欧米工業国に於けるそれとは、似ても似つかないものであるのは、80年後の現在も変わらない。もっとも自由主義市場経済の荒波は、相変わらず高島易断の株式欄の如きを頼りに、「相場」に手を出す高齢者の足下を洗いつつあるようではある。

住宅設計の分野でも、関東大震災の復興のため、「…同潤会は,震災直後に国家主導で都市と住まいの復興を行う体制の最前線に位置づけられ,…」「…斬新なデモクラシーを体現した計画思想の現れである…」(「同潤会のアパートメントとその時代」佐藤滋・他/鹿島出版会/1998)というのがこの時代の普通の認識であって、住民の側から都市計画の素案を行政に持ち込む、という地区計画制度が機能し出すまでには、さらに80年近くを要したのだ。