2005.5.7



Themes Terrace Dockland, London


ロンドンのドックランド再開発地区を見に行ったことがあります。東京で言えばお台場か幕張、横浜で言うみなとみらいと同じく、都心の臨海再開発地域です。金融業を中心とした超高層ビル群をぬけるとテムズ川が一望出来る川沿いのテラスに出ます。最先端デザインの「イタリア料理店」があるので入ってみました。時間はずれなのでちゃんとしたものはなく、出来るのはピザくらいだというのです。変に高価なイタリアンワインなど飲みつつ待っていると、出てきたのは冷凍ものの不味そうなピザでした。しかも12インチなので食べきれません。包ませて外に出ると河岸の風は冷たかったのです。

駅に向かって歩くうち、ふと気付くと、どこからかカレーの匂いが漂って来ました。そういえばこのあたりは大英帝国海軍華やかなりし頃の、海軍造船所の跡地だったのを思い出しました。超高層ビジネス街の向こうには低所得者用の集合住宅が目隠しのように並んでおり、その向こうには、これまた大英帝国海軍華やかなりし頃からあまり変わらない、イーストエンドの貧民窟が広がっており、カレーの匂いはその辺りから風に乗って漂ってくるのでした。今を時めく臨海再開発の高級イタリア料理より、確実にうまそうで、惜しいことをしました。

五つ星のホテルで食べるフォアグラなどより、場末のエスニックレストランの安い料理の方が口に合っている私にとって、最近の浜松の風もなかなか魅力的なので、今日はその一端を御紹介しようと思います。もっとも食べ物は好き嫌いのものなので、人によっては私の趣味など「ゲテモノ」とお口に合わないこともあるかもしれないので御注意。


A: Groovy Gravy 池町

池町の法蘚寺の北側に"Groovy Gravy"という派手な色をしたカフェバ−が出来ました。マスターはバイクメーカーの現地テストクルーで世界各地を廻っているうち、オーストラリアの娘さんと結ばれ、浜松に帰って店を開くことにしたとのことです。

"Groovy Gravy"と称しているのにベジタリアン・メニューというのが何だか可笑しい。細君の弟と言うのも店を手伝っているそうで、スタッフの主義の統一が出来ていないのかもしれません。日本趣味の白人の皆さんには結構、豆腐などベジタリアン趣味の方が多いようで、先日も浅田のセイユーで「ブラウンライス、、」と叫び続け、店員を困らせている若者がいたので、「玄米をくれと言っている。」と教えてあげました。



B: Himalayan Food Store 池町


数軒南側にはヒマラヤンフードストアがあります。新川端から引越してきて、レストランも始めました。御主人はいかにも商人道に徹している、というネパ−ル人で、人種を問わず皆から信頼されているようです。ハラルフ−ズも色々と置いてあり、カレ−用スパイスも豊富。奥さんがインドネシア人とのことで、店先にそれらしい若者が何となくたむろしているのはきっと同郷の若者の面倒見が良いのでしょう。


C: Barrio Fiesta 連尺町

大安寺の上にはフィリピンレストランがあります。バブルの絶頂期には、もてないオヤジ連中が札束をバラまいてたであろうフィリピン「お色気」クラブも、最近はさっぱりの様で、一獲千金を夢見て日本にやってきた南国の娘達が暇を持て余してトランプなどしていたりします。

独立後59年も経つというのに未だに近代産業が充分な発展をせず、出稼ぎが国家財政を支えている、というのもスペイン・アメリカという2代400年余にわたる植民地支配の後遺症でしょう。自分の運命を自分で決められないという植民地の暮しが後に残すもっとも大きな傷は「私のせいじゃない。」という気質ではないでしょうか。

 ここの豚の空揚げは美味しい。聞くと元ダイバーだという日本人マスタ−がフィリピン人の奥さんに命ぜられてさんざん捜しまわった挙げ句、今では沖縄から皮付きの豚肉を仕入れているのだそうです。先日は鰹の刺身を御馳走になってしまいました。スパイス入りのビネガーと塩だけで、大きめのサイコロに切った鰹をタマネギと一緒にあえたもので、中々美味しい。




D: Safari Bar 千歳町

ザザシティー中央館から一本隔てた路地に、"Ausie Safari Bar"というのがあったので、のぞいてみたら大勢集まってパ−ティ−をやっていました。聞くと何のことはない閉店のサヨナラパ−ティ−とのこと。オ−ストラリア人、米国人、日本人と入り乱れて楽しくやっていました。

置いてあった雑誌にニ−ルヤングの写真がのっていたので、つい手に取ってみると、面白い記事が乗っていました。私は"After The Gold Rush"に入っている"Southern Man"という歌が気に入っているのですが、この歌の出来たいきさつが出ていたのです。バッファロースプリングフィールドがビーチボーイズ(!)の前座で南部に行った折、「髪の毛を切れ」てなわけでイージーライダー式の結末を迎えそうになったことがあり、ニールヤングが怒ってこの曲を作ったのだそうです。最近の彼はというと「南部人じゃなくて白人なのだね。こちらの方がはるかに大きい。」とのことで歌わないとのことです。

街を歩いていてお気に入りのミュ−ジシャンの裏話が拾える、なんてなかなか捨てたものではナイゾ。楽しい連中でサヨナラは残念だが、いずれ次の作戦があると言うので、続きを待てナノダ。

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