2007.7.20

先日ロサンゼルスで1970年代以来508人の子供にまたがっていたカトリックの偉いお坊さんと「性的虐待被害者」である原告とが和解に達したのだそうです。

先ず驚くのは賠償金総額がイチロー君の契約金の8倍であること。野球選手の契約金が100億と言うのでさえ、言語道断だと思うのに、子供にまたがったクソ坊主の為に800億の金が動くというのが「世も末じゃ」。それにしてもお金を集めるには信心に限るわけですね。原告団の中でも和解への意見が別れている様ですが、「この金があれば学校や公園に使えたものを、」というのが代表的な意見でしょう。端から見ていると今回アフガニスタンでタリバンに「あれは奉仕活動ではなく、宣教活動だ。」ということでしょうか、拉致された韓国のプロテスタント系教会奉仕団も、ノリは米国のメガチャーチと似ているようにも思えます。

しかしどうも、キリスト教というのは牧畜民族の宗教なので、セックスについてもどうかすると「家畜の繁殖管理」という地が見えてしまうことがあります。「そこの小羊ちゃんはこっちの小羊君にまたがってもらいなさい。」というわけです。キリスト教式の結婚式で、牧師様が「会衆の前で接吻しなさい。」というのをやりますが、あれは略式であり、ルネサンス時代の王侯貴族の結婚式では、もっと本格的に牧師様が繁殖管理をしていた、という話が塩野七生さんの「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」で紹介されています。

我国でも韓国からやって来たらしいキリスト教系新興宗教で教祖様が、子供にまたがったと、槍玉に上がることがあるのですが、どうもこれは牧畜民族の宗教の根本的な弱点であるようにも思えます。我国の神前結婚式では「私達、結婚します」と神様に報告するだけ、というのが筋書きですから、こちらのほうがエコロジカルな感じがします。

そこまで知ってか知らずか、キリスト教式の結婚式をやりたがる若者が多いのも困ったものです。浜松市内にも「ゴシック式」の教会を模した、結婚式場紹介業者の経営する「ニセ教会」がありますが、あれのネタになっているのは教会ではなく、ブリストルのテンプルミーズ駅ではないかと思われます。

西部鉄道を開発した鉄道技術者である、イサムバード・ブラネルの設計したこの建物は、「建築家でもないものが、あんなインチキ様式の駅を「ゴシック式」と僭称するのは、大英帝国の恥さらしだ。」と王立建築家協会からやっかみ半分の酷評を受けた建物、というのが建築史マメ知識です。テンプルミーズは「教会の牧草地」なので、我国で言えば「寺島」と言う語感でしょうか。「機関車トーマス」の作者、ウィルバート・オ−ドリィ師も西部鉄道沿いの教会の牧師の息子で、教会の裏を鉄道が通った、という子供の頃の思い出が作品の元になっている様です。

先日「従軍慰安婦を軍が強制した事実はない」「第二時大戦後、駐留軍も慰安婦を求めたではないか」と米国の新聞に意見広告を出して薮を突ついてしまった国会議員諸公その他有志も、どうせなら「教会の裏はヤブ」というのを突ついてみると面白かったのにとは思いますが、こちらはヘブライ教、キリスト教、イスラム教の間の「準決勝」が片付いてからの決勝戦、石原莞爾さん言うところの世界最終戦争なので、お楽しみはこれからナノダ。