2007.6.27
テレビを見ていると、したり顔で「森林資源を守る為に割箸の浪費は止めましょう。私は自分の箸を持ち歩いています。」とアホなことをおっしゃる方が相変わらず絶えない。これでは山林の手入れが出来ず、日本中の山が竹薮になる日も遠くはなさそうだ。我々のガキの頃には松茸山というものが全国至る所にあったのだが、これもガス風呂釜が普及して、じいさん山へ芝刈りに行かなくなったら、赤松林の下はシダにおおわれて松茸は絶滅してしまった。松茸はムレに弱いのだ。 明治の御一新で西洋式の分析的思考法が「新しい・進んだ・優れた」考え方だ、とされるまで、日本人の思考法は常に全体を視野に置いたうえで、部分的な問題の解決を考える、という最近のはやりコトバでいえばホリスティックなものであった。 自然と対面する場合にも、水には水の神様である「水神様」、風には風の神様である「風神様」があって、人間の考えの及ばないところがあるから、配慮を怠ると「バチがあたる」として自然に対する畏怖・感謝・尊崇があった。 人間が自然を征服したのが「歴史遺産」、征服しないで残しておいてやったのが「自然遺産」という西洋式の世界遺産の発想を10年掛かりでひっくり返して、人間と自然の共生という「複合遺産」のカテゴリーを加えたのは熊野古道など日本の世界遺産であった。日本人の信仰は古来、純粋な形での自然に対する畏怖・感謝・尊崇に基づいている。 これを「神道は祭天の古俗」とまとめたのが久米邦武であった。今ならさしずめ「神道はエコロジーの古俗」というところであろう。時是明治24年、廃仏毀釈の嵐の吹き荒れる中で久米センセイは「歴史と神話を混同するな」「日本人の信仰には故人崇拝無し」との声を上げた。これが路地裏の隠居か、半可通のマニアだったら事件にもならなかったのだが、なにせ久米センセイは東京帝国大学歴史学教授であったので、皇国史観の徒から総攻撃を食らって非職、国家神道による統治が加速された、というのが「久米事件」だ。
そして彼が選び採ったのは「近代の戦国時代」ともいうべき19世紀の欧州で、歴史の闇に消えつつある絶対王政であった。一神教というコマッタチャンを基盤に、法皇が世俗の王を定める、という18世紀までの欧州における国体のあり方が、近代日本の身の丈に合っている、というのが岩倉卿の結論であったろう。これを換骨奪胎して神道を日本の国教と定め、万世一系の天皇は神聖にして冒すべからず、というわけで近代の神国日本の礎が定まったのだ。 特命全権大使米欧回覧使節団の記録掛として岩倉卿に従い、この「神国日本の種仕掛け」を知悉していた久米センセイにとっては、仏徒として廃仏毀釈の嵐は我慢できるものではなく、ついにプッツンしてしまったのが「久米事件」の真相ではなかろうか。 「和をもって尊し」というより、「良鉄不作釘、良民不作兵」というわけで、「今度天朝様と公方様が戦争をやるんだってナー」と、現今の暴走族の立ち回りを見物するような気分で、戊戌戦争を眺めていた明治の一般大衆に「御国の為に死ぬのは良いことでアル。」と教え込むのはさぞかし大変なことであったろう。近隣諸国の前近代的な軍隊を簡単に蹴散らしてしまう圧倒的な近代装備と共に、「兵隊に行って生まれて始めて靴というものをはいた」というわけで、文明開化の恩恵が一般大衆にも実感出来ることは出来た。 しかし「軍隊に入って文明開化を実感しよう。」というだけではダメで、一般大衆の「命有ってのモノダネ」という「犬死」思想を払拭する為には「広瀬中佐」から後の「肉弾三勇士」に至る「軍神」の銅像が量産されなければならなかった。軍神でなくとも「兵隊に行って死ぬのは犬死にではない。」ということを目に見える形にしたものが靖国神社であった。それを真正面から「日本人の信仰には故人崇拝無し」とやっちまったもんだから、さぞかし風当たりが強かっただろう。 「文明開化」と「神国日本」と「富国強兵」をごちゃ混ぜにして狂奔する世相を見て、久米センセイは「神道というのはそんなものではなく、純粋な形での自然崇拝なのだ。」と明らかにしたのだ。「自然は人間によって征服されるべきもの」という西洋伝来の文明によって地球が破壊されつつある今、「神道は祭天の古俗」に立ち戻ることで日本の伝統が世界を救うことになるかも知れない。 |