1996.4


大韓民国馬山警察署○○派出所

実を言えば4年前、学生であった僕がいくつかの古建築を見て回ると称して始めてこの国に来たときにも、朝着いたその日の午後、釜山の山の中腹から、ずいぶんボサッとした風体でも有ったろうが、それと気付かずに派出所の真前の道端から釜山港の写真を撮ろうとして、軍事施設密写の疑いで「ちょっと来い。」と派出所に呼び込まれた事があった。

そのときには「何だ、日本人か。しょうがねえなあ。」という訳で、持っていた5円玉、10円玉、100円玉を半ば強制的に記念として差し上げただけで、5分間程で追い出されてしまった。今回は大韓警察の派出所を見学するには良いチャンスである。

門をくぐると地面から階段を数段上がったところに入口があり、入口の上には無窮花らしい花の上に丸く天地のシンボルの入ったプラスチックの看板が掛かっており、中の電球に照らされて明るく光っている。内部は6坪ほどの事務室になっていて、右側の白く塗られた壁に朴正煕さんの写真が掛けられており、その下に所長用らしいやや大きめのデスクが置かれている。後は普通の事務用デスク、事務用の細長いテーブル、パイプチェア、木製のベンチなどが置いてある。

我が李巡警はと見ると、正面に並んだデスクの左側に腰をおろして書き物をしている。その右側にはいかにも公務員と言う感じの制服が一人、暇そうな顔をして座っており、机の李巡警との間にライフルが一挺立てかけてある。左手のデスクでは女連れの若者と、40がらみのおっさんが話をしている。そして建物の外に3・4人、中にも1人、20歳位の迷彩服やら、黒づくめの作業服を着た正体不明の若者がたむろしている。

李巡警は僕を入口近くのパイプチェアに座らせると、元映画技師をデスクに呼んで話を聞きながらせっせと書類を造り続ける。が、途中でふと顔を上げると近くにいた迷彩服を呼んで何か言い付ける。迷彩服は外に出て行くと、しばらくしてコーラの大ビンと同じ大きさの「オランC」を持ってきて、僕の前にガラスのコップを置き、それに「オランC」を注いでくれる。それから左手の白っぽいジャンパーを着たおっさんのところへもコップを持って行く。

僕はこのおっさんは一体何物だろうとさっきから気になっているのだが、実に横柄に「オランC」を飲む。それに先程から若者に話をする態度からしてみると、どうやら私腹刑事の様なものであるらしい。そっと観察すると、事務的に取調べをするわけでもなく、「オメー、この非常時に何だと思ってんだ。エー?」といったような調子でさっきからだらだらとお説教をしているらしい。

相手の若者も半分ふて腐れた様な顔をしてぼそぼそと答えている。そのうち若者のとなりに座っている女の子の同僚らしい、チマ風パンタロン、チョゴリ風ブラウスの女の子が入ってくる。ひょっとすると彼女達は何処かの喫茶店の不良ウェイトレスか、本物の「夜の女」なのかも知れないと思う。おっさんは入ってきた女の子に何かとげとげしく言う。すると彼女も負けずにひとしきり言い返すが、結局は仲間のとなりに同じように頭をうなだれて、と言っても、しおらしく、と言うのでも無く、ふて腐れた様子で座ってしまう。説教する方も、される方も、いい加減中途半端に、半ば暇つぶしに付き合っているようにも見える。

我が李巡警は相変らず元映画技師から何か聞きながら、藁半紙をかぶらペンでガリガリとひっかいている。何となくたよりなさそうであるが、本人は至極真面目にやっている。さっきの迷彩服が「オランC」の入ったコップを下げに来る。

一体彼らにとってこうした仕事は公務なのか、そうでないのか判然としない。思いきり仕事をするチャンスもなければ、金もない、という有る意味では金英福氏や不良ウェイトレス、彼女達のヒモ氏(?)と同様な立場なのかも知れない。

そんなことを考えながら座っていると、今度はいかにも「偉いサン」という感じのでっぷりふとった酔っ払いが入ってくる。彼は胸をそびやかし、室内を見廻わすと、「何やらわけの解からんのはおいといて。」という様に僕を一瞥すると、女2人、男1人がおっさんに説教されている方へ行き、「取調中」のおっさんに何か言う。

おっさんは「そうだ、あんたからも少し言ってやってください。」と言う風にうなづいている。「偉いサン」は若者達の方に向き直るとえらく威嚇的にひとしきり演説をする。それが終わると李巡警の隣、さっきまで座っていた制服が夜警にでも出かけたらしい席に腰を下ろして李巡警のデスクを覗き込む。彼は困った人が来たもんだ、と言う様に、ちょっと顔を上げ、弱くほほえむと、すぐに書類に目を戻し、ますます懸命にガリガリと調書をひっかきはじめる。「偉いサン」の酔っ払いは「ふふん。」と頭を上げ、迷彩服の若者がデスクに置いたお茶をさもおいしそうにごくごくと飲み干した。彼が椅子に反り返ると所内は一時静かになって、李巡警のかぶらペンの音と、間を置いて繰り返される一門一答だけが聞こえてくる。

馬山は海沿いだし、初夏の天気の良い日なので、夜更けなのにそう寒さは感じられない。そのうち外から所長らしい人が帰ってくる。やはり「偉いサン」風にでっぷりとして、僕のことは電話ででも連絡を受けているらしく、李巡警にひとこと、ふたこと何か言うと、全くもって胡散臭いという面持ちでこちらをじろりと見る。

僕は大韓警察に善意ならざるものを持って、この派出所を「見物」に来たことまでバレてしまうのではないかと、ギョッとして、ピョコと頭を下げる。彼は怪しげなことには関わらぬ事にしているのだ、と言う様子で自分のデスクにどさっと座ると、そこから李巡警と元映画技師、それに僕を一わたり険悪な目付きで見渡してからデスクの上の書類に目を落とした。そのうち元映画技師が調書作成を終えたらしく、立ち上がると「今度はあんたの番だよ。」という風に李巡警の前の椅子を指した。李巡警は藁半紙の調書をもって所長のところへ行き、書類を見てもらっている。

所長は「そんな得体の知れないのは俺は知らんぞ。お前が処理しろ。」とでも言っているらしい。僕は用意してきた「6ヶ国語会話帳」「朝鮮語小辞典」パスポート、それにロングピースが半分残った箱と100円ライターを持って李巡警のデスクの前に座った。

彼が「パスポート・・・。」と言うのでそれを渡すとふむふむとしばらく開いて見るが、もう後が続かない。僕は会話帳を見ながら「カメラを盗られました。」と言ってみるが、そんなことはとっくに解かっていることだ。李巡警は元映画技師としばらく話をすると、どこかへ電話を2回程掛ける。元映画技師によると、近くに住む「日本語の解かる人」を呼ぶとのこと。

来るまで待とうとしてタバコの箱に手を延ばすと、左手の、若者と女の子をとっちめていた私服がそれをじっと見ているのに気が付いた。一本差し出して100円ライターで火を着けて差し上げる。「ほほう、日本のタバコですな。」という顔をしているので、「ロングピースです。ピドゥルギの絵が付いているでしょう。」と日本語で言ってみる。彼はなるほど、ピドゥルギねえ、という顔をしている。

それから我が李巡警にも一本進呈する。彼はさっき宿でも一本吸っており、悠然とそれをくゆらす。頃合を見計らってさっき元映画技師が調書を取られている間に1、税関盗難証明書2、カメラが借りられないか、等と書き付けておいたメモを見せた。李巡警はしばらくあまり浮かない顔で「ふむふむ、」と眺めてから、「・・・故郷・・・?」と聞く。僕はメモの下に日本地図を簡単に書いて印を付け、「私は建築士です。」「古建築見に来ました。」と言い、「海印寺、華厳寺、松廣寺、佛國寺、・・・」と知っている古寺の名前を片っ端から並べてみた。それもすぐに続かなくなって所内はまた静かになる。

日本語の解かる人

やっとの事で入り口にいかにもダンディーという身なりの中年男が現われた。入り際にちらりと僕を見ると、李巡警と言葉を交わしてから「やあどうも、少し飲んじゃったところですが、お役に立てますか。」と日本語で喋り始めた。

「僕は高校まで福岡だったんです。」という彼に、金英福氏に出会ってからのいきさつなどを話したのだが、話している間中、僕は彼の、酒に酔ってよけいにそうなのであろうが、変に腰の低い話し方に嫌悪を感じていた。

それまでに相対していた人達、旅人宿のおかみさんにせよ、その家族にせよ、大韓民国馬山警察署巡警李○○氏にせよ、あるいは派出所の中で僕に視線を向けた人達、そして有る意味では金英福氏もまた、僕に対するのに、いわば彼らの韓国的日常生活の中で対応していた。その人達にとって僕は「日本人」である前に「韓国語の解からないおかしなやつ」であり、もっと正確に言うならば、僕は「実は」日本人である前に一夜の部屋を借りた旅人宿の客であり、盗難に遭ったバカなやつ、あるいは盗難に遭うバカなやつであって、それが彼らにとっての僕の第一印象であったはずだ。

宿の近所の「日本語の解かるおばさん」にしても、彼女にとってのメインテーマは「日本語」ではなく、「近所の旅人宿に物盗りが出たので、ちょっと見物。」という気安い好奇心があった。そして狡い僕は、実際には僕が日本人であることによる、周囲の好意に満ちた扱い、日本で無数に張り巡らされた「韓国人お断り」という見えない壁そのままの裏返しみたいな好意まで、「カメラの盗難にあった可愛そうなやつ」という同情に紛れ込ませていた。

ところが派出所の近くの飲み屋からでもやって来たらしいこの「日本語の解かる人」と僕の間には、僕が日本語しか喋れないということのほかには日常的な結び付きがなかった。そしてその彼から僕は、ただ言葉の解からないものを助けてやる。と言う「優しさ」とは違う、理由の付けられない「へりくだり」の様なものを感じてしまっていた。

よく時代劇に出てくる「お願いしますよ、ねえダンナ」と言うときのうす笑いみたいなものが身体にべっとりとついてくるようで気持ちが悪かった。ふと馬山輸出自由地域の日系メッキ工場で日本人に向けられる日本語もこの類なのではなかろうかと気付いた。そこにはさっきまでの表面的な日常性に隠れていた韓国語の喋れない日本人と、それを取り巻く韓国人という現実がいきなり壁となって現われていた。

経緯を話す、と言っても僕のカメラを取り戻すための、捜査の参考にするというより、調書をちゃんと作成するためという様子で話は進んでいった。そこだけ覚えた単語を使ったため、そんな行動が街角で定職もなくごろごろしているこの国の僕と同年配の「パーボ」そのものに聞こえたのか、「それからタバンに入ってコッピを飲んで・・・。」と言って回りにいた数人の失笑を買ったことは既に書いた。

話して行くと「日本語の解かる人」はいきなり「その旅人宿というのも泥棒の仲間じゃないのかねえ、」と言うので、僕は唖然としてしまい、なるほど人を疑うというのはこういうことかと感心してしまった。「そんなことは気付きもしなかったし、現に心配してくれて、今もここにこうして派出所まで付いて来てくれているのだからそんなはずは無い。」と言っても、「日本語の解かる人」はなかなか納得してくれない。

なるほどこれでは近所のおばさんが「警察に届けると後が面倒だから。」と心配するのは無理もないし、カメラが出てくる事もありえないだろう。何だか宿にまで迷惑を掛けたような気がして、気が重くなった。李巡警は「日本語の解かる人」が時々喋るのを聞いては黙々と藁半紙をかぶらペンでひっかいて調書を作り上げ、最後に僕に藁半紙をよこしてそれにカメラとレンズの絵を書かせ、「明日10時に来い。」ということでその日の取調べは終わった。くたびれ果てた様子の元映画技師と並んで頭を下げて派出所を出て、人通りの少なくなった道を宿まで帰ると、午後11時半であった。

翌日、旅人宿のおかみさんと二人で派出所に出頭した僕はその日、一日を派出所と馬山警察署本署で過ごした。派出所の有様は昨夜と変わりなく、おかみさんはくたびれ果てた顔で帰っていった。

警察署のジープで本署に連れて行かれた僕は、道路から派出所よりもさらに数段高い階段を上がらなければ入れない馬山警察署本署でその日を過ごしたのだが、「日本国民である本旅券の所持人に、必要な援助、保護を与えられる様、関係の諸官に要請する」というパスポートの文面とは裏腹に、やったことと言えば、善良な旅人宿の一家が警察にいじめられるタネを提供したことと、自分の身に余分な責任が降り掛からず、一日職務に励んだという成果が上がれば申し分無い、という馬山警察署本署の担当官が実際の捜査には対して役に立ちそうにない、立派な調書を作成するお手伝いをしただけであった。

釜山税関をくぐり抜けるために必要な盗難証明書を手に、いかにもエリート然とした本署の若手刑事に見送られて馬山駅に向かうと、陽は西に傾いていた。

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