都市河川の再評価

都市河川の再評価
日本文化と川
浜松の歴史と川

ヨーロッパ、あるいは中国の都市景観を作り上げている大きな要素に城壁があります。これと対照的に我が国の都市には城壁がありません。その代わりに日本の都市景観を長い間作り上げてきたものに川の景観があります。歌舞伎の書き割でも良く出てくる川の景観は、近代以前の我が国の都市景観の代表的なものです。浪速の八百八橋に対する江戸の下町の中心もやはり、日本橋を中心とする川沿いのまちなみでした。

明治以降の我が国の近代化は余りにも急速であったが為、江戸時代の川のような産業・文化を通じて広く生活の背景となるような景観を作り出しませんでした。かちどき橋をメインゲートに据えた昭和15年の東京オリンピック計画以降、東京の川は長い間都市デザインの表舞台に現われることはありませんでした。

コンクリートで固められ、都市生活の潤いからは遠いところにあったかに見えた都市の川が最近、都市の環境資産として再び脚光を浴び初めています。東京都でも湾岸地域のオープンスペースの開発とならんで、佃島の再開発が「リバーサイドパーク」と名付けられたのを始め、日本IBM本社、聖路加病院再開発、などが大川の岸を変えつつあります。日本橋周辺の堀割を高速道路が埋めて行った時代の都市デザインとは違い、いずれも川そのものを環境要素の主役と考え、川面に浮かぶ姿を素に構想された開発です。

戦災復興の時代に被災建物の廃材捨場に使われて以来、都市開発のための遊休地として埋め立てられ、高速道路の敷地としてのみ考えられてきた東京の川が見直されたのは、戦後の急成長期が一段落し、都市機能の首都圏への外延化が進んでドーナツ化が始まり、都市集積の高度化だけではもはや都心の魅力を保てないことが明らかになったオイルショックの頃ではないでしょうか。欧米の都市を眺めると、都市の川が近代都市の景観にとってかけがえのない資産であり、いずれの都市においてもそれぞれの都市の魅力を作り出す絶好の舞台として活用されており、「都市景観の主役」であることが明らかになってきました。

しかし東京の川の魅力はこれにとどまらず、欧米の近代都市に見る川の魅力を遥かにしのぐ、川を都市の主役に据えた文化伝統が、長い時間を掛けて蓄積されていることに人々の関心が集まってきました。日本における近代産業にとって「遅れた場所・場末」として描かれた「キューポラのある街」の川ではなく、歌舞伎の舞台におけるのと同様、先端ファッションの背景として描かれる川が、このところのトレンディードラマに頻繁に登場するのがそうした意識を代表しています。