20130425

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宿場と城下











天引き峠を下りきった所が福住宿だ。篠山城下の河原町に倣って、宿場の古い建物を整備している。

篠山城下への観光客を、ここまで引き込もうという戦略があるのだろう。

福知山線沿いの高速道路が出来、R372も高規格のバイパスが整備されて行き、足で峠を越えて宿場に一泊、と言う時代ではない。かって宿場が持っていた機能を、どう組み替えて行くのだろう。

イタリアン・カフェなども見られるが、単に観光立地というだけでやっていけるのだろうか?







篠山日置から御城下までの海道筋。立派な家であらんとするエネルギーを感じる。





こちらは民家ではなく、川沿いの篠山藩の施設。年貢の河川舟運を管理していたのだろうか。







篠山城下河原町。昔の城下町の景観を整備して、観光を中心に地域を活性化しようと言う試みだ。

立派な商家が多い。日置・福住の景観修復もこちらがお手本となっている様だ。



武家屋敷周辺。



重役の家だろうか、茅葺きの長屋門も見られる。母屋の屋根は農家と同じ屋根だ。



篠山盆地周辺の伝統住宅の構えで、家の格を表すものの一つが塀の高さだろうか?東海道筋には見られない、高さ4−5尺の屋敷の中を覗き込むことの出来る塀もあった。こちらはかなり立派な塀だ。









路地裏を再び河原町へ。かなりの高密度市街地だ。







暮れ行く河原町。河原町の商家も幕藩時代の城下町という、経済構造が作り出したものだろう。

「謡練習所」のように、武家社会が必要として成り立っていた都市機能は、これからどうなるのだろう。

「藩御用達」という都市経済が成り立たない以上、都市機能の戦略の組み替えが必要なのではなかろうか。

観光による地域活性化と言うが、基盤となる経済構造が成り立たない以上、今の所観光資源となっている、幕藩時代の都市機能の残骸を維持するのは困難だろう。

それに追い討ちをかける様に「農業があれば農村は要らない」というTPPの経済理論によって、周辺農村部も荒廃が進めば、現在かろうじて残されている地域観光資源の維持管理は難しい。そんな意味で篠山は、現在日本縮図の様に見える。



福知山線篠山口駅前。鉄道開通で希望に満ちた時代もあっただろうが、福住に通じたと言う支線も廃線となり、夕陽に風が吹いていた。

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