やはり緊張しているらしくコーヒーを飲みたくなった。そのままフィッシュマーケットヘいってみる。気がついたら日本円しか持っていない。空港の銀行もまだ開いていなかったのだ。シーファーストバンクの漁港支店で両替が出来るか聞くと、出来るとのこと。100ドル札を数枚もらって、一枚を10ドル札に替えてもらった。フィッシュマーケットは水産業者がショッピングセンターにしたらしく、釣り道具や、服屋、レストランなどが並んでいるが、それらの間にはさまった肝腎な魚屋には、たいしてうまそうな魚は並んでいない。人気もなく閑散としている。



漁港にも市民が親しみを持てる様々な仕掛けが用意されている。


岸壁に出ると、ここにも捕れる魚の種類岸壁の歴史、ピュジェット湾近辺の漁業の歴史などのパネルが設置されてい漁港にも市民が親しみを持てるさまざまな仕掛けがされているる。中央にあるのは現在までの漁業関係の海難犠牲者の慰富裕と名前を記したプレートだった。

コーヒーショップに入るが、ここにも客らしいものは居らず、店の隅に近所の人といった感じの中年男が二人で話込んでいる。「コーヒーふたつ。」と言うと、足りないからとわざわざ入れ直してくれた。全を払おうとすると、79セントで良いとい う。「ニ杯分だぜ。」と言うと「いいの、サービスよ。」朝の暇つぶしか、余り観光客の来ないフイッシユマーケットにこれからも来てくれということか、何だかキツネにつままれたような気がした。

カウンターにいたお嬢さんはここの育ちらしく、フライを揚げ始めたコックよりもあたりの様子に詳しい。ボートハウスはどこに行けば見られるか聞くと、「レィクユニオンの西側にあるわ。」と教えてくれた。



モーターボーレイクユニオンのハウスボート。繋留権が規制されて、新しく建てられない。


レィクユニオン一帯はレジャーボート基地になっているが、西側一帯もモーターボート、ヨット販売、修理といった店が岸辺にびっしりと立ち並んでいて、それらにはさまれてボートハウスが浮かんでいる。桟橋の入り口にいた監理人に挨拶して見物してみる。アメリカ人流の「住まいはライフスタイルの表現だ。」というやり方がここでも徹底している。この桟橋では全体にラスティックな、手作り風の家が多く、「ステンドグラスの店」なんて看板を下げた家もあった。猫が日向ぼっこをしている。家鴨が泳いでいる。





柳の木は植木鉢もないのに何処から生えているのだろう。もっとも豪華モーターボートを繋いだ家などはそれらしく現代風のものもある。「中古ヨット、ト」の張り紙が我が国の不動産屋と同じようにべたべたと張り付けられた事務所で話を聞いてみる。かっては天下御免だったボートハウスも、現在では新規に繋留することは出来ず、現在あるものも、建替は出来るが売りに出されるのは極くたまだとのこと。新しいものではコンクリートの箱型フロートに乗せるものもあるようだが、この桟橋に繋がれたものは殆ど昔風に直径1メートルほどの丸太のいかだをベースにしていた。



湖の景観を求めて立ち並ぶ集合住宅。


ボートハウスが規制を受けている代わりに、このあたりの急傾斜地にも続々と今風のコンドミニアムが立ち差んでいる。岩盤の上ではあろうが、こんな急傾斜のところに大丈夫だろうかと人ごとながら心配になってしまう。





車をレイクユニオン沿いにころがして行くと、帆船のマストが見えてきた。見物とばかり車を突っ込むと、あれ、おかしい、ここはとなりの建物だ。「海軍施設」なんて看板が掛かっている。田舎ものよろしく車の通りの激しい道を左折一左折一左折とやっとのことで「シアトル木造船博物館」に車を入れた。

遠くからみえた船は19世紀の材木運搬船だとのこと、隣では木製の手漕ぎボートの修理をしている。「ボート漕ぎ教室、毎日午後1時、3時」という張り紙もみえる。小学生などが特別授業で来るのかも知れない。木造のあずまやに市のデザイン委員会のプレートが飾られていた。



シアトル市デザイン委員会は木造船博物館に対し「イ吏える近隣デザイン」賞を贈ります。木造船博物館はそのあずまや、桟橋、水上ワークショップ、博物館、ボートハウスとそれらの計画が歴史保存、文化、余暇利用に貢献するものであるとして選ばれました。