やっとのことでシアトル人の朝の時間が来たらしい、伝統を誇るブッシュホテルの部屋で、博打紙コップ入りのインスタントコーヒーをすすりながら、飛行機屋さんに(黙って)もらったナイフとフォークで夕べの無駄使いの後片付けをもそもそとやっていると、いかにも異国で旅をしているという実感があって楽しめてしまう。



チャイナタウンの古いホテルで夕べの食べ残しを朝食にする。


午前中はまだ夕べの酒が抜けないのと、時差ボケの続きとでぼーっとしている。近所を散歩し、市役所の都市計画課を覗いてみようとしたが、どこだったか場所がわからなくなってしまった。土木の事務室らしい所で聞いてみたら、「ベルビューに移った。」とのこと。見つからないわけだ。続いて仕事先の事務所に寄り、「来週来るから、」と打ち合わせの依頼をした。

昨日聞いておいた、マッキントッシュを使っているという設計事務所をウエストシアトルに尋ねる。小さな事務室にコンピュータをぎっしりと詰め込んで商業建築の設計などをこなしているという。建築計画案のコンピュータアニメ化などと言うと、やはり金が掛かるなあ。というのが実感だった。30過ぎに見えるベリー ヤマシタ氏は日系だというので、「日本語は?」と聞くと「ダメです」。それにもかかわらず、畳の上に45分は座れるというから、立派なものだ。剣道かなにかやってるのかも知れない。



スポケーンストリートの高速入口。


いよいよカリフォルニアに向けてインターステートハイウェイ5号線に乗ろうとしたら、スポケーンストリートの交差点で迷ってしまった。ここは高速道路が十字路になっていて、それに一般道路の立体交差とシアトル港のコンテナ基地に行く高速の支線がからみ、挙げ句の果てには鉄道線路まで入り乱れるという難所である。前にも一度降りそこなってシアトル・タコマ空港まで走ってしまったことがあった。今回は遂にその、挙げ句の果ての「開かずの踏切」にまで捕まってしまった。やっとのことで西海岸を縦断する高速5号線南行きの本線に乗ることが出来た。



”R”の看板の立ったレニエビールの工場はその後Tully’sに買収されて”T”の看板が立っている。

GoogleStreetview


と思うのも束の間、次の危険が待っている。正面にレニェビー ルの工場があり、「うまそうな湯気が出ているなあ。」と見とれていると、良くて出目、悪くすれば出口と本線の分離帯に激突という運命が待っているのだ。何だかファミコングームもどきの運転をしながら、車は南に向かって走りだした。相変らずの細い雨が降っている。

オリンピアで5号線から101号線に入り、街に降りた。先ずは今宵の宿をとるためAAA(トリプルェイと読む。JAFようなもの)に向かう。日本のJAFと違い、AAAのオフィスは高速沿いに困らない程度に在る。私はJAFのお世話になったのは15年前に深夜の丸子でエンストを起こしたとき一回きりだが、アメリカに来る度にAAAに転がり込んではJAFの会員章を見せては用足しをしている。ガイドブックはタダ、地図もタダ、宿屋の予約もタダで割り引き付き等など、10日もドライブすればJAFの年間会費の元はとれる。