川沿いの海事博物館に入ってみると、キャプテングレイ展というのをやっていた。ちょうど200年前に、始めてコロンビア川を船で遡った人なのだそうだ。スペインとの鍔競り合いを演じた当時の船、先住民の住居などが大ホールに展示されていて、後は常設展示であった。
かっては盛んであったという鮭を中心とした水産業の歴史などに続いて、展示室を進んで行くと、第二次大戦当時の潜水艦の指令塔の実物が展示されていた。潜望鏡で屋外のコロンビア川を行き来する船が覗ける仕掛けになっている。対日戦で軍功を立てた艦なのだそうだ。同じ部屋には他にも駆逐艦の模型、大砲の砲弾、機関銃などがびっしりと並んでいる。街の名前を取った戦艦アストリアが、日本海軍に撃沈される様子も展示してある。「1941」という太平洋間戦時の西海岸の慌てぶり、ハッスルぶりを描いたビデオがあるが、思えばオレゴン州はかの風船爆弾の攻撃目標でもあった。
館内を一周して、おみやげを仕入れようと売店に乗り込んだ。絵本やら、Tシャツやら色々と揃っている。本棚を探していると、ちゃんと「風船爆弾」の本も置いてあった。う-む、これは、と思って手に取っていると、さっきからこちらをちらを気にしていたらしい、中年の紳士と目があってしまった。きちんと背広を着こなした60前くらいの人物である。太平洋戦争の本の棚の前から半ば敵意、半ば「得体の知れぬやつ」という胡散臭そうな視線が飛んできた。こんなときには善意で太刀打ちするに限る。
「日本から来たのですが。僕達もあなた方と同じように「真珠湾を忘れ」てはならないと思う。あなた方とは違う方法でね。」 というとすぐに打ち解けてしまった。
「戦争は昔の話だ。今じゃあ、アストリアを出る船もほとんど日本へ行くんだよ。」
街には入らず、海岸沿いにぐるりと外を回ってしまった。降り続ける細かな雨の中を、車が泥水をはねとばして行き交っている。それほど新しい建物が多くないのも事実だが、建て替えるときにも、まちなみのデザインコードを乱だすような建物を造らないので、落ち着いた、しっとりした街の景観が出来ている。
咽が乾いたのと、もう少し腹にいれておこうと、道端のデイリークイーンに入った。窓の外には雨のコロンビア河口が拡がっている。雨のせいか、街全体がどんよりした雰囲気だ。後ろの席にはでっぷりふとった若い男女が座っている。
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