疲れた身体がやっとこちらの時間に馴れてきたらしく、目が覚めると9時過ぎ。空はどんよりとした雲に覆われている。外に出てみるとコロンビア川の対岸はもやの切れ目に所々見える。外航型の貨物船が川の中ほどに錨を下ろしている。ルイスアンドクラークがここで冬を趙した時には、106日のうちで雨が降らなかったのは12日だけだったという。食パンにハムとソーセージを挟んだ、夕べと同じ食事をして、出発。



朝のアストリアの街

「グーニーズ」の映画のシーンもここで撮影されたそうだ。 


川沿いの海事博物館に入ってみると、キャプテングレイ展というのをやっていた。ちょうど200年前に、始めてコロンビア川を船で遡った人なのだそうだ。スペインとの鍔競り合いを演じた当時の船、先住民の住居などが大ホールに展示されていて、後は常設展示であった。

かっては盛んであったという鮭を中心とした水産業の歴史などに続いて、展示室を進んで行くと、第二次大戦当時の潜水艦の指令塔の実物が展示されていた。潜望鏡で屋外のコロンビア川を行き来する船が覗ける仕掛けになっている。対日戦で軍功を立てた艦なのだそうだ。同じ部屋には他にも駆逐艦の模型、大砲の砲弾、機関銃などがびっしりと並んでいる。街の名前を取った戦艦アストリアが、日本海軍に撃沈される様子も展示してある。「1941」という太平洋間戦時の西海岸の慌てぶり、ハッスルぶりを描いたビデオがあるが、思えばオレゴン州はかの風船爆弾の攻撃目標でもあった。

館内を一周して、おみやげを仕入れようと売店に乗り込んだ。絵本やら、Tシャツやら色々と揃っている。本棚を探していると、ちゃんと「風船爆弾」の本も置いてあった。う-む、これは、と思って手に取っていると、さっきからこちらをちらを気にしていたらしい、中年の紳士と目があってしまった。きちんと背広を着こなした60前くらいの人物である。太平洋戦争の本の棚の前から半ば敵意、半ば「得体の知れぬやつ」という胡散臭そうな視線が飛んできた。こんなときには善意で太刀打ちするに限る。

「日本から来たのですが。僕達もあなた方と同じように「真珠湾を忘れ」てはならないと思う。あなた方とは違う方法でね。」

というとすぐに打ち解けてしまった。

「戦争は昔の話だ。今じゃあ、アストリアを出る船もほとんど日本へ行くんだよ。」

街には入らず、海岸沿いにぐるりと外を回ってしまった。降り続ける細かな雨の中を、車が泥水をはねとばして行き交っている。それほど新しい建物が多くないのも事実だが、建て替えるときにも、まちなみのデザインコードを乱だすような建物を造らないので、落ち着いた、しっとりした街の景観が出来ている。

咽が乾いたのと、もう少し腹にいれておこうと、道端のデイリークイーンに入った。窓の外には雨のコロンビア河口が拡がっている。雨のせいか、街全体がどんよりした雰囲気だ。後ろの席にはでっぷりふとった若い男女が座っている。



街の食堂で朝食を取る


古びたコンクリートの橋を渡゜でてクラツオップ砦へ向かう。標識を見て角を曲がってから、だいぶ走ったのに、なかなか着かない、街はずれの農家の屋並がやがて途切れ、「材木積み出しトラックに注意」等という標識が目につくようになり、「本当にこの道でいいのかねえ、」と話していたら、やっと国立公園の看板に出会った。


クラツオップ砦



強風の中、雨混じりのオレゴンコースト


再現されている砦は、丸太造りの低い建物である。明かり取りの穴は小さく、こうして雨の降り続く秋の終りに見ると、現代人ではとても耐えられたものではないと思われる。 10月から3月まで雨の降り続く西海岸北部では、ヨーロッパと同様、人々が火を大切にするのがよく分かる。我が国の梅雨と違い、ここでは雨と言えば火がありさえすればしのげるものなのだ。クラツオップ砦でも隊長の席は巨大な暖炉の前である。

辺りには米松の森が拡がり、本の枝からも苔が垂れている。水辺に行くと、雨に濡れた草むらを況して、満潮のせいかコロンビア川の水が上がってきていた。日本の梅雨と違い、西海岸北部の冬の雨は、温かくすればしのげるなが救いだ.単に乗り込んでしばらくすれば、暖房で快適になってくる。

頭上にはどんよりと思い雨雲が居座っている。相変らず窓を雨が洗い、時折スピードを落さなくてはならないほど強くなる。ほとんどの車は昼間からヘッドライトを付けたままだ。地味な色をした単が横道から入ってきて、しばらく水煙を上げて僕達の前を走ると、また横道に消えて行く。すれ違うのも同じように無表情な乗用車や、丸太などを積んだ巨大なトレーラーで、キャンピングカーのようなものは見かけない。

右手、雲の下がかすかに頭の上よりは明るくなっていて、木立の切れ目に時折太平洋が見え隠れしている。さっき海事博物館の売店で買った「音楽的に望みのない人のためのハーモニカ」セットを開けてみる。教則本と、ホーナーのブルースハープとカセットが入っている。降りしきる雨の中を走り続ける車内に、下手なハーモニカが響く。その昔、幌馬車を連ねて同じ雨の中、旅を続けた移住者連もこうしてハーモニカで陰欝な雨をしのいだのではないか、そう思えばこれも「旅姿」でなかなか良い。と、自画自賛。


断崖絶壁。臺湾でいえば清水崖だ。



101号線沿い、ネハーレムの街。秋の雨に夏の名残が香る


ネハーレムというところで車を止め、コーヒーを飲んで用足しをした。オレゴンのこの辺りは夏だけの観光地、という趣の街が多い。それでも101号線沿いなので店は開いている。店先にも何となく夏の残り香の漂うような街であった。雨は弱くなるものの、降るともなく降っている。夏ならば若い女の子が集まりそうなコーヒーショップの店先に、秋の終り、ヘンナヲジサンが二人で一休みしていると、猫が馴れ付いてきた。


秋になると誰も食べ物をくれんから、腹が減るぞ。



夏の観光案内に混じって選挙のチラシ


壁にそれらしくワインコルクで造った伝言板にも夏が残っている。と思って見ていたら、そればかりでもないらしい。やたらに"No on 9" と書いてある。ははあ、選挙だな、と気がついた。


下水道管理事務所の隣が公衆便所。なるほど分かりやすい。



公共繋船桟橋。この通り汚水をきれいにしています、というプロモーションだ。


トイレがあるか聞くと、通りを少し行った先に公衆便所があるという。歩いてみると、なるほど立派な建物が一部公衆便所になっていた。何の建物かと思ってみれば、下水道管理事務所である。なるほどこれは分かりやすい。下水道事業の存在証明としてはこれ以上良い手はないだろう。アメリカ合衆国では公共事業もこうして妥当性を常に主張していないと、すぐに税金の無駄使いだとして、ヤリ王に揚げられてしまうのではないかと思われる。我が国のように「詳しいことは知らないけれど、行政府に任せておけば、税金もそう変なことにも使われないだろう。」などとは思ってもらえないのである。裏手には同じように公共桟橋が造ってあった。夏は販わうのだろうが、ひっそりとしてカモメが止っている。