それでもモーニングコールはちゃんと来て、空港に急ぐことにした。航空貨物基地に突っ込みそこなった上で、無事送迎用駐車場に駐車し、ゲートに向かうとちょうどぴったり到着時間だ。聞くとやはり西風の所為で到着が早まっているという。大方税関検査でも受けている頃合だと決めて、出て来るのを待った。

アジアからの便が4本程溜まっている。出発地毎にさまざまな人種が現われ、ゲートを出て散って行く。見比べてみると、日本人が一番のんびりした、おっとりした顔をしているようだ。やがてK君がやってきた。

101号線に出てダウンタウンに向かう。途中、戦後の開発であろう新開地の建売り住宅群がびっしりと高速脇の丘に貼り付いているのが見える。ちょうど下り新幹線で小田原の手前、右手の丘の上に見える、東急不動産の開発地と同じような光景だ。ただ、ここでは、もっとゆったりとしたまちづくりの間に挟まれているので、ちょうど関西地方の「文化住宅」のように見えてしまう。。



サウスサンフランシスコの「文化住宅」


さっきハイアットリージェンシーで、スコット君ではない、案内孫のお嬢さんに聞いたとおり4番街出目で101号線を降り、モスコーンセンター脇の駐車場に車を入れてしまった。サンフランシスコは交通渋滞で有名であり、ゴールデングートも出るのはタダ、入る車のみ有料となっているほどだ。相乗り用のダイアモンドレーンだけでなく、バス、地下鉄の公共交通機関に都市交通の根幹を移しつつある都市という印象を持っていて、ダウンタウン周辺は歩きとケーブルカーが一番だろうと考えていたのだ。

AAAのガイドブックにもサンフランシスコの交通規制はまことに厳しく、歩遠縁石のペイントにも駐車条件毎に5種類位あり、やたらに車を停めるとたちどころにレッカーで引っ張られる、と自家用車で見物するのは命掛け見たいなことが書いてあった。


サウスサンフランシスコのケーブルカーは、運賃収入で運営される訳ではない。


車を使わない楽しさを味わうためのものだ。




空港付近のバス路線図。ベイエリア全域がこの程度の密度でカバーされている。バスの運行も営利事業ではない。

観光都市にとっての公共交通と同様、市民生活の上でも自家用車を減らさなくては都市の未来はありえないと言うのが、サンフランシスコを中心とした南北100キロに渡るベイエリアの都市交通の未来像だ。

かって自動車交通の発展と共に整備された自動車道路は、住宅地域をベイエリア全域に拡散させ、快適な居住環境を提供して「郊外住宅」の夢を実現した。しかし、これは半面、ダウンタウンからの人口流出、それに伴う業務施設の郊外への拡散を引き起こした。

今やダウンタウン周辺は混じり合わない二つの街になりつつある。全融資本の資産としての自己運動を続ける閑散とした超高層街と、転出できない高齢化した住民、あるいは低所得者層を中心とした新規移住者が、空き家を次々と埋めて行く、そのまま放置したのでは決して良好とはいえない住宅地域だ。

確かにダウンタウンの金融街と称する地域には超高層が集中しているのだが、その地域は極く限られている。浜松でゾーン規制が提案されている中心市街地と較べても、さほど広いとは思えない。それを一歩外に出ると、5、6階建、つまり木造で建てられる限度の高さがまちなみを作っている。この辺りは、まだ自動車交通が現在ほど発達しなかった時代、1906年の地震のあとで現在のまちなみのデザインコードが形成された地域であろう。

そしてその外側にはサンタローザからサンノゼに至る南北100キロに渡り、緑と青空に恵まれた郊外住宅が拡がっている。この郊外住宅がダウンタウンとセットになって一つのメトロポリタンエリアとして機能するためには、深刻な都市交通問題が横だわっている。ペイエリアの住民にとってはサンタローザからサンノゼまでが一つの「ご町内」であり、そのどこにでも快適に移動することが保証されなければならない。郊外住宅の車庫から数分で高速道路に入れるだけの道10分以内に高速道路に乗れるところにしか住宅が建たない。



ベイアリアの高速道路
Multilane Controlled Access Highway
最高速度は一律55マイル
橋以外は全て無料

サンフランシスコ中心市街地のインターチェンジは一部省略。



上図と同じ縮尺の
東名高速道路
第二東名高速道路
高規格道路構想案。

有料であること、接続する街路が現況に近いものであれば、都市高速道路、都市間高速道路としては殆ど機能せず、市街地の渋滞を引き込むことなく、広域通過交通用道路として機能するだろう。

しかし、自動車専用道路を整備すればするほど市街地は拡散し、街路の渋滞が高速道路の出口付近にに移行するだけである。住宅敷地自体は戸当たり150坪程度であるが、道路面積、公園、などのオープンスペースが大きいので、市街地全体では戸当たり1,000坪以上という感じがする。

路網を整備することで、こうしたアメリカの都市生活は実現したかに見えた。しかし全ての市民が一台づつの車に乗り、望みの速度で望みの場所に移動することは実際には不可能であることがやがて明かになってきた。

I.M.ペイがミッションベイで超高層を中心とした副都心(といっても101号線を挟んでダウンタウンに隣接しているのだが)計画を建てたものが、10年がかりでツブされて、中層による再開発が進んでいるというのも、現場を見て納得できた。「郊外住宅」とダウンタウンを一つの街として織り上げ、未来への繁栄を計るには、超高層による業務集積ではなく、公共交通の整備による以外、死にかけた大都市を救う道はないというのがベイエリア住民の選んだ選択であった。カリフォルニアンは緑と青空のサンフランシスコを選んだのだ。

アメリカの選挙では、大統領選挙に伴って各種の議員、公選公職の選挙、さらに各種法案、条例業の住民投票が行なわれるが、今回の総選挙でもカリフォルニア州では公営交通に対する立法の為の住民投票が推進されていた。求められているのは

「公共事業による雇用増大と地域経済への貢献」
「大気汚染と交通渋滞の軽減」
「自家用車を利用しない層への税金の利益還元」


公共交通施策を求める選挙チラシ

 等であり、推進しているのは

 カリフォルニア州婦人有権者連盟
 カリフォルニア州商工会議所
 シエラクラブ
 カリフォルニア州労働連盟
 都市計画・自然保護連盟
 カリフォルニア州郡協会
 カリフォルニア州製造業者協会
 環境を良くする市民の会
 カリフォルニア州建設業賂会
 カリフォルニア州鉄道利用者協会
 カリフォルニア州自動車協会(AAA)
 南カリフォルニア自動車協会(AAA)
 カリフォルニア州交通委員会
 カリフォルニア州納税者協会

 とあった。

あとで考えてみると、浜松の感覚から言えば、サンフランシスコのダウンタウンには渋滞などどこにもなかった。ダウンタウンでもちょいと探せばパーキングメーターがいくらでもあって、道端に車は停め放題。少し歩くつもりなら一日中タダで駐車できる場所もいくらでも。という様子。アメリカ人が「車で走りやすい都市」と考えているものと、我が国の都市部における交通事情は、かなりかけ離れているのではなかろうかと実感せざるを得なかった。

そして表面に見られる自動車交通の混雑の程度だけではなく、都市の構造にとって望ましい交通の在り方が考えられていることが見て取れた。サンフランシスコの、特に歴史的な建物は車に乗って見るよりも、歩いて見たほうが楽しくなるよう仕組まれており、「車を放置しておくと、歴史的なまちなみに対して害にこそなれメリットはない。」という意識が徹底していることを感じさせた。

そのためにも「いかにしたら楽しく歩けるか。」に莫大なエネルギーが役人されている。ケーブルカーはサンフランシスコの名物として世界的に有名になり、それ自体が観光資産として重要な役割を果たしていることは言うまでもないが、これもどうしたら「歩いて楽しい街になるか」という大前提の下に機能していることに注目すべきであろう。

車を降りさえすれば、歩いて楽しいし、疲れたらいつでも楽しい仕掛けで次の目的地に連んでもらえる。というのがケーブルカーに象徴される公共交通システムのグランドデザインである。

一時日本でも流行した「ストリートファニチユア」にしても、誰もが自家用車を所有している時代に、都市がどのような交通システムのもとにあるべきか。という基本的な命題の上に在ってこそ存在意義がある。

というわけでヲジサン旅行団はオノボリサンに徹し、ケーブルカーに乗り込んでフィッシャマンズワーフに向かった。じつに坂が多い。そして40の丘と称する丘は、その多くが木造の中居建物で覆われている。フィッシャーマンズワーフの背景となる丘にも、ぽつりぽつりとひと昔前のスタイルの高層マンションがあるのだが、何となく恥ずかしげに建っているようで、時代遅れの雰囲気だ。


地形お構い無しに道が刻まれている。


ノースビーチの海事博物館。

タグボート?。


ゴールデンゲート橋より古い渡し船。

観光客に徹して楽しくふざけながらフィッシャーマンズワーフに到着。恥ずかしがってぶすっとした助教授を船の博物館の桟橋に連行した。昔ながらのロープエ揚が再現してあって、ちょっと覗いてみると、ロープを作っていたお年寄りが滔々と口上を始めてしまった。これは時間が掛かるぞ、と思い、後ろに人が立ち止ったを幸い、そこを逃げ出す。

ちょうど帆船が航海から帰ってきたところらしく、着替えの袋を担いだ小学生がぞろぞろと出てくる。へばった顔の小僧を捕まえて、

「どうだった。」と聞くと、

「もうだめ。」

と溜息を付いている。船を一通り見て海岸を歩く。朝霧が消えると、朝から照り付けている太陽が、高くなるにしたがって暑くなってくる。助教授は時差ボケの所為で干涸びかけたなまずのような顔をしている。

ジラデリースクエアはパスして、代わりに裏の海岸で丸く削れたレンガのカケラを伶う。水際の遊歩道は小さな岬を登るとフォートメイソンヘ下りて行く。丘の上の公園には軽装でジョギングをする人、草花をスケッチする人が観光客と交じりあっている。都心にあってもそうした公園の背景になるのは緑の多い低層の住宅地だ。花が咲き乱れ、空は青く、いかにもカリフォルニアという演出が成功している。


フォートメイソンの公園。住民と観光客が混じり合っている


戦時標準船「エレミア一オブラィエン」
リメンバーパールハーバーのシーズンであった。



フォート・メィソンには第二次大戦のリバティー船(戦時標準船)であるエレミア・オブラィエンが繋留されている。入り口には60年配の婦人が受付をしている。この船が建造された当時、若い娘であり、人生にとってこの船が特別な意味をもっているのだろうなと思う。

国指定の歴史記念物であるこの船も、実際の運営は国立リバティー船記念会が行なっているという。運営のためのボランティア参加を呼びかけるチラシも置いてあった。我々以外は殆ど年配の白人で、ご夫婦二人という見学者が多かった。毎年戦友会のようなものも開催されているようだ。

先程の桟橋でロープ造りの実演をしていた人もそうなのだが、この国の歴史記念物の展示では、どこに行っても高齢者のボランティアが主力部隊だ。歴史的な展示物の内容を実際に知っている人達が見学者に説明するのだから、これ以上のものはない。また、こうして歴史展示に参加することを生きがいにしている人には迫力がある。博物館の若手専門スタッフもこうしたボランテイアの人達を頼りにしている。高齢者の「生きがい」としても、金網の中で高齢者だけでひまつぶしをするという消費的なものでなく、「伝承」という高齢者の創造性、生産性をフルに活かすシステムであり、社会参加としても有意義であろう。

博物館の機能にはこうしたボランテイアを組織し、活躍のためのソフトウエアを整備することが、重要な役割となっていると想像される。展示施設、展示物の保守、管理等というハードウエアの手当てもそのための手段に過ぎないといえば言い過ぎであろうか。

歩き続けてくたびれ果て、腹も減ってきたのでタクシーを捕まえてフィッシャーマンズワーフに戻る。水際のいかにも観光地らしい作りの食堂に入り、イカ、平目、ムール貝などとビールを頼んだ。しばらく休んで腰を上げると、なおも道端の屋台で海老のカクテルを仕入れ、つまみながら見物。キャナリーのはずれで土産物のTシャツを買い込む。助教授はあきれたように軽蔑のまなざしで見ている。


1906年の地震の前後に形成されたデザインコード


選挙カーはケーブルカー。

坂を登り、チャイナタウンに来ると、独特の活気があり、それに選挙の騒ぎが混じっている。ケーブルカーを模したバスに乗り込んで販やかに黒人音楽をやりながらやって来るのは教育委員会の黒人委員候補らしい。歩道を歩いているとチャイナタウンの選挙キャンペーンに捕まってしまった。おじさんはどうも南方中国人に間違えられたらしい。

借地借家条例の改正案が出ているらしく、「年間の家賃上昇を4%に押さえると街はスラム街になってしまう。」などというチラシが散乱している。辺りの看板は漢字ばかり、聞こえてくるのも中国語である。選挙に際しても組織的な応援運動を繰り広げているようだ。