チャイナタウンに対してシアトルなどで見ても、日系人の主張は地味である。戦時強制収容の名誉回復がなされ、「日系」アメリカ人はアメリカ人になってしまったという言い方もあるようだ。しかし第二次大戦の折の強制移住と強制収容、戦後の拡散政策で日系人社会が破壊されてしまったことが重いのではないかと思われる。フィッシャーマンズワーフにも、戦前サンフランシスコで日系人の「ポテト王」が使っていた船の一部が提示されていたが、日系人の特に農業での成功は強制移住によって根絶やしにされた。戦前活躍した日系人の漁業に至っては、戦後も復活することはなかったという。強制移住は国防上の理由によって行なわれた。しかし、これを推進した内務省とは裏腹に、参謀本部、軍情報部、FBIの調査は、日系人を準戦時区域である西海岸に居住させることに危険性を認めなかった。

奇妙なことに、真珠湾攻撃に先だってまとめられたこの調査は終戦後まで公開されなかったという。また、戦時区域であるハワイの日系人が移住させられなかったのも事実である。こうしたことから強制移住、強制収容は間違いだっただけでなく、白人による日系人の農業経済権益の横領の為に行なわれたという主張も出てくる。しかし現在、日系人社会でも三世では白人との結婚が60%を占めているとのことで、「名誉回復」運動でも日系社会が広く運動に参加したのは、むしろ精神的なアイデンテイテイーを求めてであったそうだ。で。

などと、とりとめもないことを考えつつ「スシ食いに行こう。」とジャパンセンターに向かった。チャイナタウンに較べると、こじんまりしていて、こぎれいである。浜松のさる和尚に頼まれた”Zen Mind” という本を買いに本屋に寄る。カウンターで開いてみるが、アルバイトらしい日本人の女の子はヘンナヲジサンに驚いて逃げ出してしまった。



Zen Mind
Beginner’s Mind
Shunryuu Suzuki
1970,Weatherhill

スティーブ・ジョウブス君の様に、ヒッピーを卒業した若者の間で、曹洞宗が受け入れられるために力のあった名著。

鈴木俊隆老師は子供の頃、森町三倉の山奥から小学校へ通い「小坊主」とからかわれていたそうだ。


代わりに出てきたのは長髪をおさげにして道着のようなもの着、ぞうりを履いたオリエンタルヒッピーの生き残りみたいな男であった。どうも仏教徒も西海岸の方が過激派が多いようだ。禅の本、日系人の歴史、といった本を買って、横丁のスシ屋に腰を下ろした。亭主は伊豆、川奈の出だという。「最近は恥ずかしくて親元に置いて置けないような、ノータリンの遊学生が日本から押し寄せてきて困る。」とこぼす。ネタは白人経営の商社から仕人れるしかないとのこと。

日系の漁師が残っていれば、サンフランシスコのスシ屋ももっと肩身が広いだろうに。ビールから日本酒に切り替えて腹一杯詰め込む。3人で$44.15である。助教授に「144ドルだ。安いだろう。」と言うと、簡単 に信じ込んでしまう。

ハイアットリージェンシーに帰って助教授の部屋にキーをもらう。例のスコット君が店番をしている。部屋に集合してアトリウムに出撃することにする。助教授は例の体育会系の店に突っ込もうと言う。入ってみると、中は一昔前のいかにも西部の街の居酒屋という作りになっている。

オークの天井にオークのカウンター、店の隅にはスロットマシーンが置いてあり、大きな樽につまみのピーナツが山盛りになっている。床一面にピーナツの殼が散乱している。バックトウーザフユーチヤーIIIに出てくる1885年よりは少し新しい、1920年といったところだ。腰に拳銃を下げ、田舎庶りで「おい、酒だ。」と言わなくてはならないところだが、アジア人のヘンナヲジサンは特別室のカードキーを出して、もの静かに「ビール3つ」。

店の中はと見ると、スコット君の友達みたいなやつが「本日のNFL」を大型画面で見ていたり、すでに出来上がって、ハロウィーンの仮装をしたお嬢さんのしっぽに触ってふざけたりしている。店全体に若者特有の向こう見ずな雰囲気が漂っている。ビールをお代わりすると、向こう見ずな顔つきのバーテンが見事な手付きで後手にビールビンを放り、身体の回りを一周させてから泡も立てずに栓を抜いてくれる。

アルコールの回った頭ではとっさにチップを出すことが出来ない。しっぽを引っ張られたお嬢さんはきゃっきゃっと楽しそうに悲鳴を上げている。「明日は早目に出発。」ということにして店を出る。部屋に戻って、道端で買ったバーボンを注ぐが、全部は呑まないで消灯。