水際の遊歩道を歩き、広々とした芝生の中に建つ昔の税関を過ぎて水族館に向かう。現在はサンフランシスコからの日帰り観光地というのが地域の主要な性格となっていが、かってのモンタレーは缶詰原料としてのイワシ漁が盛んであり、西海岸最大の水揚げを記録するまでに栄えたのであるが、第二次大戦中に急激にさびれた。資源保護のため、12年間にわたって禁漁とされたイワシは1986年から操業を再開しているという。

水際の遊歩道はかって缶詰工場が軒を並べていた「キヤナリー・ロウ」(缶詰通り)に続く。現在ではかっての缶詰工場はホテル、食堂、土産物屋、などになっているのだが、「姿を変えて」ではなく、建物の外観、ペインテイング、等に昔の缶詰工場の面影そのまま残し、モントレーの「グッド・オールド・デイズ」を観光客にアピールし、地域の特色としているている。


キャナリー・ロウの海側遠景、古い水産加工場が観光目的に転用されて連なっている。


古い魚屑の貯蔵槽を利用したタウンスケーピング


例えば、魚屑の巨大な貯蔵槽の跡が海岸に残っていたりするが、内部に石で魚の形を作って観光客の目を楽しませている。

キャナリー・ロウ全体を観光目的に転換するためには、官民協同の各種の仕掛けが地区全体に施されている。例えば観光施設は海の景観を第一に考え、通りの海側に連なっているが、一部に公開空地をとって通りからの海の眺めを確保している。



カリフォルニア州法に基づく公開空地であることを示す境界プレート


ある敷地では施設の海側を公開空地に提供することで、レストラン、ホテルを両正面として計画している。観光の為の遊歩道のネットワークが街全体をカバーしているが、そこを歩くと、常に何かが目に入ってきて、一つの観光拠点から次の観光拠点に移動するために、「仕方なく」遊歩道を歩くということのないように様々な工夫が通り沿いにちりばめられている。


通りの海側に連なる建物の間にとられた公開空地


公開空地らしい扱いをすることで、建物は両正面をもてる。
「ご注文いただかなくてもお気軽にお座りください。」とある


通り沿いにもどうしても地域全体の用途にそぐわないものがあるらしいく、目隠し塀で道路沿いを囲ってあるが、これにも地元商店街の協力のもとに、モントレーの歴史を表す絵が描き連ねてある。更新建物もあるが、この地区のデザインコードである「缶詰工場」風の外観でデザインコーデイネートされる。


目隠し塀を逆に利用して、「キャナリー・ロウの歴史」を展示し、遊歩道ネットワークをそのまま博物館にしてしまう。


更新される建物も同じデザインコードにしたがって建てられる。宿泊施設、レストラン等であっても、外観だけは缶詰工場風のデザインだ。


公共桟橋から2km程で水族館につくが、水族館の建物も、缶詰工場の外観を再現したものになっていて、イワシをボイルした煙突、明かりとりの窓、「ポートラ印のイワシ缶」というペィンティングまで復元されている。内装も水族館の機能を満たしつつ、同じように質素な作りで仕上がっている。

水族館でもボランティアが活躍しており、ボランティア希望者のウエィティングリストが何ケ月分も溜まっているという。モントレー水族館のソフトウエアでもう一つ言及しておきたいのは、そもそもここに水族館が設置されるに至った経緯に一つの小説が絡んでいることである。


同じく缶詰工場風の外観を復元した水族館。 (public domain photo)


内装も古い工場を感じさせるロフトっぽい作り。


ジョン・スタインベックの「キャナリー・ロウ」がそれで、ここには1930年代のこの地区の有様が、生き生きと描き出されている。大恐慌後の、苦境にあったころの小説であり、芳しい話しばかりではないのだが、アメリカ人が等しく「海の暮らし」として思い浮かべることのできるエピソードなのであろう。小説に「ドク」として登場する生物学者、エド・リケッツは当時ここで「太平洋生物研究所」を実際に運営しいたということで、そのコレクションは水族館に収められている。



「キャナリー・ロウ」の翻訳は、かの福武書店から文庫で出ているのだが、良くない。本郷訛りの日本語になってしまっているのだ。

「先生」が本郷訛りなら、小僧どもも本郷座りの人と話すときの日本語になってしまっている。もし、エドリケッツがそんな人物であれば、小僧どもは「ドク」をあれほど大切にはしなかっただろう。

スタインベックが小説に書いたにしても、小僧どもと似たかよった復員兵に歓迎されはしなかっただろうし、ボストン訛りでしゃべる訳でもないアメリカ人が、行ったこともないキャナリー・ロウに愛着を抱くわけはなかっただろう。モントレー水族館が出来たにしても、もっとアカデミックな建物になったはずで、展示内容も「モントレーの海の生き物と遊ぶ方法」とはかけ離れたものになったのではあるまいか。と、つい考えてしまう。小説の翻訳は創作よりも難しそうだ。

「せっかく南国に来たのだから昼飯はメキシコ料理にしよう。」とレストランに乗り込むが、同じことを考えるサンフランシスコ周辺の観光客が群れをなしている。朝方はガランとしていた駐車場もカリフォルニアナンバーの自家用車でぎっしりと詰まっている。

気ぜわしいアジア人3人づれは「45分待ち」と宣告されて諦めてしまった。海の上に張り出したシーフードレストランに入る。桟橋の魚加工場でさっき見た様子からたいして期待していないので、シュリンプカクテルと生蛎以外はガーリックトーストとポテト・スキンにした。ン?ジャガイモの皮?これは結構美味かった。ビールがおいしい。

歩き疲れた所為もあるが、陽が高くなると結構暑い。来るときまではウインドブレーカとセーターとシャツを重ねていたのが、Tシャツだけになっても日陰でちょうど良い。サンフランシスコの気温は年間でも上下8.5度しか無いとのことで、春夏秋冬の替わりに朝昼晩夜があるのだそうだ。