モントレーのもう一つの観光資産はスペイン統治時代からの豊富な歴史的建築物である。 1822年のメキシコ独立後、1846年になってモントレーは北カリフォルニア最大の都市としてアメリカに併合された。

その後、ゴールドラッシュにより北カリフォルニアの中心はサンフランシスコに移ったが、鉄道の開通と共にカーメルに至る岬一帯が海沿いのリゾートとして繁栄した。それと共にそれまで残されていたメキシコ風のアドベの建物がひとつづつ取り壊され、レンガ、木造、コンクリートの建物にとって替わられるようになったが、ミッションリバイバルの流行もあってかなりのものは保存されたり、移築されたりすることとなった。個人所有のものも含まれるが、市民グループ、カリフォルニア州、最近ではナショナル・トラストの所有となるものも多い。

1960年代に入り、かっての税関の建物を中心とする再開発が考えられた。通過交通のためにトンネルが造られ、いくつかの歴史的建物を残し、45エーカーの土地がショッピングセンター、ホテル、レストラン、住宅のために取得されたが、ショッピングセンターのキーテナントが郊外に計画を変更し、現在ここは公園となっている。



モントレーの歴史的保存街区


イモの皮で腹を満たしたヲジサン違は、カリフォルニア州発祥の地であるというコルトンホールを中心とした歴史的保存街区に向かう。保存建築物が集中しているところで、「モントレー歴史公園」と呼ばれている。


旧税関付近のトンネル、正面の建物は保存建築物。左手は再開発による建物であるが、歴史的なデザインコードを使っている。


保存庭園で現代の子供が遊ぶ。地元の子か、貸自転車か?


歩行者専用道路にはTシャツにホットパンツの娘達が溢れ、ローラーボードの小僧どもがその間を縫って走る。先程までウエットスーツの若者がダイビングの練習をしていた海では、中学生くらいの子供達が水着で戯れている。確かに午前10時から午後2時までは夏のような日差しなので、心臓麻痺の恐れのある運動不足のヲジサンでなければ一年中泳げるだろう。

税関公園の再開発敷地にも道路際にその旨を記した案内標識を建てた保存建物が散在している。道路トンネルを作った結果できた公園隣接の敷地には新たに商店、レストラン、事務所などを入れた複合用途の建物が建っているが、隣接する保存建物のデザインコードを使って一体となるまちなみ景観を作っている。一軒の保存アドベは庭が付属しており、カーメル園芸クラブが当時の庭園を再現して公開しているということであった。

道端に観光バスが止り、ぞろぞろと観光客が降りてきたので、よく見ると、道路沿いのファサードを周辺の建物と同じようなスケールに小さく区切って大袈裟に見えないようにし、上塗のメキシコ風の塀で周りを囲んだ建物は観光ホテルであった。奥は結構大きいらしい。現代風の大袈裟な建物が道路に直接面していてはまちなみのデザインコードを壊してしまう、という配慮がされている。


歴史地区の新築ホテル。道路に面した部分は周辺と同じスケール、デザインコードでまちなみを造る。



モントレースタイルの典型だというラーキンハウス


コルトンホールを中心としたいくつかの街区は歴史的建築物が集まっており、群体として保存、整備が計られているのだが、中に一つ、倉庫のような造りのコンクリートの建物が挟がっており、「海事博物館」の標識が掲げられていた。取敢ず買収し、倉庫建築でも使える用途として、いささかロケーションは海から離れているものの海事博物館として使いつつ、景観保全のため、次の再整備をじっくり考えようというのであろう。

モントレースタイルの典型だというラーキンハウスの前には数人の観光客が待っており、 「今から見ないと今日はもう内部が見られませんよ。」と声をかけられた。

コルトンホールは広い芝生を前にした石積みの建物であり、何という名前か、南国風の古い、大きな樹が周りを取り囲んでいる。カリフォルニア州憲法が採択された最初の会議場であったという建物は博物館となるまでは学校、市役所、警察、裁判所等に使用されたという。憲法採択の議場が再現されていただけでなく、その後の学校時代の資料なども展示されていた。

ボランテイアであろう青年が「何だ、アジア系か。」という顔をしつつ資料のパンフレットをくれた。外に出ると、もうラーキンハウスには鍵がかけられている。通りの反対側がちょうど一軒分空いていて、周りをきれいに植え込みにした駐車場になっている。見るとパーキングメーターが立てられて、見学者用の駐車場になっていた。まちなみ整備にそぐわない建物を買収して取り除いた跡なのだろう。


群体保存地区の核となっているコルトンホール。



保存地域にそぐわない建物を取り除いた跡なのだろうか。パーキングメーターを並べて周囲を修景する。場所柄、便利である。他にも保存地域内に倉庫のような建物があったが、これは海事博物館になっていた。いずれ相応しい建物に変えられるのだろう。




歴史的庭園の保存があれば、歴史的食堂の保存、再現もあった。メキシコ時代の1841年に建てられた建物が取り壊しに会うところを「モントレー・ファウンデーション」の努力により州政府が取得、その保存管理のもとに食堂として使われているという。家賃で保存経費を捻出しようという部分もあるはずだ。メニューを見たところでは伝統的メキシコ料理といったものだった。



公共桟橋の駐車場へと戻る途中、質素な建物に”JACLE HALL”と言うプレートが掲げられていた。この辺りにも農業を中心とした日系人の歴史があるのだろうと思う。

駐車場は朝とはうって変わって観光客の自家用車でぎっしり詰まっていた。日曜日に来て、一日遊び、レストランで夕食をとってサンフランシスコヘ帰る。と言うスタイルなのだろう。僕達は一路サンフランシスコヘ戻ることにした。