先ほど見たJACLの建物からの連想で、カリフォルニアの農業の歴史に思いを馳せる。窓の外には日本と違い、見渡す限りに同じ作物が続いている。車を停めて何が植わっているか見ると、ブロッコリであったが、土がとても土とは思えない、アスファルトの粉の様なざらざらしたものだったのが気になった。単一連作・化学肥料・農薬という、奴隷制時代のままのプランテーションだ。



101号沿いの農地


ダウンタウンに近づくと、もう暗くなっていた。昨日ノブ・ヒルから見えたクラシックな高級ホテルに泊まるのもよいなと考えたのだが、一日目一杯遊んで疲れたのでもうそうしたところに押し入る元気がない。K君に英国風の訛りでしゃべらせれば謎の香港人くらいにはなれるのだが、時差ボケでもう車のシートにめり込んでしまっている。

K君は文系なので語学に強い。バスク語、カタロニア語などと細かく数えると10ケ国語以上をしゃべれるらしい。と言っても飲み屋で不自由しない程度と言う位で、学位をとろうと思うと日本語でも難ケしいようだ。訛りにも堪能で、メキシコに行ってマドリッド訛りのスペイン語を使ったりすると、完全に謎のアジア人である。ガッコの先生なので酔っ払ってえばろうとすると本郷訛りになるが、勤め先が埼玉なのでみっともない。

面倒クサイので再びノースピーチに乗り込んで、観光客になることにした。シェラトンがあったので、「えいっ」と駐車場に突っ込んだら、まだ受付を通っていないのに、宿泊客専用入り口だった。

二人部屋で120ドルだという。えらく高いが、くたびれているのでにこにことサインをしてカードキーをもらう。造りはハイウェイ沿いのモーテルを少し豪華にしたようなものだ。部屋までえらく遠い。部屋まで行くと、カードキーがうまく作動しない。ロビーまで戻り、黒人のベルボーイに頼むと、新しいキーをくれた。

ロビーには日本人観光の姿もちらほら見える。客待ちしていたタクシーの運転手は同年配の黒人だった。パウエル・カリフォルニアの交差点まで行けと言うと、物凄い勢いで坂道をとばす。まるでジェットコースターに乗っているようなものだ。「オレゴンで若いご婦人にカマを掘られた。」と言ったら大笑いした。

来る途中で見かけた第二越南海鮮酒家は中国系ヴェトナム料理である。客は日本料理屋よりもエスニックな感じだ。2/3がヴェトナム系アメリカ人、1/6がヴェトナム帰りのアメリカ人、残りの1/6が僕達のような迷い込んだ観光客といったところだろう。

生の牡蛎がおいしい。春巻もおいしい。ヴェトナムのビールはないのかというと青島ビールだというので、それにした。ナマズの壷焼きというのはちょうどウナギのカバ焼きと同じ味付けだった。

向こうのテーブルでは中年の白人が一人で食べている。席を立った後を見ると、そばと、春巻と魚の揚げ物など頼んで、どれも3/4位を食べ残してある。もったいないなと思い、こちらのテーブルを見ると御飯がたっぷり入ったおひつがテーブルに出ている。ナマズの壷焼きのタレをかけ て、残らず食ってやろうとしたがとても無理だ。全てに量が多いのだ。

ウエイターは家族、同族経営らしく、イキがぴったり合っている。きっと戦前の日系移民もこうしてアメリカでの暮らしをめたのだろうなと思う。ジャパンセンターのスシ屋よりさらに安く、3人で30ドルちょっと、観光客向きの店ならば、生牡蛎だけの値段だ。「桑港霜夜」をタクシーで帰り、ばたんきゆーで朝が来た。