再び101号線に乗って北に向かう。ムーアのシーランチ・コンドミニアムを見ようとペタルーマで101号線から降りた。街に入ってスタンドでガソリンを補給する。辺りを見ると、極くありふれた北カリフォルニアの街である。ここで高速を降りたのにはもうひとつ訳があった。

"Spilit in the sky"

という歌をご存じだろうか。1970年頃に流行ったフォークソングで、明るく、どことなく線の細い感じのする歌である。なぜかミリオンセラーになったが、歌っていた男は芸能人になるでもなく、売上を注ぎ込んで養鶏場を買い、その後は数枚のLPを出し、いつもは卵屋をやっているというものである。ちょうどそのころ僕達散人の建築学科の学生は、都市住民の手で部を育て、食べよう。という運動にかかわって、筑波山の麓で農場施設を手作りしていた。

"Spirit in the sky"
の後から出たLPには
"Rhode lsland Red"
なんて産卵品種の鶏の名前をタイトルにした歌などがあり、テーマソングみたいにしていたのだ。

その農場の所在地がここ、ペタルーマなのであった。ガススタンドのはずれにエアロスターかなんかを註めて、中を掃除している同年配くらいの「とうちゃん」が居り、塀の上に小学生くらいのガキが二人、脚をぷらぷらさせていた。


ペタルーマのガソリンスタンドにて。

「おい、いくつだ、」
「10才。」
「写真撮ってやるから、チーズって言え。」
「チーズ。」
¨Say CHEESE.¨

とうちやんに聞いてみた。
「昔さあ、¨Spirit in the sky ‥って歌があったの覚えてる?」
「う一んと、どんなんだっけ、¨~~~¨ってやつだな。」
「そう、そう、それ歌ってたのがここで卵屋やってるんだって。
 名前なんてったっけ。」
「何ってったかなあ、おもいだせね?な?。」
「そお、有難う。」

帰ってから物置のLPを引っ張りだしてやっとのことでノーマン・グリーンバウムの名前が出てきた。 ”Spirit in the sky”はだいぶ経ってから、探して買ってもらったレコードだった。当時はただ軽い、田舎の草いきれと鶏糞の匂いのする牧歌的なフォークソングだと思っていただけであった。それが今にして思えば、・’Spirit in the sky ‥のジヤケットも決して明るいだけのものではない。表側には彼の家族を、多分この辺りの野原で撮った写真が使われている。これが彼の帰ってきたところだ。そして裏返すと彼がどこから帰ってきたかが分かる。

近代建築が古い権威に対する異議申し立てから、圧倒的な力を誇る産業経済構造をかさに着た新しい権威に変わっ たのと同様、星条旗も旧世界から解き放たれて地上に理想の国を実現する旗印から、遠く離れたアジアの泥と、硝煙に汚れたものになっていた。グリーバウムにとって、星条旗の理想を守り続けるには、田舎の大地しかなかったのだ。あの頃僕達が軽い気持ちで聞いていた彼の歌は、実はもう少し重たいものであったのだ。





BACK HOME AGAIN
Spirit in the Sky
Norman Greenbaum

Up in the moming at six o’clock
 roosters crowin'
Since l been gone baby's leafned to talk'
 she didn't showing'
Back home again and everything is alright
Back home again and i'm feeling so good
 'cause rm back home again

Dog is chasin' the neighborhood cat'
 cat's a'hissin
Mary Lou in hcr favorite slacks with
 the button missin'
Back home again and everything is alright
Back home again and i'm feeling so good
 'cause l'm back home again

on the road with a Top Ten hit has
 been excltlng
But to home to my wife and kid is
 very mvltlng
Back home again and everything is alright
Back home again and i'm feeling so good
 'cause l'm back home again

スタンドの番をしているのは老夫婦であった。
「シーランチって知ってる?」
「シーランチ?」
「海っぱたにコンドミニアムがあるんだけどさあ、」
「湾の反対がわだな、そりゃ。」

地図を見てもよく分からない。それよりも、このまま101号線を進むと、オレゴンにはいってから、5号線に較べてだいぶ時間を取られるのが心配になってくる。

「諦めて5号線を少しでも北に詰めようよ。」


殆ど建築探訪を満たしていない河合君は絶句。しかし結局、東に向かうことにする。古い線路と踏切を渡って東に向かうが、街から東へ出る道が分からず、河合君が保育園の帰りらしいお母さんに道を間いて来た。何度か危ない運転をしつつ、何とか国道121号線にのることが出来た。田舎の国道である。見渡すかぎりのブドウ畑の間を丘を越えて進む。遠くに白い建物が見えてくる。

カリフォルニアワインの本場、ナパ・ヴァレーのど真ん中、高速29号線と国道12号線の交差点には、なんと日系のワイナリーが建っていた。

「何だか和風だな。」

などと言いつつ近づいてみると、どんどん和風になって行く、黒いスレート屋根に腰屋根を付けて、街道筋に良くある蕎麦屋のような建物だ。ただし規模は数十倍であろう。看板には漢字で大きく「白山」としてある。

ナパ・ヴァレーのど真ん中に当たる交差点の角は日系ワイナリーであったのだ。見取れてそのまましばらく走ってから、どうも白山交差点を左折しなくてはならなかったことに気付いた。ナパ・ヴァレーを抜けると、辺りは平らになってくる。サクラメント・ヴァレーと言うが、日本の感覚で谷と言うわけにはいかない。サクラメント平原である。

505号線から高速5号線に入った。しばらく走ってガスを入れようと外にでると、セイフウエイの開店に行き当たった。新しい店舗だけあって、今までになく巨大だ。ワインコーナーにはちゃんと日系カリフォルニアワインである、銘酒「白山」も並んでいる。惣菜コーナーには何と 中華料理が並んでいる。奥を覗くと中年の中国系らしいコックが大きなシャモジを振り回していた。


ショッピングモールの新装開店。


セイフウエイの新しい店舗。高さ2.1m位の巨大な棚に長さ50m程にわたってポテトチップスの類が並んでいた。ここにはアメリカ人の「大きなもの好き」が残っている。

炒飯と春巻を買って助手席で食べる。辺りの夕暮れがすっかり暗くなるころには、前後を走る車の雰囲気が今までとは少し変わってきたのに気がついた。巨大なトレーラーの類だけでなく、もっと小さな車に至るまで、遠くまで旅する「旅人」の匂いを感じさせるのだ。頑丈な作りをしたシヴォレーの小型トラックが多い。

ダットサンの1トントラックをひと周り大きくした感じなのだが、聞くと5トンは積めるとのことだ。そいつが単体で走っていたり、大小様々なキャンピング・トレーラーを引っ張っていたりする。乗用車も町場で走っているものよりも確実に平均年令が高い。そして汚れている。これは現代の幌馬車なのだ。」と気付かされた。多分若い連中は僕達のようにモーテルに泊まったりせず、交代で食事をしながら、ノンストップでどこまでも走ってしまうのだろう。

無理はせず、9時頃レデイングで降り、目についたレッドライオンに入る。駐車場は乗用車ばかりだが、ナンバーを見るとけっこう遠くのものもありそうだ。僕達の車と同じカナダナンバーも混じっていた。キャンピング・トレーラー付きのシヴォレーはこういうところでなく、専用の宿泊用パーキングに入るのだろう。車から出ると寒い。セーターの上にウイドブレーカをはおった。

朝靄が切れると晴れている。コーヒーを求めてロビーに出向くと、すでに高年の男女がそこここに旅立ちの支度をしている。州境まで100マイル、オレゴン州が300マイル、そこからさらに160マイルとなると、僕達ものんびりは出来ない。コーヒーをのむとすぐ出発した。




町を離れるとすぐに山が迫ってくる。ダムによる湖がいくつか有って、リクレーションゾーンになっている。今は木材の集積地になっているレデイングも、ゴールドラッシュで出来た町なのだそうだ。近くにはウキスキータウンというのもある。昔はずいぶん荒っぽい所だったのだろうと思う。

今の5号線は殆どオートクルーズで走るだけで、日本のように追い越しに生きるやつは殆どいない。丸太を積んだトレーラーが目に付きだすが、御当地の与作諸氏にしても皆おとなしいものだ。上半分が白くなったシャスタ山が見える。山道をくねりながら少しづつ高度が上がって行く。

州境まで行くと、道のすぐ近くまで雪が積もっていた。路面に「オレゴンヘようこそ」と書かれていたが、あっというまに通り過ぎてしまった。州境の峠が1,400m程であるから、それほど高いわけではない。少し見晴らしがよいところに来ると、遠くの方まで同じような山がうねっているのが見える。山の間の田舎町をいくつも過ぎてユージーンまで190マイルほどを、ただ走り続ける。与作族の巨大なトレーラーが多い。オレゴンに入ったのだから、大竹しのぶちゃんがいるはずだがと見ても、運転席の顔はあっというまに走り過ぎてしまう。5号線の降り口などには南の州境からのマイレッジが書かれるようになった。どこまで 走ったかが分かりやすい。