車を駐車場に入れ。ヴェントウーリがデザインした美術館を見に行く。昔の郵便局の改装である。「デザイン図面が不備で、莫大な予算超過をしいられる。」と原設計者、実施設計者、施工者、市当局が入り乱れて訴訟合戦を続けている建物でもある。これも「ヴェントウーりの建物ではなくて、シアトルの建物」というスタイルをして、まちなみに溶け込んでいる。
20年前、デザインとスタイリングの区別さえつかないままに、コルビジェ風、カーン風などと外国の建築写真を見ていた学生の僕達は、ヴェントウーりのエール大学数学科教室にいたって、「何だか訳の分からない建物だ。」と混乱してしまった。その延長がここにはあるのだが、街を歩いて、この建物に行き会うと、なじみがよく、心地良い感じがする。
仕事先での打ち合わせを終わり、またしてもレニエビールの湯気に見取れて急ハンドルを切りつつ、空港に向かう。河合君は「この調子じゃあ、ひと月あってもたいして見れないなあ。」と溜息をつく。
エイビスにレンタカーを放り込んで、ちり紙交換のダンボールをノースウエストのカウンターに持ち込み、一息つく。土産物屋はどれも高くて買うものがない。灰皿がないのでタバコも吸えない。
ぼーっと座っていると、やっと搭乗が始まった。どうせ空いているいるだろうから、横になって寝て行けるだろうと思ったのが間違いであった。中高年男女のアメリカ人団体客が僕達のYシートにどっと押し寄せてくる。
胸の名札を見るとAAAの中国観光団である。飛行機賃の安いこの時期に、気違いじみた物価の日本を避けて中国にくり込もうというわけだ。中年ヲジサン族は高年ヲバサン族に勝てるわけがない。
横の中央4列が開いているのを確かめて、毛布を取りのけ、誰か座っている様に見せたのだが、もう遅かった。向こうの端に怖そうな白人高年ヲバサンがどっかと座り、毛布などを使って陣地を作り始めた。こちらも実力行使に出るが勝ち目はない。
河合君はと見ると窓際の席で眠ったふりをする彼の目の前、通路側の肘掛けにはすでに高年ヲバサン族の巨大おしりが乗っていて、後ろの席のヲバサンとの話しに飽きるまでは動く様子がない。やれやれ、こういうのを災難というのだろう。
ビデオではバットマンをやっている。趣味の悪い、何がなんだか訳の分からない話だが現代アメリカ人が、全てに漠然とした不安を抱いていることだけは感じられる映画であった。
|