大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 8月 21日 (月)〜2000年 8月 27日 (日)] [CONTENTS]

2000年 8月 21日 (月) 晴れ、風あり。

 朝はやはり涼しい。
 朝食、ホットケーキ、じゃがいもとベーコンのバター炒め、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 午前中、郵便局に行き、切手を買ってトンボ鉛筆宛オセアニック・シャープの代金を送る。プランクトンにもろもろのチケット代を送金。
 MacのUSB printer sharing を試すべく、設定をする。午後、ボーランド大使館の外交官夫人であるミュージシャン宛書簡をこれを使ってプリント・アウト。無事使える。

 昼食、秋刀魚開き、大根味噌汁、南瓜煮付、たくあん、ご飯、ゆかり、野沢菜ちょい辛め。

 iBook用256MBメモリの値段を調べる。ソフマップはメモリは得意ではないようで、プリンストンのものが10万しているし、他のメモリの在庫を調べようとすると回線が混んでいる旨のメッセージが出る。秋葉館ではメーカー不明だが42,800円。ただし、備考欄に1.5inch という表記があり、これはアップルの説明ではiBookには使えないはず。Champ では品番からしてアドテックのものだと思うが、5万だ。もっともメモリの前に、やはり AppleCare に入っておいた方が良いだろう。アップルのサイトで調べると二年契約は44,000円也。

○Orkiestra P.W. SW. Mikolaj MUZYKA GOR (The Music of the Mountaisn); 1990?, cassette
 セント・ニコラス・オーケストラのファースト・アルバムに当るカセット。なるほど、従来のスラヴ系のルーツ音楽のイメージに連なる音楽。「重厚」なコーラスや重々しいテンポは、実際に曲が長かったりするわけではないが、「長大」の印象を受ける。クラシックの手法をお手本にしていることも明らかだ。いわば過去のしがらみや枠から何とか逃れでようともがいている、蛹の段階。この後、かれらは見事羽化して、華麗なる成虫として羽ばたいてゆくわけだ。蛹とはいえ、進むべき方向はすでにしっかりと捉えられているし、折りに触れて現われるユーモアのセンスもなかなか。すでに在庫がなくなり、カセットをダビングしたものなので音質は問えない。CD再発の計画があるというから期待しよう

 夕食、牛肉とピーマンの中華風炒め、かき卵スープ、ご飯、ゆかり。

 夜、メールを書いていて、ふと腕の汗がキーボードに染みこんだのではないかと疑う。iBookのパーム・レストは結構熱くなるので、それだけでも腕に汗をかく。
 アンディ・アーヴァインからファックスの返事のメール。やはり自分のヒーローから直接連絡をもらうと興奮する。

2000年 8月 22日 (火) 曇ときどき晴れ。気温はそれほど高くないが、湿度が高い。風がないのでよけいに暑く感じる。午後から風が出る。

 目覚ましが鳴る前になぜか目が覚める。子どもたちはぶつぶつ言いながらラジオ体操に出てゆく。それから眠れず、仕方なく8時に起床。

 朝食、ツナ・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 朝食後、郵便局にてポーランド大使館宛の郵便を投函してから車でひとり駅前に出る。図書館で『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国』と大渕憲一『攻撃と暴力』のリクエストを申込む。有隣堂で『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国』を捜すと二階の芸術書売場でみつかる。横長の結構大判の本。カラー図版、テキスト原稿からの抜粋、著者マクレガーの評論。文字組は横組みだが、原稿からの抜粋の翻訳と訳者あとがきは段落頭の一字下げがなされていない。著者の評論の部分の各段落は、3字ほど下げられている。それだけで買う気が失せる。借りるだけにしよう。それよりは来月刊行予定のアメリカでの本を買おう。

 テキストは予想通り、原則を外れた奔放なものらしい。叙述も一つの戦闘を微に入り細に穿ち数百頁も続けて描くような、普通の小説や物語とは全く別の書き方だと言う。句読法も独特。翻訳は相当に厄介、と言うよりはほとんど不可能に近いだろうと想像する。戦闘シーンや軍隊のモデルになっているのは南北戦争とその記録の由。

 くまざわ書店で栗本薫『試練のルノリア』早川文庫、柴田宵曲『団扇の画』岩波文庫、『本の雑誌』8月号を買う。「笹塚日記」がいよいよ単行本になるという広告。朝刊に晶文社からの新刊の広告が出ていたし、この号の「笹塚日記」を読むと、もう一冊別に単行本企画が進行中らしい。怒濤の目黒本新刊ラッシュだ。

 本を買ったのは駐車場代を浮かせるためだが、駐車場代600円、本の代金1,700円強。無印良品でメモの保存用の厚紙のバインダーを買う。本厚木駅前には無印良品の店が二つあったが、とうとうパルコ店に統一したようだ。ところが普通の縦長封筒を買おうとしたら取寄せだと言う。むしろ品数は減らしている。あるいは衣料品を増やしているのかもしれない。ビブレ地下でジュースを買って帰宅。

 柴田宵曲『団扇の画』の最初の一篇「月と人」を読む。月にあわれを覚えるのを日本や中国に固有の感覚として、その実例をいくつかあげている。月を西欧的・科学的探査の対象とすることに密かな嫌悪を覚えているらしい。明治以降入ってきた近代精神に対する江戸精神の反発という側面か。それにしてもあわれと覚える対象と科学的探査の対象は同居しないであろうか。アポロの着陸とともに、かぐや姫や兎や蟹など、月にいるとされた生き物たちが集まり、泣きながら消えてゆくというショートショートを昔読んだ。しかし、近代ヨーロッパ人にしても、角度は別ながら月に格別の想いを抱いていたと思う。ただ、かれらはその格別の想いに具体的な形を与えずにはおられず、ただ遠くから眺めているだけでは我慢できなかったのだ。

 このエッセイの中でも取上げられているシラノ・ド・ベルジュラックのように。ヨーロッパ精神とはおそらくそれだろう。現場に行こうとする志向性を持ち、実際に行ってしまう。われわれは遠くにあって眺め、それをきっかけとして、鏡としてそこに自らの心や感覚を映し、それで満足する。ヨーロッパが遥かアジアやアフリカに出かけてゆき、そこに植民地を築いたのはその同じ精神ないし精神の持つ志向性の故である。われわれは例えチャンスがあったとしても、おそらく出かけてゆくことはすまい。それはおそらく民族的特性というよりは、狭い地域に多数の民族・文化がせめぎ合うヨーロッパの空間的時間的条件から生まれたものではあるまいか。わが国でも似た条件が生まれた戦国時代には、海外に出て行っている。

 ところで、わが国の文人・教養人にとって漢学、すなわち中国人が何を考え、感じ、表現してきたかは重要な、時として他の全てを圧する大きな関心の的だが、朝鮮半島に住む人びとが何を考え、感じ、表現してきたかはほとんど顧られたことはない。少なくとも、その情報が中国文化に関する情報とならべて論じられるのを見た覚えはない。
 もちろんその意味ではヨーロッパといっても、第二次大戦まではフランス、英国、ドイツの文物であって、スペイン、イタリア、あるいは中・東欧、ロシア、北欧の文物は例外的存在を除けば無視されてきている。その弊は、例えばハプスブルク家の過小評価であり、ヨーロッパの多様性の軽視だ。

 明治以降第二次大戦まで、ヨーロッパは吸収すべき高い文化を持つ存在であり、吸収する相手が多様では困るのだ。できるかぎり単一の実体として捉える必要がある。その点では中国も同じだろう。中国もまた諸王朝によって相当にその文化の実体は異なっていたはずだ。単一の「中国文化」などというものは幻、あるいはヴァーチャルな概念であろう。

 『本の雑誌』のめぼしいところに目を通す。出版広告は真ん中のイエロー・ページに集中的に配置されている。それはそれで見識だが、やはりこの雑誌には邪魔だ。「笹塚日記」で目黒さんがいかにこんこんと説いても茶木は競馬には興味を示さなかったのに、茶木本人の「新刊めったくたガイド」では競馬の比喩を使っているのは笑える。

 昼食、丸干し、鰹のタレ付け、キャベツ若布、胡瓜味噌添え、ご飯。

 Amazon.comより Jose Saramago BLINDNESS (Ensaigo sobre a Cegueira)。Amazon.co.uk より Jonathan Raban FOREGIN LAND。

 文庫表紙の内容紹介で段落行頭の一字下げがなされていない問題。手元の文庫をチェックしてみると、ちくま学芸文庫(横組み・表4)、早川文庫(表4・横組み)、岩波現代文庫(表1折返し・縦組み)、いずれもなされていない。岩波文庫は表1にカットとともに横組みの内容紹介が入っていて、先頭行はカットにかかっているが、やはり一字下げはなされていないと見るべきだろう。

 いつ頃からこういう状態になったのか。俺が編集をやっていた頃はきちんと下げていたと記憶する。
 推理作協より会報。講談社文庫アンソロジー収録作品への作品自薦の依頼。会報には昨年度の収支決算が載っているが、意外につましい。もっと金持ちかと想っていた。出版物からの印税収入が減っている由。古沢さんが、挨拶を載せている。しっかり自分の翻訳作品の宣伝をされているのはさすが。

 夕食、茹で鶏肉の薬味胡麻だれかけ、大根の味噌汁、茹でグリーン・アスパラ、和布キャベツ残り、ご飯、鮪の角煮。

 夕食時、ザ・ディグ・Mさんから電話。次号原稿の依頼。締切9月2日。そう言えば『CDジャーナル』の原稿も書かねばならなかったはず。と思って依頼のメールを捜すがどこにも見当たらない。ひょっとするとiMacから移す過程で消えてしまったか。

 8時過ぎ、ヒデ坊から電話。アンディに送ったファックスの件。チケット発売の件を訊ねる。聞いた情報をすぐ各メーリング・リストとパブに上げる。

○Ceri Rhys Matthews & Jonathan Shorland PIBAU; Fflach: Trad, 1999
Ceri Rhys Matthews & Jonathan Shorland  ウェールズのパイプ二本による音楽。本当に二本のパイプだけで、それも片方はチャンターのみらしい。と言うよりも解説によるとボンバルドないしホーンパイプの由。もともとパイプのドローンは一本のようだ。はじめは地味に感じていたのだが、聞いてゆくにつれて、ひきこまれてゆく。特に変わったことをしているわけではなく、アレンジも凝ったものではないが、曲の良さか、テンポがちょうど良いのか、あるいはアレンジが単純ながらツボを押さえているのか。レパートリィとしてはハープとは違うようだが、フィドルとはどうだろう。じっくり聞き比べてみる価値はありそうだ。パイプ自体の音色はスコットランドのスモール・パイプやノーサンブリアン・スモール・パイプ、あるいはブルターニュのビニュウに近い。
2000年 8月 23日 (水) 曇。風なく、蒸暑し。

 目覚ましで7時起床。
 子どもたちはまたラジオ体操に出てゆく。

 8時、実家のばあさまから電話。おふくろが昨夜苦しみだし、急遽横浜総合病院に入院したとのこと。マリアンナが一杯だったせいらしい。胆嚢炎の疑い。Kが調べると、あざみ野からバスで入った病院とのこと。

 朝食、バナナ、ハム・トースト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース、昨夜の残りのグリーン・アスパラ(茹で)。

 朝一番で『CDジャーナル』の原稿を書き、送ってしまう。今回はアンディ・アーヴァインの新作 WAY OUT YONDER。

 昼食、昨日の鮪角煮の残り、ハムエッグ、キャベツの味噌汁、ご飯。

 MOJO8月号。Rufus Harley というジャズ・ハイランド・パイプ奏者の記事。こんな人がいたとはちぃとも知らなかった。こりゃあ、聞かねばなるまい。Traditional Crossroads からCD四枚。新譜ばかりだ。同封されていたチラシで、クレツマー〜イディッシュ音楽のCDが面白そうだ。アリシア・スヴィガルズは持っているが、それ以外の The Flying Bulgar Klezmer Band や Margot Leverett などは気になる。MSIからデ・ダナンの新譜のカセットと資料。

 2時に家を出て、中央林間経由であざみ野に出、タクシーで病院へ。あざみ野の駅周辺はずいぶん変わっている。途中に大規模な団地があるのは知らなかった。もっともこれは結構古そうだ。

 横浜総合病院は私立の病院で、中規模の総合病院らしい。おふくろの部屋は八人部屋で、隣の仕切りにはベッドがなく、ちょっと余裕があった。同室者は年輩の女性ばかりらしい。おふくろは点滴をつけて、ベッドの上に座り、ぼんやり外を見ていた。まだ、少し痛みは残っていて、それが消えるまでは何も食べられないので、お腹が空いたと嘆く。まあまあの顔色。一通りの経緯を聞く。検査の結果は胆嚢炎で、それも切るほどではないらしい。他には異常はない由。まずは安心する。

 病院の巡回バスであざみ野駅へ出て、まっすぐ銀座。伊東屋、松屋とまわるが、Zoom 707 はやはりない。伊東屋が新しいオリジナルのボールペンとシャープを出しているのにちょっと惹かれる。はしごの坦々麺と焼売で腹ごしらえ。王子ホールの場所を確認し、まだ開場していなかったので、念のため三越もチェック。ここは地下三階に生活関係の商品を置いている。普通の万年筆売り場もあるが、こんなんで売れるのかしらんと要らぬ心配をするほど。

 王子ホールは王子製紙の本社ビル二階にある。銀座通りから一本入ったところだが、普段来ないから、こんなところにこんなビルがあることすら知らなかった。ホールは300〜400ほど客数で、普段は完全にクラシックのためのホールだろう。きちんとしたバーもある。飲物が安い。まっとうなオレンジ・ジュース一杯300円で喉を潤す。北中さんと一緒になる。席も隣。

 ファンファーレ・チョカリーアのライヴだが、普段こういう音楽をあまり聞きそうにない人がチラホラ。ホールについている客かもしれない。一人3歳ぐらいの幼児を連れてきている夫婦がいた。この男の子は音楽に興奮したか、後半の途中で通路を走りまわる。それが結構音楽に合っている。ちょっと前に出していた俺の足に躓いてばったり倒れたが、泣くこともなくまた立上がって駆けだし、そのあとも元気に駆回っていた。

 このホールは普段は生音用だろうからPAといえるほどのものはない。ヴォーカルのスピーカーが天井に嵌めこまれた、普段はアナウンスに使うためと思われるもので、音質はひどい。ステージ正面には鈴木コージさんが布に描いた大きな絵が、9枚ほど下げられている。真ん中の三枚の絵のキャラクターは何らかの楽器を持っている。

 ほぼ時間通りに、左手の扉が開いて、低音部の四人が登場。ひとしきりやってからサックス登場。扉の脇でサックスにマイクを取りつける。この人がリーダー。次に右扉からトランペット登場。やはり入ったところでマイクをつける。次は右から帽子をかぶったトランペット登場。客席からは出てくるたびに結構大きな拍手が起こる。すでに昨日のライヴを見ている人か、映画で見ている人たちかもしれない。残りの全員がぞろぞろと出てくると、ゆったりとしたオープニング・チューンからいきなりトランペットが超高速パッセージを吹きはじめ、あとは一気呵成。十五分の休憩をはさんで、約2時間、感覚のスポーツでいい汗かかせてもらった。

 梅津和時さんがサックスで参加。一曲ではソロもとり、例によってすっ飛んだ演奏。リーダーもにこにこしながら見ている。姿だけではメンバーの一人と言われても不思議に思わないが、唯一違うのは、一人だけ譜面を見て演奏していること。もっともチョカリーアの連中に言わせれば、その方が驚異ということになるのかもしれない。

 女性ダンサーが二人来ていて、一人は髪の長い、くっきりした顔だちの若い人。こちらはある程度訓練を積んだプロの踊り手という感じ。もう一人が焦点の合わない顔の背の低い女性で、ほとんど芸といえるものではない。見ているのが辛く、こちらが出てくると、なるべくそちらを見ないようにする。

 後半の始めは、客席後方の扉から演奏しながら入ってきた。アンコールの2曲目で演奏しながら退場し、右手のロビー側の扉から入ってきて目の前の通路を通る。こちらはスタンディング・オーヴェーションで迎える。ステージにあがってそこで幕。
 アナウンスのあともアンコールを求める拍手は鳴りやまず、すると今度はロビーで音が鳴りだし、客は一斉にそちらに向かう。一緒になって踊っている人たちもいた。ロビーでひとしきり演奏して、今度こそ本当に幕。
 外国のテレビか何かの撮影隊がしきりに撮っていた。

 カイラ・プロダクションの各務さんがいたので、挨拶。そのまままっすぐ帰る。帰宅11時半。
 『魂花時報』編集の人から留守電。「つづら折り」のチラシに書いたアンディとドーナルの紹介文を『魂花時報』に使わせて欲しいとのこと。

2000年 8月 24日 (木) 曇。蒸暑し。

 K出勤のため7時半起床。
 朝食、早良西京漬け、キャベツの味噌汁、茹でブロッコリ、ご飯、ゆかり。

 10時、歯科。右上、土台を入れるためのコアつくり。神経が抜かれているので痛くはないが、がんがん削られるのはいい気持ちではない。かなり無造作に削る。

 行掛けに郵便局にて Orange World と WeltWunder に『ラティーナ』を投函。航空便は高い。
 帰るとAmazon.co.uk からの箱が玄関脇に置いてある。Jonathan Rabanの既刊分。これで一通り揃う。もうすぐ新刊のエッセイ集が出るはずだ。

 デビュー作 SOFT CITY の表4に載っている著者の写真はまだ若い、30代か40代始めだろう。まだ十分ある髪の毛をヒッピー風に伸ばしていて、イングランド・スタイルのスーツを着こみ、パイプを持っている。Picador 版の統一装丁のペーパーバックでは額がだいぶ後退し、ややラフな格好。最新作の PASSAGE TO JUNEAU では野球帽を被り、それ自体では本人がイングランド人であることを示すものは何もない。

 昼食、シイラのフィレ(生食用)というのを買っていたのを解凍して食べようとするが、食べ方がよくわからない。皮がとれにくく、切ってから剥がそうとすると身がぐしゃぐしゃになってしまう。生姜醤油で半分ほど食べたが、何とも食べにくいので味もわからない。朝の味噌汁の残り、ブロッコリの残り、海苔、ご飯。

 『グラモフォン・ジャパン』。久しぶりに巻頭からぱらぱら眺めるが、どうも紙面が垢抜けない。MOJOはもちろん、fRootsでももう少しすっきりしたレイアウトやデザインになっている気がする。天下の新潮の出す雑誌なのだから、とは思うが、新潮はやはり雑誌は得意ではないか。『週刊新潮』もそう言えば、紙面は垢抜けない。それにしてももう少しページ周囲の余白をほんの少しでも増やすとだいぶ雰囲気が違うのではないか。TAG Maclaren のミュージック・センターとスピーカーのデザインはなるほど。

 BMGよりピアソラのコレクション四枚のサンプルCD。これは嬉しい。
 ついていた手紙によると事務所が移転し、ついでに部課の名称が変わった由。出版社もそうだが、部課の名称だけ聞いても業務内容は全然想像がつかない。

 トンボの Zoom 707 がオンラインで買えないかと捜しまわるが、マンハッタンの文具屋のサイトにボールペンがあるだけ。シャープはサイトには出ていない。国内では無いようだ。比較的最近どこかの店頭で見たような覚えもあるのだが、どこだったか、はっきり覚えがない。

 バトルフィールド・バンドのサイト からテンプルのサイト に行き、ディスコグラフィをチェックして、持っていなかったアルバム、カセットでしか持っていないもの、ボーナス・トラック付きのものを注文。ここで買うと一枚 9.50GBP なので他の店で買うより断然安い。ところがデータベースを作ったりしているうちにHOME IS WHERE THE VAN IS のジャケットの中に Preview のシングルを発見。バンド自体は、脳腫瘍で闘病生活をしているデイヴィ・スティールの代わりにマリンキーのカリン・ポルワートが参加、ジル・ボゥマンもリハーサルに参加しているそうだ。

○Battlefield Band LEAVING FRIDAY HARBOR; Temple, 1999
Battlefield Band  バトルフィールドの最新作。隠しトラックが四つも入っているが、どれもフェイド・アウトするのはちょっとフラストが溜まる。まことに安定した造りで、欠点は見当たらない。とはいえ、一聴膝を叩いてこれは傑作、とわめくようなアルバムでもない。ある時期以後のバトルフィールド・バンドは、例えばハイランド・パイプを先頭に押したてて、行け行けのダンス・チューンでウケを取る方向はきっぱりと捨てている。むしろ他のスコットランドのバンド以上に歌を重視し、チューンにしてもじっくりと聞かせようとする姿勢が目立つ。アラン・レイドがうたい手として成熟した姿を聞かせ、デイヴィ・スティールが張合うのではなく、その向かい側にすっくりと佇んでいる趣だ。その間をジョン・マカスカーのみずみずしいくせに枯れた味を聞かせるフィドルが縫い、豪放というよりはむしろ繊細なパイプが埋めてゆく。アイリッシュ流の聞き手を載せて運んでゆくノリを期待しなければ、これはやはり理想の形に近い。

 夕食は豚肉の味噌漬、レタス、沢庵、芝漬け、ご飯。
 夜、ヒデ坊から電話。アンディとドーナルたちと一緒に泊る宿の相談。ビジネス・ホテルと旅館とどちらがいいと訊くので、京都だったら旅館だねと答えておく。


2000年 8月 25日 (金) 晴れ。風あり。

 朝食、チーズ・バタール、コーヒー、レタス、グレープフルーツ・ジュース。 午前中、MSI用にバトルフィールド・バンドの紹介文を書いてSさん宛送付。

 『胡散無産』10号。表紙はおすぎ。HISTORY IRELAND, Autumn 2000。ほほう、メインの記事はアイルランド・カトリック教会の現在。楽しみ。トランジスタ・レコードから佐渡山豊のライヴの案内。わあお、中山ラビとのジョイント。10月11日、スイート・ベイジル。これは見たい。しかし、日本のミュージシャンで追っかけたいのがだんだん増えてきた。嬉しいことではあるが、まともにやっていると金と体が保たんぞ。

 昼食、素麺、茹で卵、胡瓜味噌添え、沢庵。
 午後、トンボ鉛筆・お客様相談室のO氏から、オセアニック・シャープを発送したとの電話。今回の件でトンボ鉛筆の印象はだいぶ良くなった。Zoom 707 は定番商品として生きているというので、有隣堂にでも注文することにする。

 MSI・Sさんに架電して、締切の確認。スコッチをやろう、と意気投合。
 3時半のバスで出かける。まっすぐに渋谷。ハンズ、ロフト、伊東屋とはしごするが、Zoom 707 は見当たらない。かえってハンズでオセアニックを発見。それにしてもこれが2,000円というのは安い。

 ハンズもロフトも品揃えはにたようなものだが、ロフトの方が商品の展示はすっきりしている。が、人が入っているのはハンズの方なのは面白い。適当にごちゃごちゃしている方が入りやすいのか。あるいは場所の問題か。それにしてもハンズの渋谷はエスカレータが使いやすい場所にないので、階段を多用することになり、疲れる。文具の売り場まで登ったら腿が痛くなる。

 トンボの中性ボールペン Jボールがハンズにあったが、色が青・赤・黒しかないので買う気がしない。これは完全に出遅れだろう。大丈夫か、トンボ。マーカー方面ではそれなりのシェアがあるらしいが、売上では中性ボールペンの方が遥かに大きいだろうことは、売場面積や商品種類の充実を見ればわかる。もっとも、要は利益が出ているかどうかだが。この方面では今のところ、デザインといい、書き味といい、三菱のシグノの極細がベスト。

 桂花を捜してセンター街を歩いてゆくと、運良く見つかる。ターロー麺で腹ごしらえ。
 6時半開場と思いこみ、その少し前に会場の前に行くと、ちょうどスタッフが設営をしていたのだが、開場は7時と言われる。やむなくとって返し、東急BUNKAMURA 入口向いのビルの二階、「セピア色の庭で」という喫茶店に入る。最近多い、「古瀬戸」の流れを汲む店。焦茶色に塗った太めの木材を多用したおちついた内装にクラシックを流している。もっともここはスピーカーが天井埋込みの丸いボーズなので、音はひどい。初老のマスターにカウンターに案内される。カウンターの一番奥に巨大な花瓶を置き、そこに百合を主体にした大きな花が活けてあるが、もう一人のスタッフの女性は生け花の心得があるらしく、しきりに形を整えていた。その花瓶の前、カウンター席の一番奥に若い女性が一人、背中をまっすぐにして座っていた。こういう人気の少ない喫茶店にときどきいるが、何をするでもなく、飲物を前にしてまっすぐ前を見つめている。悩んでいるようにも思えるが、案外何も考えず、ぼけっとしているだけではないか。

 カウンターに置かれたスタンドの明りで本を読む。Jonathan Rabanの OLD GLORY。ミシシッピ河畔の小さな町のさびれ方は、北米大陸北西岸の小さな町に似ている。違いといえば、ミシシッピの方はかつては大都市になる勢いを見せていた、あるいは大都市になるつもりで築かれたことか。四章に入って、ノートを取る場面がときどき出てくるが、この人はやはり書くことにとり憑かれているのだ。どんなノートを使っているのか、ちょっと知りたい。筆記具は安物のボールペンらしい。

 7時15分になり、会場に行く。整理番号順に入場している。五郎さんがいたので声をかける。戸田さんもすぐ合流。三人でちょっと待っていると、Kさんが出てきて、二階席に案内してくれる。途中のバーのところで、今日飛入りで出るらしい、日本のミュージシャンが数人たむろしていて、五郎さんや戸田さんは知合いに声をかけている。梅津和時さんが練習していた。二階席にはすでにピーターさんがいて、音友・Sさんと話をしている。その隣に座る。後で、山本淑子さんが隣に来る。

 ファンファーレ・チョカリーアのライヴ。チケットはソルド・アウトで、場内満員。客は若い。待つほどにまず低音部担当の四人登場。それだけで歓声が上がる。一昨日とは客のノリが全然違うのは、客層と会場の両方の効果だろう。ひとしきりやって全員が出てきて、タムタム担当のおっさんがルーマニア語か何かでアナウンスすると、聴衆は雰囲気だけで大歓声。もうとにかく始めから踊りに来ている連中もいて、バンドの演奏にいちいち反応する。高速演奏が始まるとハネだすが、あまりの速さについていけないところもある。

 これだけ客が反応すれば、バンドもいやがおうでも盛上がるというもの。演奏のノリも、質も、出す音そのものも、一昨日とはまるで別のバンド。曲目も多少入換えしていたにしても主なところはほぼ同じだが、まったく違う曲に聞える。梅津さんは一昨日より出番は少なかったが、今日は楽譜は見ていない。ここはPAがちゃんとしているので、ヴォーカルがしっかり聞けたのも嬉しい。

 今日気がついたが、細部まできっちりアレンジして、集団芸で聞かせる超高速演奏と、少しテンポは落し気味で、一人または数人がソロを取る曲と分けているようだ。それに歌がまた別。歌にも二種類あるようで、メロディよりも詩の朗読に近く、トランペット・ソロと交互にうたうバラッドと、軽快なリズムに乗って大らかにうたう、多分ラヴ・ソングや遊び歌がある。うたい手は4人。クラリネット担当で、リーダーではない方のおっさん。トランペットのリーダーとサブ。リーダー以外のサックス(メンバーの中では比較的若そうだ)。低音担当の一番高いやつ(ステージでは右端)。

 一昨日は黙々と演奏するという感じだったが、今日はソロをとったり、歌をうたったりすると、その度にリーダーが大仰な声で紹介する。うたい手もうたいおわると、大仰に礼を言って、"Fanfare Ciocarlia from Romania" と何度も叫ぶ。一度なぞ、低音四人とリーダーのサックスによる曲で、タムタムのおっさんが最前列の客を次々にステージに引張りあげ、二人のダンサーに加わって踊りまわった。客も積極的に上がってゆく。変に照れたり、恥ずかしがったりすることもない。見ていて気持ちがいい。ステージが狭いせいと、ノリの良さのせいで、例のダンサーのだめな方もとろさが目立たない。かえって微笑ましくすらある。髪の長い、うまい方も、やはり動きがまったく違う。こうしてみると、一昨日は観光客相手のレストランででもやっていた趣だ。今日は地元に帰っての凱旋公演。もちろん本当に地元でやればこんなものではなかろうが。

 アンコールの2度目では、前の方の客がどんどんステージにあがって客席を空け、そこにバンドが降り、日本人ミュージシャンも加わって、完全にお祭り。一昨日のロビーでの演奏がもっと大きくなったようだ。プランクトンのKさんがリーダーに何やら耳打ちをしていた。どうやらそのまま演奏しながら外へ出てしまえと言っていたように想像するが、リーダーは勘違いしたらしく、右手の階段を昇りだす。低音部だけが残ったところで注意されたのか、またもどってくる。が、結局行き場がないのでそのままケリをつけた。とはいっても格好悪いものでもなく、祭の高揚した熱気は十分。客も大満足という感じで、これで本日のコンサートはすべて終了しましたというアナウンスに、かえって拍手が沸くほど。本当にいい汗をかいた。

 今日のバンドこそが本来の姿だろう。やはりこれは祭の音楽、と言うよりも祭そのものだ。音が生みだす祝祭空間。この2時間は、何もかも忘れ、憂さも恨みつらみも哀しみも怒りも一切消えて、心と体が洗われる祭だった。もちろん音楽的に言えば、妙技や伝統の力に唸ったり、驚いたり、うっとりしたりすることは多々あるが、それは圧倒的な祝祭空間顕現能力に比べれば些細なことでしかない。その能力は客との相互反応によって左右されることは当然だが、いったんノリはじめるや、その相乗効果は他の追随を許さない。これはアイリッシュでもかなわないだろう。アイリッシュ・ミュージックは基本的に関心のない他人を巻込もうとするものではないからだ。

 タラフ・ドゥ・ハイドゥークスも似たような祭を生みだす能力を備えていたが、ファンファーレ・チョカリーアはバンドとして練成されているため、その能力をある程度コントロールしているようでもある。
 という理屈はともかく、本当にすばらしいライヴだった。堪能したという点ではアルタン祭以上かもしれない。全く何のしがらみもないミュージシャンのライヴというのも気楽で、よけい楽しめたところもある。

 先日もいた撮影隊(ピーターさんの話ではTVではなく、フィルム・カメラのようだった、とのこと)が今日もいて、ステージ後ろに入り込もうとした男性カメラマンが、モニター用のスピーカーは倒すは、正面に下がっていた鈴木コージさんの絵は落すは、ひどいもの。

 終演後、ピーターさんが言い出して、百軒店に新しくできたという焼き鳥とソウル・ミュージックの店にSさんと三人で行く。百軒店には記憶になかった広い通りができていて、その一角にオープンした「もりげん」という店。元ビクターのソウル担当の人が開いたらしい。ビクターや、何人かの芸能人からの花が入口に飾られていた。客は若く、われわれオジン三人組は浮いていた。酒と料理はまあまあで、客がもう少し静かであれば、また行ってもいい。通りから中が見えるので、外を向いていたピーターさんを見つけて、わざわざ握手しに入ってきた若者もいた。席に着いたとき、隣の男一人、女二人がピーターさんを目ざとく見つけて声をかけてきた。11時までまずまず気持ちよく飲んで食べて帰る。

 25日の金曜日だが、さすがに夏休みの後で、タクシーの列は短く、待つほどもなく乗れた。帰宅0時半。
 やはり帰りの電車で冷えたらしく、ノートを取っていたら便意を催し、トイレに入ったので就寝1時半。

2000年 8月 26日 (土) 曇。風あり、涼しい。

 昨日歩きまわったのと、ライヴがあまりに良かったのでくたびれ果て、今日の映画はパス。

 9時起床。朝食、チーズ・クロワッサン2個、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 9時過ぎ、ドーナルから電話とファックス。新しいファックス・マシンを買ったとのこと。

 一昨日あたりから右腕の肘から手首まで間の真ん中あたり、表側が刺すように痛むのは、どうやらiBookの硬いクリック・ボタンを押すために力が入っているためらしい。

 MSI新譜案内。トンボからオセアニック・シャープ。新品のざらざらした手ざわりが何とも嬉しい。今まで使っていたものは手垢でぴかぴかつるつるになっていたのだ。楽天市場から BRITA の浄水器。さっそく使用を開始する。BMGからピアソラのサンプルとカルロスの新譜。嬉しい。

 WXG辞書のメンテナンス。
 昼食、雉焼き丼、芝漬け。
 午後、さっそくカルロスの新譜を聞く。

○Carlos Nunez MAYO LONGO; BMG, 2000
 一体どうしてしまったのだろう。とにかく音がひどすぎる。録音かミックスかマスタリングか、あるいはプレスかのどこかかその全てで失敗したとしか考えられない。一曲目では太鼓が割れてしまっているし、ヴォーカルも一部ビビっているところがある。全体に音が籠り、リコーダーの息の掠れる響きなどまるでわからない。濁った水越しに聞いている心地。はじめ、こちらのシステムのどこかが壊れたかと思った。念のため、CDプレーヤーに直接ヘッドフォンを指して聞いたり、CDウォークマンで聞いたりしてみた。前作も聴直してみたが、こちらは隅々まで見通しの効いた優秀録音。明らかにこの板が悪いのだ。これがプレスの失敗であることを願うが、そう言うことはありえるのだろうか。
 音の悪さには耳を瞑って中身を聞こうとしたが、ジャンク屋で拾ってきたラジカセで聞いているようで、どうにも味気ない。中身そのものも、歌が目立つのはいいとしても、カルロスのガイタが爆発するところが聞こえない。誰が主人公なのかよくわからない、臍のないアルバム。プロデュース、録音どちらにしても大失敗だ。

 ラティーナのKさんからメールの返事が来て、嘉手苅林昌の『あたしやあなたにホウレン草』のビデオは、版元のBLine社が潰れてしまったのだそうだ。俺が買ったのはまさにぎりぎりセーフだったわけだ。全く、モノは見つけたときに買わねばならない。それにしても版元の倒産は残念。映画公開と記念ライヴがあるのはほんとうに幸いだ。改めてこれは見に行くか。

 アンディの新譜を『CDジャーナル』に送らねばならないので、MDに落とす。
 夕食、鮪赤身刺し身、豆腐と油揚げの味噌汁、南瓜煮付け。

○Theodosii Spassov Trio THE FISH ARE PRAYING FOR RAIN; Traditional Crossroads, 2000
Theodosii Spassov Trio  ブルガリアのカヴァル奏者をリーダーとしたジャズ・アルバム。ピアノ、ドラムス、パーカッション(インドのあの壷のようなやつも使っている)。一曲ヴィオラが入る。主人公はカヴァルの他、デュデュックも使うが、これが一風変わっていて、カズーのように声を吹きこんだり、アンプにつないで、シンセサイザーのような音を出す。スキャットないしリルティングも縦横に織込む。カヴァルもルール無視の何でもあり。ピアノとドラムスははじめ、わりと正統的なジャズをやっていて、エスニックながら飛んでいる主人公となかなか面白い対照を聞かせる。が、アルバム後半ではむしろ、様々なパーカッションを使い、ノイズ系の即興をくりひろげる。いずれにしても、かなり面白い。最後のトラックでは実の息子らしい幼児の声で祈りの句を言わせて幕。エスニック・ジャズというよりは、八方破れの音楽に否応なく伝統の要素が染込んできて、それをまた周到に計算して利用しようとしている。写真ではまだ若そうだが、この人は要注意。このアルバム自体は1998年7月にソフィアで録音されているから、アメリカ盤ということになるのだろう。
2000年 8月 27日 (日) 晴れ。風が弱く、夜に入ってほとんど止まってしまい、結構暑い。

 9時起床。
 朝食、ハム・トースト、南瓜煮付け残り、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 昼食、素麺、茹で卵。
 おやつに茹で玉蜀黍。

 朝食後、アンディ・アーヴァインの新譜のブックレットをスキャニングしようとすると、まともなスキャニングができない。はじめはスキャンされたイメージに青い帯がジグザグに入った。ドライバ等を新たにインストールしなおしてやってみたが、e.Typist のテスト用パターンをスキャンしても真白になったり、白地に横線が数本入るだけ。Photoshop LE でやってみても、ぼんやりした画像が出てくる。念のため、スキャニング関係以外の機能拡張等をはずしてみても変らず。iBook でやってみたが、これも同じ。結局ハードウェアの故障と判断。おやつの後、ラオックスに行き、出たばかりの Canon の一番安いスキャナを13,000円強で買ってくる。

 これはUSBからのバスパワーで動く。e.Typist ではドライバがないよ、と言われて、直接のスキャニングはできない。その他は問題なし。スキャニング用ドライバもこちらの方が使いやすい。おまけに小型でスリムなので、しまっておける。縦置き使用も可能。Mac版のマニュアルで「右ボタンをクリック」というのが一ヶ所あるのが眼についた。が、マイクロテックと違い、ドライバ・ソフトなどのインターフェイスはボタンなどウィンドウズ的な所はなく、一応全部Mac風になっている。

 ラオックスに入ったついでに有隣堂で Tombow Zoom 707 を注文。
 結局今日はこれでほぼ一日潰れる。
 夕食、茄子豚、ご飯。

 夕食前にメールをあちこちに書き、夕食後チェック。RTEのニュースをまとめて読む。北ではプロテスタント準軍事組織同士の抗争がひどい。先日は共和国でINLAに繋がるトラブルらしい殺人事件が続いたが、カトリックにしてもプロテスタントにしても末端は暴力団化しているのだろう。両方の準軍事組織が本音では和平反対に動いているのも、その「商売」にとっては都合が悪いからではないか。表向きは和平に反対はできないから押えつけられたものがはけ口を見つけるとエスカレートするし、また実際和平の促進で「市場」や「パイ」は小さくなっていて、それを取合っている側面もあるだろう。聖金曜日合意に伴う政治犯早期釈放プランで先日釈放されたUFFのリーダーを、英国政府が再逮捕して抗争自体は一息ついているようだが、火種そのものが消えたわけではないからこれからも当分は綱渡りが続く。

 一方で Harland & Wolf 造船所の経営危機は一層強まっているらしい。一時、契約を確保したので一安心という報道があったが、契約に伴う条件がクリアされておらず、実際には作業にもかかれないし、金も入ってこない中ぶらりんの状態だそうだ。おまけに引渡したばかりの船の代金をめぐって、注文主のアメリカの会社と裁判沙汰になっていて、収入の道がほぼ絶たれているらしい。造船所の持主であるノルウェイの会社の経営陣の判断がもうすぐ出るのを、ベルファストの関係者は戦々恐々で待っているという報道。ここが潰れれば、千人単位で失業者が出る。これも不安定要因だろう。

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