大島教授の[暖蘭亭日記][2000年 8月 14日 (月)〜2000年 8月 20日 (日)] [CONTENTS]

2000年 8月 14日 (月) 晴れ。風あり。雲あり。台風一過で乾燥しているので、暑いが爽やか。

 朝食、ブルーベリィ・ジャム・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 『魂花時報』54号。
 名古屋、カフェ・カレドニアの平手さんから転居通知。名古屋市内の家を引払ったらしい。

 Jonathan Raban HUNTING MR HEARTBREAK 読了。見事な本なり。その場にいる気分にさせてくれるのはこの人の力か、英国人ならではか。とりわけラストのキー・ウェストは地元の人間の選びと登場のさせ方が絶妙。ここで、あのアラバマの田舎でさんざん悩まさせられた電話番号の前の所有者 "Bri" に遭遇するのは事実を疑う。が、ここでならそう言うこともありえるかもしれないとは感じる。

 昼食、目刺、茄子の味噌汁、和布キャベツ、胡瓜味噌添え、ご飯。
 MSI・Sさんから電話。Cran LOVER'S GHOST のライナー翻訳と歌詞対訳の依頼。
 午後、CDジャケットや本の表紙をスキャナーでとりこみ。先週の日記の整理。

 Kと子どもたちは3時半過ぎ、実家へ出発。その後、仕事部屋の本をリビングに運び、実家に持ってゆくのと残すものの仕分けと荷作りをはじめる。10時ごろまで作業を断続的に続ける。

 夕食は肉饅三個と餡饅1個、和布キャベツ残り、カマンベールのアイスクリーム。

2000年 8月 15日 (火) 曇。気温は低いが、湿度は高い。

 8時半、宅急便で起される。『CDジャーナル』からCDの返却。
 朝食、ブルーベリィ・ジャムを塗ったロールパンとトースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 昼食、ハム・エッグ、茄子の味噌汁、野沢菜ちょい辛め、ご飯。
 夕食はKが帰ってきて、豚肉と搾菜の中華風炒め、ご飯。

 終日、本の整理。途中で詰めおわったものを車に積込む。あとはリビングに広げたものを一通り仕事部屋に押込んで、今回の作業は終り。
 夜はメールのチェックと返事書き。

 富士大石寺何とか会という団体から雑誌が送られてくる。たしか創価学会の総本山で、学会と喧嘩していたところと記憶するが、何処から住所を得たのか。知合いにこの方面の関係者はいないと思うが、いわゆる名簿業者から買ったのだろうか。

 三重の一家六人殺傷事件で犯人が十五歳の高校一年だったことについて、森総理が少年非行対策云々の発言をしたとの報道。しかし、これは非行ではなく、犯罪が低年齢化しているとみるべし。しかし動機として本人が言っているという無視されたから、というのはきっかけに過ぎず、本当の動機は別にあるのではないか。

 そういえば先日「公立」学校での校内暴力の統計が発表されたが、「私立」学校での校内暴力の統計は聞いた覚えがない。そこまで入れなければ、統計の意味はなかろう。あるいはKの言うように、こういう「データ」は「公立」学校の評価を低下させ、ひいてはそこを基盤とする教職員組合の力を削ごうという「深謀遠慮」によるものだろうか。

2000年 8月 16日 (水) 曇ときどき晴れ。

 目覚ましで7時起床。
 朝食、ハム・トースト、バナナ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 朝、出勤のKを送る。
 午前中、リビングに出してあった本を仕事部屋にかたづける。

 昼食、昨夜の残りの豚肉搾菜とご飯。
 午後、クランの翻訳等の準備。

 Planet Soceity の会報。途中で濡れたので乾かしたとの日本の郵便局のメモが貼ってある。それほどひどくは濡れなかったのか、乾かし方がうまかったのか、損傷はほとんどない。
 アイルランド友の会のメーリング・リストによるとFred Hanna's はやはり経営者が変わったそうな。まあ、Read Ireland があるのでそれほど障害はないが。

 4時過ぎ、家を出て、渋谷。クワトロにてヒートウェイヴ「夏祭り」。プライム二階の「げんこつや」で香油ラーメンで夕食。「桂花」の宇田川町店の場所を捜している暇がなかったため。

 クワトロでは始め、知った顔はほとんどいなかったが、フリー編集者のJさんとばったり。トイレはどこだっけ、というので教える。それっきり再会は出来ず。音友・Sさんを見かける。アンコールあたりでプランクトン・Kさん、その後、松山さん、Tさん、プランクトン・I君など。トリニティのTさんも来ていて、ヒートウェイヴは初めてだがすばらしかったと感動していた。ソウル・フラワーはニューエストの頃からのファンだそうだ。

 ライヴはもう最高で、すばらしいの一言。ゲストはほそみ・さかなというキーボード・プレーヤーで、以前一緒にやっていたそうな。最近はプログレ方面らしい。久しぶりに聞いて感動したと言って、ノイズ系の音に山口さんがエレキ・ギターで合わせる形で一曲。なかなか面白かった。普段のヒートウェイヴの音からは180度違うものだが。その後、ハモンドでかなりつきあっていたが、これまたいい。

 もう一人は、九州時代山口さんが憧れていたというギタリスト・シンガー。名前は聞きそびれた。なかなかかっこいいギターを弾く。
 三人めは中川さん。ソロ・アルバムを作ってるそうで、その中からと言って、ヴァン・モリスンの「クレイジー・ラヴ」をやったが、これは良かった。その後の「エエジャナイカ」はもっと良かった。この辺もさかな氏が入っていたが、ユニオンとは違って、もっとストレートなロックン・ロール。三曲目が「嵐からの隠れ家」。

 ゲストがフィーチュアされた曲が半分ぐらいだったから、ヒートウェイヴそのものの音楽は物足らないくらいだったが、出てきた時から絶好調の感じで、かつてあったような変に肩に力の入った感じが抜け、実にのびのびと、楽しげにやっているのがいい。伴さんがまた精進のあとを見せていたのも嬉しい。まあ、うまくなるのがわかるということはまだまだ本当にうまいわけではないことかもしれないが、見るたびにうまくなって行くのはやはり嬉しい。

 客の反応もすばらしく、いつもはどことなくおとなしい感じの客がヒートウェイヴのライヴは多いのだが、一度アンコールが終った後など、大騒ぎで盛上っていた。ヒートウェイヴの客層は、ソウル・フラワー・ユニオンに比べると一人で来ていて、ヒートウェイヴのファンであることにアイデンティティをかけているようなところがあるが、今日はなんとはなしにそういう感じが薄れた気がした。

 終演10時近くで、客席での打ち上げはなく、楽屋に行ってくれというので一応挨拶に行く。別席の打上げに来てくれとのことで一度皆で外に出るが、時間も切迫しており、またKさんがまだまだ本調子でなさそうだったので、「龍の髭」でご飯を食べて帰る。MSI・Sさんが友人二人とやはり食事しているのとばったり。やはりライヴに来ていた由。最終小田原行き急行に間に合い、帰宅0時半。

2000年 8月 17日 (木) 日中は晴れるが朝晩は雲が厚く、夜に入り雨。

 8時に物置の設置業者からの電話でたたき起こされる。もう一度寝直そうとするが寝られないままに10時前、今度はアップルからの電話で起される。iBookの修理がようやくできたとのことで、修理代をカードで決済することにして、その情報を伝える。確認が取れ次第発送の手配をする由。早ければ明日着くか。

 朝食、肉饅2個、餡饅1個、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 掃除などしてから車にまた本を積込み、実家へ。途中の道は東名も降りてからもガラガラ。正午過ぎに着く。すぐ本を降ろし、とりあえず物置に運びこむ。それだけでTシャツからパンツ、ステテコまで汗でぐっしょり。シャワーを浴び、親父のパンツとTシャツを借りる。

 昼食、笊饂飩、大根の漬物、葡萄(巨峰)。休憩してから、折りたたみの箱二つを空にして、中の本を整理して積上げる。三時前に皆を乗せて帰宅。
 Amazon.co.uk よりバート・ヤンシュの伝記と新譜。『CDジャーナル』。

 夕方、ヒデ坊より電話。アンディ&ドーナルのチラシができたとのこと。昨日のヒートウェイヴのライヴのこと。アンディが新譜のCDを新たに300枚作ったのはいいが、プラケースの手配が出来ず、日本で確保してくれといってきた由。何とも微笑ましく、笑ってしまう。

 夕食、豚肉の生姜焼き、茄子の味噌汁、バナナ、ご飯。
 夕食後、明日の朝食べるためのパンを、Kがパン焼き機で試す。
 Cran LOVER'S GHOST の歌詞を歌われているものと印刷されたものを照合して、Sさん宛メール。

○Bert Jansch CRIMSON MOON; Castle Music, 2000
Bert Jansch  確かに WHEN THE CIRCUS COMES TO TOWN 以来ここまでの三枚は、バート・ヤンシュのアルバムの中でもトップ・クラスの出来栄え。今回は歌うたいよりも歌つくり、そしてギタリストとしての姿が前面に出ているように思う。特に久しぶりのエレクトリック・ギターが面白い。歌うたいとしてはやはりカヴァーの方が良く、とりわけラストの "Singing the blues" は出色。オゥエン・ハンドの "My Donald" をローレン・オゥバック(現ヤンシュ夫人)がうたっているが、この歌には合わない。
 来たのは2枚組でもう一枚はベストだが、初期のアルバム5枚からのピックアップで特に新味はなし。
2000年 8月 18日 (金) 曇。気温は低いが、当然湿度は高い。

 9時前起床。
 朝食、ハム・トースト、トマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。
 午前中は実家に持ってゆく本を本棚から引きぬく作業。
 昼食、秋刀魚開き、和布キャベツ、葱の味噌汁、ご飯、ゆかり。
 MSIより資料、CD。東京エムプラスより資料。

○John McCusker YELLA HOOSE; Temple, 2000 (sample cassette)
 確かに良いアルバム。ではあるが、どこがどう良いかと訊かれると困る。欠点からいえば、ケイト・ラスビィのうたは相変わらずで、無心に聞いてみようとしたが、すると今度はひどくだらしなく聞える。そのだらしなさまで意識して演出しているように思われるのだから、これはもう決定的に合わない。これは絶対に良くない。マカスカーのフィドルに耳をそばだてさせるような特徴的なサウンドはない。むしろ全体的な組立てで聞かせる。フルート、蛇腹、ギター、このギターはトニィ・マクマナスではないか。スモール・パイプも入る。ピアノとの共演もある。ホィッスル。口琴。ベース。アイルランド的な音の組立て、選曲もアイリッシュ的。いずれにしてもこのCDは買わねばならない。

 Kは午後からMを連れて買物に出かける。
 5時過ぎ、友人の家からようやく帰ってきたHを乗せて車で出発。アーバン駐車場入口に左折する交差点で信号青になり、左折しようとして歩行者がいたので急ブレーキを踏んだら、一拍置いて後ろから軽くどんときた。タクシー。車を止めて、さぞかしへこんだろうと調べてみると、傷もついていない。まあ、ほとんど無傷で良かった。しかし、先日も実家からの帰り、東名で大型トラックの右側の死角に入ったらしく、こちらがいるのもかまわず車線変更してきたのにヒヤリとしたし、少し気をつけなければいけない。厄払いでもするか。

 駐車代を浮かすためという本末転倒な理由で北原糸子『地震の社会史』講談社学術文庫と川村二郎・池内紀『翻訳の日本語』中公文庫を買う。もちろん駐車場代より高くなる。

 家に帰ってから、この二冊の表4(裏表紙)を見て愕然となる。どちらも簡単な内容紹介が載っているが、どちらも段落行頭の一字下げをしていない。講談社学術文庫など三つ、いや四つの段落に切ってありながら、である。一字下げがなされていないので、いくつの段落に切っているのかわかりづらいのだ。

 いつの間に、こうなったのであろう。本文はさすがにまだきちんと一字下げがなされているが、この分ではいずれ本文からも一字下げが消えるのではないかと危惧する。実際、新興の版元だったか、一字下げがなされていない本にぶつかったこともある。とはいえ、この一字下げというやつ、一体いつから使われだしているのか、その由来を問われれば詰る。調べてみる価値はある。

 相模大野は雨が降っている。伊勢丹に向かう途中すれちがった若い女性たちが、この頃雨ばっかりねと嘆いていたので、この辺はよく降っているのかもしれない。厚木は雲は厚くなるが降ってもぱらぱら。結局今日も降らない。

 相模大野駅前のアーケードは中途半端な造り。今日は雨が降っていたので気がついたが、屋根が全部繋がっておらず、途中で二、三ヶ所切れている。意味はわからない。純粋に技術的なものでないとすれば、切らなければならない必要も見えない。駅ビルのテラスから降り、伊勢丹に通じる間も雨粒やアーケード自体の雨漏りが落ちてくる。降りが本格的なら傘は必要だ。高さも三階と四階の間ほどのところで、ずいぶんと高いので、少し風があれば屋根の用はなさない。駅ビルのテラスも同じだ。あるいは遠方から見た場合の外観を考慮したのか、あるいはその場所によって管轄部署が違ったか。いずれにしても間抜けな設計だ。

 夕食、相模大野・西櫻亭にてKの両親と会食。夏のスタミナ料理というので、ガーリック・リブ・ステーキに夏野菜添え(鉄板焼き)、ライス。Mの残したオムライス少々にコーヒー。Mは食べ残しても「お父さんには上げない、お兄ちゃんに上げる」と言張る。Hは腹一杯になったのだろう、こちらに譲ると言うので、ようやくMも納得。それでも、渡す直前にまた一口食べる。

 10時半頃、ヒデ坊より電話。アンディにファックスを送りたいのだが、英語に自信がないので、日本語で書くものを英訳して送ってくれないかという依頼。二つ返事で引受ける。

 夜、トンボ鉛筆の Oceanic Zoom というシャープが手に入らないかとネットを探索。もうずいぶん前に、魚と宇宙船ともう一つ何かを模したデザインで三種類一度に発売したもの。宇宙船以外の二つを買っていて、そのうち Oceanic という魚を模したずんぐりしたデザインのシャープは、実に握りやすく、すばらしく書きやすいので断続的に愛用してきたのだが、さすがに軸が油でてかてかになり、買い替えようと思ったのだ。トンボ本社のウェブ・サイトでは影も形もなく、"Zoom Oceanic" でSherlock をかけると Tombow Europe のサイト (http://www.tomboweurope.com/catalogue/detail.asp?ref=SH-ZLF71&langue=EN) に見つかった。なるほど、海外の子会社のデザインであったのだ。たしかあの三種はヨーロッパのデザイナーに委嘱して作ったものだという記憶もある。Oceanic はイタリアのデザイナーだったはずだ。日本のトンボ本社のアドレス宛、問合せのメールを出す。

 隆慶一郎の『一夢庵風流記』の直江兼継を紹介するシーンで、筆写に勝る読書法はない、という言葉があるのを思出し、ふと筆写するに値する現代の書物があるだろうかと考えてみる。明治以降で。
 鴎外、漱石、露伴にはあるかもしれないが、今ひとつ入れこめない。小説ではあるまい。幸田文、中勘助、寺田寅彦あたりか。

 「書店のメルマガ」42号で、ちょいと気になる本に出くわす。ヘンリー・ダーガーというアメリカの特異な作家・画家を紹介した本。幼くして両親と死に別れ、妹とも生き別れになる。知的障害者のための施設などで育てられ、17歳でシカゴのさる病院の掃除夫兼皿洗いの職を得、その後シカゴ周辺のいくつかの病院を転々として、同様の仕事をしながら孤独な一生を送る。その間、一切発表の意志を持たないまま、膨大な量の物語を綴り、晩年にいたって今度はそれにイラストをつけはじめる。晩年病を得て入院した後、家主だった写真家がその部屋に入ってこの原稿と絵を発見し、これが世に出ることになる。

 この絵は様々なイラストや絵をトレースしたりして描いたものだが、異様な迫力を持つらしく、著者の死後、いくつもの展覧会が開かれている。わが国でも何度か紹介されている。
今年5月に『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』(作品社 ジョン・マクレガー著 小出由紀子訳 6,500円)が刊行された。著者はアメリカの著名な精神病理学者で美術批評家でもあり、精神病の画家たちを論じた大部な書物もある。
 この作品が世に出る経緯は重要ではない。出るべくして出たと言うだけで充分。関心を引くのは
「  ところで、ぼくはダーガーを異常な天才としてでなく、フツーの欲望をたまたま「作品」という形に昇華させることのできたフツーの生活者、として捉えてみたいと思う。」
 という紹介者の捉え方だ。二十世紀の一つのテーマはフツーが実は一番異常で偉大なものだったという真実である。『ユリシーズ』然り、ビートルズ然り、あるいはナチス(ファシズム)然り、「アメリカ」然り。
 また一方で、「たまたま『作品』に昇華させることができた」のは、やはり異常な才能である。

 どちらにしても「『個室』化の進行する現代においては、ダーガーがシステマチックに行っていたような『現世否定』の方法を、程度の差こそあれ各人が確立しておくことは、健全な日常生活を送る上での条件の一つになる(?)のではないか」という紹介者の指摘にはほぼ百%同意する。

2000年 8月 19日 (土) 曇ときどき晴れ。

 8時前起床。
 朝食、胡桃パン、和布キャベツ、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 小学校の校庭で恒例のこの辺一帯の自治会主催の夏祭り。PTAはバザーの店を出す。9時半に一度学校へ行くが、すでにテントは張られていてやることはほとんどない。10時半に一度帰宅。ウィンズ・カフェの川村さんに告知文を書いてメール。

 トンボ鉛筆からメールが二通入っている。はじめのは先日問合せたオセアニック・シャープは販売終了で悪しからずという内容。翌日の2本目では、海外事業部と検討した結果、国内販売可能となったとのことで、代金消費税込み2,100円を切手で送れば折返し商品を送るとのこと。なかなか小回りのきく対応で喜ぶ。

 昼食、カレー・ライス。
 Amazon.comより古本で買った H.G.Wells EXPERIMENT IN AUTOBIOGRAPHY。アメリカ初版。カバーなし。それ以外は問題ない。通販で古本を買う場合、こういう条件がわかりにくい。unreadable なものをつかまされる可能性もないとは言えない。

 iBookがようやくもどってくる。
 3時に学校へ。机など出し、四時過ぎから商品を出す。テキ屋の人たちが目ざとく見つけ、とりわけたこ焼き屋の夫婦がめぼしい商品をしこたま買っていったらしい。PTA会長が本番が始まった時、商品がなくなってしまうと、一部の商品を引上げる。

 夕食、PTA本部でとった仕出し弁当。
 後は、特にやることもなく、テントの中に腰を降ろして、ビールなど飲んでいた。校長さんが7時頃、様子を見にくる。今年は例年になく人出が多い。やはりこの辺の住民の数が増えているのだろう。幼児、いわゆる未就学児がたくさん眼につく。各自治会等で出した屋台はすべて完売。われわれのバザーも残ったのは体操服と白衣が一つずつという完売。先日の炭焼きイベントで焼いた炭も教頭さんが出したサルビアの株もはける。9時半過ぎ、抽選の終るのを待って、引上げ。あちこちに貸し出していた机がなかなかもどらず。借りた相手がきちんと返してこないのが問題。最後の机が見つかったのが10時半。そこで解散。

 帰ってシャワーを浴びてから、iBook を確認。HDの中身は手をつけられていなかった。が、クリック・スイッチがやたら硬くなっていて、クリックを保持するのが結構大変。iMac からデータ等を移す。AirMac とイーサネットを使ってのコピーはやはりおかしい。はじめのうちはいいのだが、2度目からは少しコピーしては止まるのを繰返す。なんだかんだで就寝1時半。

2000年 8月 20日 (日) 晴れ。朝のうち曇って涼しい。

 8時過ぎ、起床。朝食、昨日Kが焼いた南瓜パンにブルーベリィ・ジャム、プチトマト、コーヒー、グレープフルーツ・ジュース。

 実家に本を運ぶ予定だったが、おふくろが熱を出して寝ているというので中止。
 昼食、昨日のカレーの残り、北京餃子、揚げ茄子、ご飯。昨夜遅かったため、昼食後、眠くなり、仕事部屋でセント・ニコラス・オーケストラのテープを聞きながら寝てしまう。

 午後、日記の打込み。一昨日のヘンリー・ダーガー Henry Darger が気になり、ネットで探索。作品社のサイトに本の紹介とともにダーガーについての紹介もあり、名前のスペルがわかったので、Amazon.comで検索すると、来月、その絵とテキストの一部をまとめた本が出る。美術本でAmazon.com価格で65ドル。Amazon.comに紹介されていた5枚の絵を見るかぎり、これはぜひ見たい。それにしても絵に対する評価に比べ、テキストについての評価はあまり見当たらない。全体の量が膨大過ぎることもあるのだろうし、著者がきちんとした訓練を受けてもおらず、また知的障害もあったようだから文章の読解は難しいのかもしれない。ある程度首尾一貫した物語になっているかどうか。それにしてもタイプ原稿で15,000頁ということは、一頁400字詰三枚としても三万枚。千枚の長編30冊分。作者の病気入院によって制作が中断されているわけで、当然未完。これも二十世紀の特徴だ。

 夕方、中央図書館に架電。休館日を確認。第一木曜と第三月曜だそうだ。電話での蔵書の確認、リクエストにも応えるとのこと。それで中央図書館の蔵書検索システムを市のウェブ・サイトから利用しようとしたら、サーバを落しているらしい。利用時間内だけ動かしているとすれば何のためのインターネットか。

○Orkiestra P.W. SW. Mikolaja Z WYSOKIEGO POLA (From the Hills); 1995c, cassette
Orkiestra P.W. SW. Mikolaj  セント・ニコラス・オーケストラのセカンド・アルバムにあたるカセット。アレンジのスタイルはすでに確立されている。おそらく、録音では最初からできていたのだろう。フレーズ毎に担当楽器を替えたり、楽器同士のコール&レスポンスをしたりするのはクラシック的でもある。リズム楽器は控えめ、笛が大きな顔をしている。かと思うとパーカッションと口琴の伴奏に女性二人のヴォーカルが乗ったりする。ウェブ・サイトの説明によれば、半分カルパチア・ウクライナ、半分ポーランドの音楽の由。確かにA面とB面で雰囲気が変わる。A面は全体に昏い曲調が多い。B面はCDのファーストとも共通する曲も多く、こちらがウクライナと思われる。こちらでは、アフリカ的なリズムを動注し、ちょっと「ウイマオエ」を想わせる曲もある。音質はカセットのため制限されるところもあるが、録音はやはり良い。

 夕食、豆腐ハンバーグ、大根卸し、人参のグラッセ、ポテト・フライ、榎と大根の味噌汁、ご飯、昆布の佃煮。

 11時前、ヒデ坊からファックス。折返し架電。日比谷野音のどんとのトリビュート・ライヴから北海道のライジング・サン・ロック・フェスティヴァルへの猛烈な強行軍でへろへろの由。それにしても聞きしに勝るひどいスケジュール。まあ、話を受ける方も受ける方なのだろうが。

 ヒデ坊から頼まれたアンディ・アーヴァイン宛の手紙は明日にしようかとも思ったが、早い方が良かろうとすぐにやってファックスで送る。

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