大島教授の[暖蘭亭日記][2001年 5月 28日 (月)〜2001年 6月 03日 (日)] [CONTENTS]

2001年 5月 28日 (月) 晴れ。

 朝食、目玉焼き、春雨・胡瓜・人参のサラダ(昨夜の残り)、薩摩揚げ、ご飯。

 ミミカキエディット改めmi の新版、NewNOTEPAD Pro β6.1 をダウンロード。mi はUNIXのシェル・スクリプトを直接編集できるようになっている。直接使うわけではないが、Macの他のエディタではできないのではないか。

○Beginnish STORMY WEATHER; Inish Records, 2001, Ireland
 ギターのギャヴィン・ラルストンが加わり、バンド・サウンドの厚みが増した。ただでさえドライヴ感は強かったのだが、このギターはさらに強力。選曲と組合せのセンスの良さはやはり抜群。ブレンダンの歌にも一段と磨きがかかる。う〜む、何も言うこと無し。ひたすら浸る。

 昼食、豚肉生姜焼き(Kの弁当の残り)、豚肉・筍・搾菜の中華風炒め、ご飯、バナナ。

 リスペクトからサンプル2枚。安里勇『海人:八重山情唄』と THE ROUGH GUIDE TO INDONESIA。MOJO6月号。London Review of Books, Vol.23 No.10。Felmay からカタログ。

 午前中から昼食をはさんで『青』。一段落ついてから「クラン・コラ」臨増編集・執筆。

 午後、民音・Iさんに架電、マイレット&トゥリーナの公演スケジュールの件で確認。発表されている時刻は開演時刻。開場はその30分前。また料金は前売・当日一律。相模大野は一階席は売切れた由。フィールドの洲崎さんが原稿の中で大阪の席がぴあではもう買えないと書いていたので、訊いてみると、ぴあの割当てが売切れたということではないかとのこと。

 夕食、大根の葉の味噌汁、生利煮付、茹でグリーン・アスパラ、ご飯。

 夕食はさんで、メール書き。あちこち送る。

2001年 5月 29日 (火) 晴れ。

 朝食、鯵の開き、榎と油揚の味噌汁、小松菜煮浸し、茹でグリーン・アスパラ(昨日の残り)、ご飯、ユカリ。

○Makam A PART; FONO, 1998, Hungary, Tower Shin'juku
 どこかにありそうで、どこにもない音。しっかりと根を張っていることは確かだが、しかしその根がどこへ延びているのか見えない。明確な形をとろうとしているが、形が定まるのはまだまだ先のこと。しかしここで鳴っている音は形をとろうとしているその途中ではない。ホログラフィはどんなに細かくしても全体の像は保持される。断片が集まって全体像を形成するにしても、はめ絵パズルではない。一つひとつの断片は独立している。最小単位の一音からアルバム全体、そしてこれを窓としてその向うに開ける世界まで。この音は一つひとつが完成されている。完結している。そのままで次への橋渡しとなる。将来をさし示す。熱帯? ミニマリズム? そういうコトバを必要とする時もあるだろう。しかしこれは、レッテルを貼ろうとしても貼りつかない。するりとはがれる。マリンバには聞くものの心を始原の状態に押進める魔法が宿る。始原とはたどりつくところ。帰るところ。けっしてそこから始まるところにあらず。

 権力を持つと人間は堕落する。誰でも権力は持つことができる。違うのは権力の大きさ、自分の言うことを聞かせることができる人間の数の多寡。持つ権力が大きくなればなるほど、堕落する距離も大きい。

 歯科。右下手前、麻酔をかけて削り、型を取る。空模様が怪しかったので、一度帰り、車で落合に薬をもらいに行く。

 メール・チェック。iMac でのSETI@homeのワーク・ユニットの解析が終わり、送るが受けとったものは、今送ったばかりのものと同じもの。まったく同じユニットを受けとったことは前にもあったが、連続してきたのは初めて。基礎周波数が若干小さいのも以前の場合と同じ。
 マイレットの1stをテープにおとす。実に久しぶりにダビングしたので、テープ・デッキの使い方に一瞬とまどう。

 歯の麻酔が切れたのは1時半。

 昼食、生利煮付、榎と油揚の味噌汁、小松菜煮浸し、ご飯。

 Magpie Bookshop から先日 ABEBooks.com で注文した David Meltzer の THE AGENT の古書到着。何と三部作の二冊め。一応独立の話らしいが、こりゃあ何とかあと二冊、手に入れねばならない。この本のあとがきをノーマン・スピンラッドが書いている。History Ireland 2001年夏号。MSIより新譜案内。

 MSI・Sさんに架電して、マイレット&トゥリーナ関連で生きているタイトルを確認。プランクトン・Aさんに架電して、来日メンバーの誕生日を教えてもらう。
 午後、「クラン・コラ」臨増制作続行。β版までこぎつけてアップ。

 夕方、リビングのテーブルで仕事をしていたら、HがこっちのiBookの方が格好は好きだという。今度のiBookはふつうになっちゃった、のだそうだ。するとMも一緒になって、こっちの方がいい、という。確かにキーボードは広々していて安定感があり、性能的にも9.1で、今の使い方をするには何の問題もない。やはりこれはもう少し使いたおすことにしよう。HDは30GBで交換手数料入れて45000円ぐらいだ。確かに30GBあれば、リナックスもMacOS Xも入れておける。リナックス遊びをしている暇がだんだんなくなってきてはいるのだが。

 夕食、チーズ・トースト、ロール・パンに苺ジャム、トマト大葉添え、牛乳。

2001年 5月 30日(水) 曇。

 朝食、鯵の開き、小松菜煮浸し(昨日の残り)、蚕豆、葱の味噌汁、ご飯、ユカリ。

○Makam DIVERT TIME INTO...; Fragile, 1994, Hungary, Tower Shin'juku
 メンバーの一人、12絃ギターとキーボードの Krulik Zoltan の作曲であるとジャケットに書かれているので、この人がバンドの核なのだろう。フロントはオーボエ、サックス。強いて分類すればエスニック・ジャズで、全部で6曲しか入っていない。あるいはプログレのファンなども喜ぶか。表面激しいものではなく、ノルダン・プロジェクトなどにも通じるが、音数は少なく、全体にゆったりと進行しながら、メンバー同士の、淡いが絆は丈夫な交歓を重ねてゆく。やはりコリンダは肉体派で、このマカムは知性派と言えそうだ。この二つはルーツ音楽の二大潮流というのはどうだろう。コリンダはあくまでもマジャールの伝統に忠実だが、マカムはむしろ、ルーツを相対化している。一つひとつの要素は何らかの形である地域のルーツ音楽なのだが、それを組合せた全体はユニヴァーサルな性格を備える。それにしても一見、慎重に、控えめに、勝手知ったる道を坦々とたどるように見えて、実はさりげなく誰も入らないところへ力まずに入ってゆくようでもある。傑作なり。

○GAVIN WHELAN; Tallaght Records, 2001, Ireland, Claddagh
GAVIN WHELAN  選曲、組合せと順番、トラックの配列、そういうものもある。一つのトラックの中で曲によって楽器編成やアレンジを替える工夫もある。しかし、一番はやはり主人公たる演奏家の演奏の良し悪し、ということになるのだが、しかしその良し悪しの判断の基準ないし理由を言葉で表現しようとするとはたと行詰る。息継ぎやタンギングのような技術的な部分はもちろんだが、それはむしろ副次的だ。ホィッスルのような単純な楽器では、ますますその説明が難しい。ただ、聞けばわかる。これはホィッスル・アルバムとして出色のアルバムで、ということはつまりアイルランド音楽のアルバムとして出色でもある。聞いていてなんとも気持ちがよく、耳にどんどん入ってくるが押しつけがましさは皆無。気持ちよく聞いていると、装飾音のつけ方、マンドリンやブズーキとの交歓、曲のつなぎなどでスリルを感じさせてくれる。リールも速すぎず、テンポ感が良いというのも優れたアルバムの条件ではある。歌としてうたわれている曲も、ホィッスルで十分にうたう。この曲はマイレット・ニ・ゴゥナルがファースト・ソロでうたっているもの。ルナサやベギニッシュはいわば期待通りだが、これは思いがけない分、快感度が高い。今年前半の収穫。

 昼食、鱈子、海苔、小松菜煮浸し、蚕豆、葱の味噌汁、ご飯、バナナ。残りものをかたづける食事。

 アマゾン・ジャパンから書籍1冊。Francis Parkman の Library of America 版 THE OREGON TRAIL/THE CONSPIRACY OF PONTIAC。

 2時前、急に雨が激しく降ってくる。30分ほどでやむ。
 2時頃、東京創元社・Yさんから電話。ニューヨークでは地下鉄で二度乗りまちがえたり、一日8件のアポを消化したりするので大変だったらしい。Nuala O'Faolain の MY DREAMS OF YOU については否定的な回答をしておく。

□Thomson, David THE PEOPLE OF THE SEA; Cannongate, 1954/1996, 223pp.
 アイルランド西岸からシェトランドにかけての大西洋岸には海豹が多く、人間との関係も深いらしい。海豹を殺して、肉、毛皮、脂肪を利用することも古くからされてきた一方で、海豹を殺すことへのタブーも根強い。また、海豹と人間との婚姻の話も少なくなく、ある村に、村人の誰もが海豹の子孫と信じている一族がいたりする。おそらくそう信じていないのは本人たちだけだろうが、それで特に差別されるわけでもないらしい。著者はアイルランドから、スコットランド、オークニィ、シェトランドまで、文字通り歩きまわり、海豹に関するフォークロアを丹念に集めてまわる。その紀行と集めた話をシームレスにつづって、一つの美しい本に仕立て上げた。著者が歩きまわったのは第2次大戦前から直後にかけてのことらしく、ここに現前する世界は当然、今はもう失われた世界ではある。が、人間は変わっても、海豹は変わらない。社会の様相は変わってもそれを作る人間は変わらない。ノスタルジーの匂いは薄く、むしろ、自然の片隅で、その一部としての自覚を持って生きる人びとの姿は美しい。生活水準から言えば、最低限のレヴェルだが、人びとには余裕があり、充分に生きているように見える。衣食足りて礼節を知る、と言うが、足るために必要な衣食は実はそんなに多量なものではないのだろう。

2001年 5月 31日 (木) 曇。

 朝食、ハム・トースト、プチトマト、胡瓜味噌添え、オレンジ・ジュース、珈琲。
 メール・チェック。「クラン・コラ」臨増の訂正。もう一度、メーリング・リストに上げる。

 アマゾン・ジャパンに行き、フランクリン関係の本を注文。自伝そのものの翻訳は岩波文庫のものしかないようだ。研究社出版から「フランクリン自叙伝」が西川正身の名前で出ているが、これは大学等の副読本用の英文注釈本らしい。もう一冊、「アメリカ古典文学叢書」の第1巻として『ベンジャミン・フランクリン』がある。が、中身がわからない。

 よくよく見た結果、iMacの iCab のクッキーの設定をiBookと同じにすると、買物籠に入れたものが消える現象がなくなる。
 リスペクトからソウル・フラワー・ユニオン新作のサンプルCD-R。

 1時過ぎに車で駅前。吉本家で昼食。キャベツ・薬味葱ラーメン。味付卵半分サーヴィス。有隣堂で岩波文庫版『フランクリン自伝』を買う。

 ルリエ5階の農業委員会の会議室にて教育研究所・ボランティア調査研究界の月例会。5時散会。車で帰ってきたら、高校前の停留所にKがいたので拾う。

 Kの依頼で Sicentific American に1年間の定期購読を申込む。

 夕食、豚肉生姜焼き、トマト大葉添え、大根味噌汁、ご飯。

 夜、メール・チェック。「クラン・コラ」臨増最終訂正。配送テストの後、一ヶ所訂正。11時40分配送予約。

 『フランクリン自伝』の文庫版の解説によると、底本にしているテキストが古いものらしい。この翻訳自体、戦前のものだし、西川正身による改訂も1957年だ。それ以後の研究の成果は取入れられていない。

2001年 6月 01日 (金) 曇。

 朝食、えぼだい開き、茹でブロッコリ、プチトマト、葱味噌汁、ご飯、ユカリ。

○Urbalia Rurana SARAU MEDITERRANI; TRAM/GMI Records, 1998?, Spain, Tower Shin'juku
 ヴァレンシアはスペインの中でも叙情的、マッチョとは対極にある。それが地中海に面している故かいなかは、ここからはうかがえない。後半、地中海的要素が濃くなるのはアラブ的メロディでアップ・テンポの曲が入ってくるからだが、この種の曲と、前半に顕著なヴァレンシアの叙情曲とは最後まで融合しない。曲により、截然と二つのタイプに別れる。観客の反応はアラブ的曲に熱いように感じられる。ポリフォニー・コーラスがこのバンドの一つの売りのようではある。が、サルディニアのような、異質の要素がぶつかり合っている地中海的なポリフォニーではなく、ハーモニーの組立ては予定調和的。すなわち、ヨーロッパ市民社会的。写真では女性の姿も見えるが、声は聞こえない。

 上記アルバムのデータを打込んでいて、楽器名を辞書で引いてみる。なかなかない。『西和中辞典』が見当たらず、高橋『西和辞典』を久しぶりに使う。ふと「まえがき」を改めて読むと、これが傑作。辞書のまえがきとしては出色の文体と内容。
 このアルバムにはヴァレンシアの方言が使われているらしく、アルバムのタイトルもそのままでは出ていない。「夜会」の意味の "sarao" のことだろうと見当をつける。ライヴでもあることだし。

 昼食、海苔、ゆかり、ご飯、茹でブロッコリ、バナナ、チーズ・トースト、牛乳。

 午前『青』。午後、音友ガイド本のためのリスト作り。

 MOJO5月号。推理作協より会報、会費請求書、推理作家協会賞受賞パーティの案内。今年の協会賞は菅浩江さんだそうだ。苦労が報われて、よかった。

○Various Artists CELTIC CHRISTMAS II; Wihdham Hill, 1996, Celtic, Amazon.com
 クリスマスには本来たがいに関係の薄いある集合をまとめる力があるらしい。それで良い音楽が聞けるのであれば、文句をいう筋合いではないが、クリスマスはまたあまりにも俗な手垢が分厚くついている。ほんとうに良いものを求める人間は手垢のついたものを避けることを知っている。聞いていて身のうちの熱くなるのを覚えることは少ないが、いかに冷たい音を装っても、クールな肌ざわりを求めようと、一枚皮をめくればそこにあるのは、ドライアイスのものにもにた熱さ。ジェイムズ・ゴールウェイのフルートにさえも、その熱は宿る。ミホール・オ・ドーナルに支えられて舞うケヴィン・バークのフィドルの冷静さ。マイレット・ニ・ゴゥナルのいつもよりもぐっと押さえた歌唱。トゥリーナのヴォーカルもまた。おそらくはこの表面のクールさ、醒めた、ひんやりとした感触はミュージシャンの内から浮かんだものというよりは、磨きあげた音の表面に写ったレーベルなり、アメリカなりの幻影、期待の影だろう。

○Ronan Hardiman WATERWAYS; Hummingbird, ?, Ireland, gift
 サンプリングですべてやっているのか。だとすれば、生楽器を雰囲気をここまで出せるのはなかなかのセンス。しかしそれ以上のものはここにはない。『ロード・オヴ・ザ・ダンス』でも感じたが、この人はメロディ・メイカーではない。その点で、ビル・ウィーランにもショーン・デイヴィにも比べられない。

 夕食、葡萄パン、胡桃パン、プチトマト、トマト大葉添え、ロイヤル・ミルク・ティー、苺。

 Kが、アンデルセンで申込んでおいたシールをためてのプレゼントのパン切り専用まな板を使う。なかなかよろしい。

 Hが算数の宿題でうんうん唸っている。少し手伝う。なんだかんだで、10時過ぎまで。
 一つ、割り算を使う問題を作れ、という課題があり、入浴しながら考え、ようようにしてひとつ思いつく。ふだん問題を作る習慣がないのが歴然。

 SETI@homeの解析済みユニット数がめでたく250に達する。ひとつのメルクマールとして、達成者はSETI@homeのウェブ・サイトに名前が載る数。まあ、必ず載るとは限らないみたいだが。順調にいけば、今年中にあと100は行けるだろう。もっとも次の目標は500個だ。

 と思ったら、250個目の送信と入代わりに受けとったユニットが「壊れて」いて、iBookでも十分足らずで終わってしまう。

2001年 6月 02日 (土) 曇。

 朝食、葡萄パン、クロワッサンにハムをはさんだもの、トマト大葉添え、オレンジ・ジュース、珈琲。

○Davy Spillane & Kevin Glackin FORGOTTEN DAYS; Barrenstone, 2001, Ireland, Tambourine
 昨年末来日時のレパートリィと同じく、比較的有名な曲が多い。ダブリンで70年代前半に浸っていた音楽とのことだが、そうした経過を経て有名になったものかもしれない。そこでよく演奏されていたからこそ、こちらの耳にもなじんでいる可能性は高い。あるいは当時はまだレパートリィの地方性などもあったのだろうか。スピラーンのパイプにはどこか華がある。大らかな、あっけらかんとした、スコーンと抜けてゆく感覚。と同時に、センスの良い、かなり考えぬかれているだろうレギュレイターの使用。ケヴィンのフィドルは、まだこれという特徴がわからない。しかしスピラーンのパイプには合っている。中心にどっしりとメロディ・ラインが座り、ときおりその両脇に音がはずれてアクセントになる。ユニゾンの快楽。

 『グランド・コンサイス』には "Global Positioning System" の略としては "GPS" が出ていない。

 昼食、釜揚げ饂飩、茹で卵、アイスクリーム。

 市から市県民税納付通知。Amazon.co.uk から書籍1冊。Tim Pat Coogan の WHENEVER GREEN IS WORN。アイルランド移民の歴史の集大成。民音からパンフ見本。
 アマゾン・ジャパンに Rough Guide to Irish Music のカスタマー・レヴューを書いて送る。

 夕方、SETI@homeのユニットの解析がiMacで一つ終わったので送る。その後、個人データを見ようとしたら、サーバへのアクセスが禁止になっている。Sherlock で捜すと、日本語版のページがあったので、そこで見てみたら、個人データは参照できたが、250個里程標のページにはやはり禁止で飛べない。

 SETI@home日本語版のサイト。
http://www.planetary.or.jp/setiathome/home_japanese.html


 届いたばかりの Tim Pat Coogan の本の中に、日本へのアイルランド人「ディアスポラ」の章があり、そこだけ目を通す。日本との関係では黒船のペリーがアイルランド系だったのは初めて知った。ラフカディオ・ハーンは結構大きくとりあげられているし、イエイツへの能の影響の話も出てくる。トム・ムーア・メロディの "hidden contact" や、日露戦争の際、海軍が買って使おうとした世界最初の潜水艦を作ったのが、アイルランド移民のアメリカ人技師だという話。東京でのセント・パトリック・デイの規模の拡大の話。大使館の公式のコメントで、在日のアイルランド人が500〜1000人となっているが、実態はその5倍はいるだろうという話。競馬の話。皇后美智子が聖心女学院で修道女から教育を受けてアイルランド好きになったという話。アイルランド人的な視点から見たわが国社会の性質などもあって、辛辣ながら的を射ている。個々の話はおもしろくなくもないが、そこから何らかのヴィジョンを引出すまでにはいたっていない。あるいはヴィジョンを引出せるまでに、わが国におけるアイルランドの人と文化のプレゼンスは大きくなっていない、ということか。

 皇后の話のところでおもしろかったのが、皇后自身は誰もから敬愛されているが、皇室の取巻きが1200人強いて、これは貴族崇拝の右翼俗物と保守主義者の集まりで、これに比べれば英国の王室すらリベラルといえるほどだ、という一節。「1200人強」という数字が何をさすのか、ちょっとわからない。皇室本体はどんなに広く数えてもこんなにはいないだろうから、宮内庁の職員の数か。で、省庁別の職員数を捜したら、人事院のサイトに出ていた。
http://www.jinji.admix.go.jp/hakusho/h11/contents/hbss10.htm

 1999年3月31日現在の数しかないが、宮内庁は1,056人。当たらずといえども遠からぬ数字ではある。皇族の数はざっと数えて30人弱。これは宮内庁のサイト。

 夕食、納豆、蜆汁、薩摩芋と鶏挽き肉の煮付、ご飯。

2001年 6月 03日 (日) 晴れ。

 朝食、炒り卵、莢豌豆のバター炒め、グレープフルーツ・ジュース、ハムをはさんだクロワッサン、珈琲。

 朝刊読書欄。

■『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そして ぼくの大量読書術・驚異の速読術』立花隆、文藝春秋。沼野充義 評。
 これらの文章を読んではっきり見えてくるのは、立花隆がインターネットを駆使し、膨大な情報の収集と整理に関してきわめて合理的に振舞うことのできるジャーナリストであると同時に、やはり紙の書物を人間の知的宇宙の基本と考えるちょっと「古風」な読書人でもあるということだ。ここにはおそらく本人もはっきり自覚していない一種の自己矛盾があるのではないだろうか。そこが、立花隆の意外な陰影と魅力にもつながっているのだが。
 (中略)
 ちなみに糸井重里は、東大で客員教授をしていた立花隆のゼミのサイトから強い刺激を受けたことがきっかけとなって、自分もインターネット上で「ほぼ日刊イトイ新聞」という超人気サイトを開くことになったという。その経緯は糸井重里『ほぼ日刊イトイ新聞の本』(講談社)に本人が詳しく書いている通りだが、これを立花隆の本とあわせて読むと、現代における書籍の出版やインターネットや情報の流通といった問題が大きく立体的に見えてくる。インターネットに早い時期からのめり込みながら、それでも紙の本の力を信じ続ける立花と、インターネットの可能性に自分の再生を賭けた糸井。対照的な二人の間に現代が広がっている。
 立花と糸井のこの姿勢の違いは、立花が書物を書くことを主な活動とし、糸井は広告のコピーを書くことを主な活動としていることから生まれる違いではないか。ありていに言えば、立花は紙の書物がなくなってはまだ現在では飯の種がなくなる。糸井は紙の書物に頼る必要はない。立花とて、紙の書物が将来ノスタルジーの対象以外には価値を持たなくなることは承知しているはずだ。しかしそうなるまでにはまだ少し時間がかかる。少なくとも今ブロードバンドと言われている通信速度のさらに上の次元の速度が実現し、望めばだれもがネットワークに繋がり、また、その上での著作権(著作者が著作物から収入を得る権利)の保護が現在の紙の書物や音楽著作権程度にならねば、紙の書物の「収入源」としての位置は消えまい。あるいは紙の書物を出すことが、著作権確立の条件となる可能性はまだある。

■『〈歴史〉はいかに語られるか』成田龍一、NHKブックス。三浦雅士 評。
 『歴史学のスタイル』成田龍一、校倉書房

 <語り>を問題にする筆者自身の視点も歴史的制約をまぬがれない。筆者はそれを自覚している。だが、司馬史観はそれを超越してしまっている。その超越が魅力だが、欠点でもあるというのだ。

 実際の文章にあたらなければならないが、「司馬史観」と言われるものが歴史的制約を免れているとはとうてい思えない。そもそもあれは小説、すなわちフィクションのための虚構ではないか。虚構を歴史そのものと「勘違い」する、あるいは無意識的にすり替え、それを基盤に歴史認識を行なうとすれば、「皇国史観」や「傲慢史観」と変わるところはない。

■『ヒトと生きものたちの科学のいま』岡田節人、岩波書店。中村桂子 評。
 ここで、環境因子(自然と人間の両方)が発生という形づくりの基本に影響を与えた事例をあげ、生物学と社会との接点を具体的に考えていく。因子の例の一つは、サリドマイドだ。(中略)当時、薬の検査に使われていたマウスやラットでは何も起こらなかったのにヒトでは異常が起きてしまったのだ。DNAの働きで見ればとてもよく似ている哺乳類で、なぜこの違いが見られるのか。DNA研究がこれだけ進んだいまも明確な答えはない。先にあげた有機体論(オルガニシズム)に注意が向く所以である。
 サリドマイドが動物実験では異常が見られなかった、というのは「発見」。確かに動物実験であれだけの異常が出れば、いかに何でも人間には使うまい。

 新潮社から『白洲正子全集』全14巻別巻1の刊行が始まったが、ちと迷う。漠然としたものではあるが、新潮自体の全集制作能力への疑問。例によって置き場所の問題。しかし、これも後になって買っておけば良かったと悔やむだろうという予想がないでもない。

 Mの机周りがあまりに汚くなっていたのをKが全部床にたたき落とし、かたづけている。Hの方には手をつけようとしないのは、無意識にせよ、ジェンダー的な行為かもしれない。

 昨日あたりから、眩暈がする。昨日は午前中、Sからかかってきた電話をとっていたとき。ちょっとひどかった。今日は、いま日記を書く、というより新聞書評欄から記事の一部を写していた時。脳の血管が悪くなっているか。

 昼食、鰹の叩き、小松菜煮浸し、豆腐と油揚の味噌汁、ご飯。

 仕事は『青』。意外と進まず、結局夕方までかかってノルマ。

 夕食、カレー・ライス。夕食後、日記を一つ整理して久田さん宛送る。

 夜、9時頃、音友・Sさんから電話。インタヴューの件。
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