『NoControl』

のびのびと、のびやかに  平安隆&ボブ・ブロッツマン『童歌』

 のびのびしている。平安さんのうたも、ボブのギターものびやかにのびてゆく。そして何より、うたわれているうたたちが、こうしてうたわれるのが嬉しくてたまらないようにのびのびとうたわれている。

 空気がのびのびしている。この録音が行われた竹富島のその空気ものびのびしているだけではない。今ぼくの耳にこの音を届けるために震動している、ぼくがそれを呼吸しているこの部屋の空気ものびのびしている。この音楽を伝えるのが嬉しくてたまらないように、のびのびと響いている。

 こうしてのびのびとした空気に囲まれて、その空気がのびのびと伝えてくれる音楽にひたっていると、心のひだに溜まっていた澱がさらさらと洗いながされてゆく。ああ、俺の心にはこんなにいやなものが溜まっていたのだ。いつの間にか、感情の塊や、今となっては意味のないこだわりや、どこにも繋がらない知識の切れ端が、こんなにもこびりついていたのだと今さらながら驚く。そしてそれが、のびのびとしたメロディにさらされ、のびのびとしたリズムに揺さぶられると、みるみる細かい粉になり、雪解けの水に洗われる去年の埃のように消えてゆく。すると、こびりついた澱に動きも感覚もにぶくなっていた感性や知性が、大きくのびをして起きあがってきた。そうか、こんなにも俺は息が詰まっていたのか。

 わらべ唄だ。子どもの頃、聴きながら大きくなってきた唄そのものではないけれど、わらべ唄は世界中のわらべ唄がともに持っているものがある。名前をつけられるものではない。むしろそれは時とところによって姿を変える。地球上の人間すべてに通じる普遍性を持ちながら、一人ひとりの人間の中では同じものは、これまで一つとしてなかったし、今もないし、これからもないはずの一回性のものでもある。ぼくが聴いていま胸の内に生まれている「これ」は、あなたが聴いてあなたの胸の内に生まれる「それ」と同じものではないけれど、しかもなお、誰の胸にも生まれるものでもある。これが自分だけのものであると同時に、地球上の全ての人間と共有しているものでもある、そう感じるとまた、言いようもなくのびのびとしてくる。今度は内側から広がる心に押されて、体までも開いてゆく。

 希代の唄者、平安隆と、レゾネイター・ギターの能力を極限まで開放した魔術師ボブ・ブロッツマンの出会いは、このように幸せな果実を実らせた。その実をゆっくりと味わいながら、今日もまた半歩でも、いや1ミリでもいい、前へ進もうと思う。
text by 大島 豊


[スペシャル・インタビュー]ボズ・ブロッズマン by 中山義雄


[B E A T E R 's E Y E]