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蔡可茘『【悟】佛曲傳心燈』

■蔡可茘『【悟】佛曲傳心燈』 香光縁 SKY-CD-152

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あの蔡可茘が功徳を積んだ。

タイトルからも伺えるように、99年の新作は仏教歌集。星雲大師だとか心然法師とかいうやたら偉そうな名を持つ人が作詞者として名を連ね、曲名が「観音霊感歌」「皆大歓喜」「甘露歌」。でもって音はといえば木魚がポクポクいってるし、鉦がチーンと鳴ってるし。そいで、コーラスはアレでしょ、本邦で言うところのなんまいだ〜。これはもうははーとありがたがって拝聴するしかないでしょう。極楽浄土に導かれたいのなら。

そんなところに行きたいとも、また行けるとも思っていないぼくは、まずぐふふと笑ってしまいましたけれど。

でも、他人の信心を笑っちゃいかんですね。他人の神を笑ったりしちゃ、絶対にいかんです。命、落とします。だもんで、謙虚な気持ちで聴き直してみることにしました。したらば、この素朴で禁欲的な音世界に心が洗われる思いがしてくるから不思議でございますね。……全然本気じゃないような書きぶりですが。

心が洗われる。これは、でも、嘘じゃないです。
童謡、唱歌の類いを思い起こさせる「惜縁」「清浄法身佛」などの旋律と、なんのテクニックもない、ただていねいに歌ってみましたというだけの歌唱。これがなかなかどうして新鮮です。これ、美しいと思います。コーラスごとに重なってくる声に、戦慄が走ったりもいたします。そんなことがなぜという気もしますが、それが美しい旋律の力というものなのでしょう。どうにかすると歓喜の涙が流れてきそうな気さえします。地味だけど、目立たないけど、この汚れのなさが得難い美しさだと思われます。

そんな「惜縁」をはじめとして何曲かは語りを伴うのですが、なぜか連続ドラマの「これまでのあらすじ」を聞いているような気分になります。あるいは映画の導入部、ちょっとした設定や世界観の説明、みたいな。これが簡素なバックの音と旋律ともあいまって悪くありません。というか、雰囲気あります。さぁ、西の都めざして絹の道を行こう、みたいな。「どこが仏教歌やねん」な解釈ですが、そこに「なんまいだ〜」の連呼が重なると、妙な迫力を持って迫ってくるんですな。悟空にとっては冒険の旅も、玄奘にとっては信心の旅に他ならなかったことを、それは思い起こさせるのでした。と、これはほとんど「慈光」のことを言っているのですが、これが今回のぼくにとってのベストトラックだったりします。

従来の蔡可茘らしい味わいは、「自如」に見出すことができます。かつての日本の歌謡曲に似たなまめかしい出だしを持つこの曲、おそらくはそんな旋律が要求するのでしょう、他の曲にはない色気を蔡可茘は漂わせます。が、そんな曲にしても連呼されるのは「なんまいだ〜」ですから、なまめかしさも色気も、気品ある観音像の謎めいた口元にすぎないのでしょう。

というようなこの『悟』、アップテンポなナンバーに魅力があった蔡可茘が放った異色の充実作といっていいと思います。音にもう少し深みがあれば、東洋の神秘としてあざとく欧米に売り込んでもいいかもしれません。西洋人なみの東洋趣味の持ち主ではぼくはないけれど、好きです、これ。VCDのオマケつきだし。
(99/08/08) text by まるこめAboutMe!
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