民族性や土着性といったものを排したところで繰り出される緩急自在さの上に、クリスティナーの成功はあったと思う。思うが、しかし、この新作の冒頭で、ぼくらはいきなり異国に放り込まれることになる。で、その異国というのが、タイではなくインドなんだな、これが。なぜか。
……インドでしょ?インドですよね?
言ってしまってから腰がひけてしまうのは自信のなさの表れだが、まー、こんなもんですな、ぼくの言うことの真偽なんて。根拠なんかありゃしない。裏を取ったりもまるでしない。よく知りもしないことを大きな顔して胸張って、しかも仁王立ちして言ったりする。はい、それでいつも皆を煙に巻くというわけにはいかず、じわじわと自分の首まで締めてますぅ。おろろっ。
というわけで、とにかくそうと決った冒頭曲の意表を突くインドっぽさ、これはしかし、イントロだけにとどめられ、ひとたびヴォーカルが出るや、そこはいつもながらのビートの世界。
と思いきや、これも異例の男声コーラス隊の登場。わかりますか、タイの男声コーラス。異様ですね。異様ですよ。異様でしょ?
慣れない人がこの声聴いたら、絶対笑っちゃいますって。美声というものに対しての感覚の相違なんでしょうかね。それだけじゃないんだろうなぁ、とも思いますけど。
これがクリスティナーに絡んでくることになるとは思ってませんでしたねぇ。いや、ぼかぁ、すっげぇ気に入ってんですけど。この絡みの後のクリスティナーのノリがなぜか一際よく、さらには恐ろしくタイッぽく感じられるんですな。おっ、姐さん、タイだねっ、粋だねっ。そんな声のひとつもかけたいほどに。
んで、曲はサビへと向かうわけですが、こいつぁ耳に馴染みますねぇ。つうか、非常に覚えやすいんで、ふと口をついて出てきちゃいますねぇ。のどかで素直で、さらに軽くて明るくて。ああ、音楽ってやっぱりメロだわな、とか思いますね、ぼくは。かくて、我が家では全員の鼻歌となりつつあります。
そして、曲は間奏へと。ここが実はキメなのかもしれません。がらりと曲調が変るんですな。それはもう見事に。なんに変るか。ラテンですよ、ラテン。ストトト、ストンとゆったりめのパーカスに導かれると、やがて蛇腹が鳴りギロが鳴りブラスが鳴り出し、といってもほとんどは打ち込みなんですが、なぁんか絢爛豪華っ!どれぐらい絢爛で、どれぐらい豪華かというと、昭和30年代にバンバン海外ロケ敢行された総天然色映画を見たぐらい。
なんだかよくわからない比喩だけれど、こうしてぼくはタイトルも読めない冒頭1曲に搦め取られ、全曲を聴き込むまでには今もって至らないのであった。しっかし、この夏のタイ料理屋のBGMはこれで決りさ。間違いなく。 |