侮りがたし、インドネシア。インドネシア、恐るべし。
ヘティの『うぶ毛』でぎゃははと笑い転げた後、真顔に戻ってふと思ったのはそれだった。
続けて聴いたイチェに再びのけぞり、心も体も弛緩させたまま、ぼくはまたしても思ったものだった。西欧にも日本にもなんら聴くべきものがないと嘆く往年の音楽少年を尻目に、こんなに痛快な音楽がインドネシアで作られているのなら。ならば、ぼくは。ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは。ぼくはインドネシア人になってしまいたいっ。
というわけで、イチェ・トリスナワティの『アドゥ・アドゥ・チンタ』。
抱腹絶倒。痛快無比。そんな形容がこの作品にはついて回る。つけて回っているのは他でもないこのぼくだ。なぜか。誰も触れ歩いてくれないからだ。
『うぶ毛』のことなら、目を潤ませた評論家がいくらだって書いてくれた。だが、このイチェ作品は、とある音楽誌でその年のワールドミュージック部門のベスト5だかなんだかに入りはしたものの、だからといって国内盤が出るでも語り継がれるでもなく、たった数行の活字になっただけで終ってしまったのだった。となれば、これはもうぼくが書き留めておくしかないではないか。というか、書き放題ではないか。うひひ。なにを今さらの10年も前(もっとか?)の作品だとはいえ。
が、著しい速度で音楽が消費されているらしいインドネシアにあって、10年前の作品は絶望的に古い。古いと思う。現地のカセット屋を軒並み漁っても手には入らないだろうと思う。絶望的だと思う。まして日本においてをや。ということはつまり、空しさを誘いこそすれ、書き放題だなどと笑っていられる代物ではないのであった。くぅううっ。
などとぼやきつつも聴き直してみれば、ぎゃはは、やっぱりこれは愉快、爽快、痛快ではないか。タイトル曲のこの、ところかまわず、おかまいなしの能天気さはどうだ。一転、続く「KAKANDA & ADINDA」で売られる媚び。この声にしてこの媚び。節回しのそこかしこに、彼女が流し目をくれる様子が垣間見えるというものだ。そして、3曲めの「KU RINDU」。この位置にこんなスローなバラードを持ってくる配慮が憎い。ここまでですでに勝負あったという感じだが、後半締め直す手綱さばきがまた見事。すなわち、サビのズンドコビートが意表を突く「AH...MASA IYA SIH」と、魅惑のイントロが名曲を予感させる「SENIMAN BERKARYA」の2曲。
これらの曲は、ただ異なる言語で歌われているというだけで、実は戦後日本の歌謡曲と同質のものかもしれない。さらにいえば、歌謡曲以外のなにものでもないかもしれない。誤った形での大東亜共栄圏の夢は当然の帰結として潰えたが、改めて歌謡曲をキーワードにアジアをみるとき、思いもかけぬ大きな版図がそこに広がっていることに驚く。そんなインドネシアからマレーを経てインドシナへと続くぼくの旅の端緒に、快作『アドゥ・アドゥ・チンタ』を引っ下げたイチェがいたのだった。 |