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キム・ヘヨン『カンクン・ナムジャ1』

▲ キム・ヘヨン『カンクン・ナムジャ1 TOPCD-O34
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マレーシア華人である蔡可茘とともに、ぼくのなかに流れる血に揺さぶりをかけるのが韓国ポンチャックの女王と称されるキム・ヘヨン。漢字で書くと、金惠蓮。これはまた、キメヨンとも変化するらしい。……なら、カン・ヘヨンはカネヨンで、クレンザー会社の創業者か。

「肝っ玉の太い男」と訳されるらしい「カンクン・ナムジャ」シリーズの『1』、リリースは94年の5月。3年というタイム・ラグがなんとも悔しいが、自分のなかに流れる血に目覚め、胸を張ってそれを認めることができるようになって以降にこんな作品と出会えたことは、どこか因縁めいてさえ思える。聴かなかったことにはもうできない。もう唾を吐きかけたりはしない。愛憎相半ばするなどとはもう言わない。愛だけを持って、ぼくはこれに接する。ここにあるすべてをぼくは受け入れる。出会うべくして、ぼくはキム・ヘヨンに出会った。

全19曲、ノン・ストップの47分。これでもかとばかりに繰り出される旋律の、なんと楽しく懐しいことだろう。歌うヘヨンの、なんと表情豊かなことだろう。彼女の口をついて出ることばの響きの、なんと甘く切ないことだろう。日本の歌謡曲が最も幸せだった時代を、ここに垣間見るような気がぼくはする。フォークは歌謡曲よりエラい、ロックはフォークよりエラい、Jポップは演歌よりエラい、踏絵のようなこの国のそんな図式を、キム・ヘヨンはあっさりと軽やかに超えてみせる。呼び名こそ違え、似たような呪縛と葛藤はかの国にだってあるはずだ。誰が誰にために作った歌か、誰によってどう歌われるべきか、そんな議論をも蹴散らして、キム・ヘヨンはすべてをその手許にたぐり寄せる。それを可能にするスピードを備えていたのがポンチャックだったのだろう。

しかし、さらに高速化を図った『アッサ超特急』にはないあっけらかんとしたのどかさ、どこかにまだ空き地や広場を残したような佇まいがここにはある。超特急に乗りそびれた人も、この列車には躊躇なく乗りこめそうな気がする。車窓からは、幼い子のぬり絵のような色彩に満ちた景色が広がる。そこで朝を迎えて思うことが「さぁ、今日も楽しいぞ!」以外にあるだろうか。

古びた襖に穴を空けて走りまわる彼女の姿が、ぼくには浮かぶ。それって、すごく格好いいことなのだ。やがて、彼女が破って歩くのが家のなかの襖だけに留まらず、隣の塀を蹴倒したり、外国資本で建てられた鉄塔を根こそぎにしたりする日だって来るのだ。来なければ嘘なのだ。

ところで、3曲め出だしの掛合い。なにを言うとるんや、おまいらは(笑)。意味が全然わからへんのがメッチャもどかしいやんか。
(97/07/12) text by まるこめAboutMe!
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