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メースイ『SAYONARA』

■メースイ『SAYONARA』 CD番号なし

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ビルマのポップスは無垢である。
成熟していないことや、世界の動向から遅れていることと、これはけっして同義ではない。ただもう、無垢なのだ。

『SAYONARA』は、ぼくにとって13枚めのメースイ作品。よく集めたものだと思う。相当に好きなのだろう。ただ、それがメースイという歌い手を指すのか、ビルマのポップスを指すのかは、比較すべき対象を数枚しか持たないぼくにはまだよくわかっていない。今のところ、ぼくにとってビルマ・ポップスはイコール・メースイでしかないのだった。

ジャケットのメースイはなぜか和装、振袖に扇子を持っていたりする。裏ジャケでは浴衣で、これもやはり扇子を広げ、そこには漢字が書かれている。さらに、日本語のネオンサインが輝く夜の街も写っている。単に日本語のある風景ではなく、どこか日本の街であることに間違いはないと思う。
で、アルバム・タイトルが『SAYONARA』なのだ。

これが意味することはなんだろう。日本のカバー曲ばかりが収められているということだろうか。確かにラストの曲は「サボテンの花」だが、それ以外の曲については聴いたことがあるような気がするというだけで、ぼくには断定することができない。とってつけたブラック・サバスのようなイントロから一転、一昔前の日本の歌謡曲を思わせる曲調の、一部日本語の歌詞を持つオープニング曲ですらそうなのだ。日本人が知らない日本の曲がビルマでは自国の曲として流行っているということも、だから、あながちないとはいえないだろう。

が、日本曲のカバーだろうとビルマのオリジナルだろうと、大した違いはないのだ。メースイが垣間見せるビルマは、タイより、台湾より、韓国より、うたそのものが日本に近い。それも「悲しくてやりきれない」や「風」の時代の日本。本田路津子やトワ・エ・モアの時代の日本。うたがみな旋律を持っていた時代の日本。サウンドに頼ることなく、アレンジの手を借りることなく、ましてカラオケの威を借りることなく、サビだけでなく最初から最後まで鼻歌で通すに足る美しい旋律を持っていた時代の日本。……世代的な異論もあろうが。

それがぼくをビルマへ、メースイへと向かわせる理由のひとつだろう。が、もちろんそれだけではない。音域も狭く、けっして達者であるとも思えないメースイの歌が、ぼくはなにより好きなのだ。タイなどで多く聴かれる艶のある声も、アジアでしか受け入れられそうもないねっとりとした歌い方も。

そんなメースイの魅力を堪能するのに、この『SAYONARA』はぴったりだと思うのだ。ただ、どこかで聴いたことがありそうなのにどうしても特定できないもどかしさだけはなんとかしたいので、昭和40年代からこっちの日本歌謡研究家にでも聴いてもらって、早いとこすっきりしたいものである。
(98/08/26) text by まるこめAboutMe!
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