韓国民謡が岡林に啓示を与えたのか。
あるいは、すでに目覚めたものがあったから、彼はそこにたどり着いたのか。
そんな疑問がふとわくほどに、このアルバム冒頭を飾る韓国民謡「ペンノレ」は示唆的で違和感なく、そしてなんとも力強い。ここに『ベア・ナックル・ミュージック』のすべてが凝縮されているといってもいいほどに。
皮製グローブ着用のルールが定められるまで、ボクサーはむきだしの拳でお互いを殴り合っていた。ベア・ナックルとはそのむきだされた拳のことだそうだ。よって、ベア・ナックル・ミュージックとは素手、つまり生楽器による音楽、それもロック・ミュージックなのだと岡林はいう。
これがはたしてロックと呼ぶにふさわしい音楽かどうか。そんなことにぼくの関心はない。ロックだろうと歌謡曲だろうとフォークだろうと演歌だろうと、うたはうただ。うたは手を変え品を変え、ってなもんで。
さて、ギターとハーモニカ以外は幾多の打楽器で奏でられる本作、そこに流れるリズムを岡林はエンヤトットであるという。 2曲め「DANCE MUSIC」、 5曲め「江州音頭物語」でもそれは語られるし、3曲めにいたってはタイトルもずばり「エンヤトットで行きまSHOW」だ。冒頭の「ペンノレ」も例外ではない。
これがロックであるかどうかに関心がないのと同様、エンヤトットという呼び名についてもぼくはどうでもいいと思っている。ただ、これはぼくの体に馴染み、血湧き肉躍らせるリズムであるという認識だけがある。そうとも、これはぼくらのリズムだ。誰もが知りながら、どこかで忌み嫌い、クサいと罵り、乗り越えようとしてきたあのリズムだ。
というと上々颱風に近いと思われるかもしれないが、あのようなサービス精神は岡林にはない。淡々と、ストイックでさえある。音も、声も、言葉も。むべなるかな。それが岡林なのだから。己がうちのリズムに目覚めても、見据える世界にさして変わりはないらしい。
それを踏まえたうえで、あなたはこのリズムで踊れるか。
ぼくは踊る。 |