好きだから。上手いから。声がいいから。見てくれがいいから。ついでだから。
そんな理由で歌うことを職業にしてしまった、職業にすることができた者たちとは明らかに一線を画す。
フィリピンのグレイス・ノノ。
志の大いなる高さを、彼女に見る。
他の誰であろうともしない。
グレイス・ノノ。それはまるでひとつのジャンルのように鳴り響く。
誰に導かれたわけでなく、誰に躍らされたわけでもなく、彼女はその高みに至る。
誰が導こうと躍らせようと、彼女の行き着く先におそらくさしたる違いはない。
グレイス・ノノ。 創造の神は95年のこの『OPO』において、まぎれもなく彼女に宿った。
構成の素晴らしさは、見事に展開する舞台を観ているようである。サウンド・プロダクションの密度、特に打楽器の使い方の妙は、頭を丸め前非を悔い、仏門に帰依してしまいたいほどである。そして、ドライヴ感と静寂な間とは、断続と継続とが織り成す渾然一体、不可分の領域だ。個々の曲について語ることの愚かさを、それは教え諭しているかのようでもある。
思うに、これは流行らない。流行ったりはしなかっただろうと思う。
思うに、これは売れっこない。大したセールスは記録されていないと思う。
しかしながら、これはたいそう美しい。
すべすべとはせず、きらきらともせず、軽やかでも全然なく、ごつごつ煤けてずしりと重いが。
グレイス・ノノ。
7000の島々からなる国の、うんと高いところに彼女はいる。
浮かれていると、その姿はたぶん見えない。 |