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OFRA HAZA『YEMENITE SONGS』

■OFRA HAZA『YEMENITE SONGS』 OFRA CD 1

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今さらオフラ・ハザでもないだろうと言いながら、しっかりこれを取り上げてしまうのですね、ぼくは。はい、好きだったですねぇ。

ウォーターフロントなんぞともてはやされながら、その実、陸の孤島のようだったMZA有明まで観に行きましたもん。ジャケットまんまではなかったものの、王家の棺から出て来たような衣装には、誰しもどよめきをもらしたものでしたな。ああ、懐かし。

あの頃、外盤屋には彼女の旧作がどっと並びましたが、そのほとんどを買い漁ったぼくは、ある日はたと気がつきましたね。この『イエメン・ソングス』は、オフラ・ハザにあって相当特殊な位置にあったのだと。例えていえば、全盛期の中森明菜が企画モノとして日本の唱歌集というのを出したら、なぜか世界で注目されてしまったと。……ちょっとちがうか。

両親の出身地であるらしいイエメンの民謡を多く集め、それ風に演奏されたのがこの作品ということになっており、日本人であるぼくらが抱く、あのあたりの地域へのイメージを、それはけっして裏切りません。たいしたイメージを持っていなくとも、この旋律をこの音でこの言語でやられたら「さもありなん」になってしまうことはほぼ確実でしょう。

それが日本のみならず、欧米でも起こってしまった。そういうことではなかったかとぼくは思っています。オフラ・ハザとそのスタッフたちの困惑ぶりがわかるような気がしますが、それは狙ってできることではなかったのです。「らしさ」は当の本人たちにはわかりませんから。思いがけず開かれた世界市場に色気を出さず、同族のためだけに歌い続けていたら、後のような作品はきっと生まれなかったでしょう。妙な勘違いに彩られた作品だったと、ぼくはそれらを評価しています。

とまれ、 オフラ・ハザは『YEMENITE SONGS』と「IM NIN' ALU」によって世界の目を中東へと向けさせました。70年代ポップスにおけるショッキング・ブルーをぼくは連想せずにはいられませんが、あの時期、彼らによってポップスというものに目覚めさせられたことを思えば、オフラ・ハザがぼくに教えてくれたのは、欧米のポップスばかりが音楽じゃないんだよということだったのかもしれません。

そして、それは世界の音楽業界人にしても、有効な教えだったのです。
かくして、ワールド・ミュージックなるコトバは独り歩きを始めるのでした。
(98/12/20) text by まるこめAboutMe!
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