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潘越雲『紗的吻』

▲潘越雲『紗的吻』
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驚くべきは潘越雲の『精選輯4』。
「精選」とは言うまでもなくベスト・アルバムを指すのだが、潘越雲の4枚めのベスト・アルバムにこの『紗的吻』が全曲収められ、しかもジャケットまで流用されていることは驚嘆に値する。

と言った尻から否定に回る。思いきったこの措置は、しかし、『紗的吻』の完成度の高さを知れば、極めて当然だったと納得もできる。これはそれだけの価値ある作品だ。潘越雲の最高傑作と言うのみならず、台湾ポップス界の最高峰にいまだ位置する作品なのだ。
世界市場に出してもひけを取らないアジアの10枚、そんな企画がもしあれば、文句なしにその最上位に位置する、それがこの『紗的吻』だ。

アルバム(滾石唱片RR-155)がいつ出たのか、うかつにもぼくは覚えていない。が、RC-158の陳淑樺『女人心』が88年リリースだから、これも88年だったとみてていいだろう。滾石のレコード番号はRRがレコード、RCがテープを意味し、同一作品ならばこれが違うだけで番号は同じだと考えるとそうなる。

プロデュースは沈光遠。作曲には林隆旋、童安格、黄韻玲、小虫、羅希、蕭唯忱、司徒松、冫余惠源らが起用されている。収められているのは10曲だが、レコーディングまでに用意されたのは40曲あったという。そこから絞りこまれただけあって、曲はどれも粒揃いだ。
アレンジは作曲家自身によって施されたものが多いが、全曲にわたっての統一感には見事なものがある。特に「MIDI程式設定」も担当している冫余惠源の音数の少ない、行間を読ませるかのようなアレンジが秀逸。

1曲め「唐人的波斯猫」はその代表的なものといってよく、ビシリと抑制のきいたサビを持つスケールの大きな曲。この大きさをもたらしているのは潘越雲の歌唱力にほかならない。シングルヒットを狙えるような曲ではないが、流されることを潔しとしないこのサビは必ず記憶に残ることだろう。今でもぼくは、これを聴くたびに心が鷲掴みされるかのような感覚に捕われる。背中がとても寒い。

「間」を聴かせるということでは、2曲めの「離別賦」が抜きん出ている。これも背筋がゾクゾクする。怖いくらいの静寂が、ふ、と訪れる。雲母のひとめくり。幾重にも重ねられた薄いベールをめくっていくかのような展開。光がこぼれるあの感触。と、突如ドタバタとリズムが有無を言わせず押し寄せる。踊り出た何人もの女官が深い迷宮に聴く者を誘う。淡い女声コーラスを従えてたたみかけるようなサビがカタルシスを感じさせるに充分だ。静かなる凄み。これだ。

そんな冫余惠源の音作りを引き継ぐように、続く3、4、5曲めは黄韻玲がアレンジを手掛けているのだが、これまた過剰な装飾を排した好ましいものになっている。
「藍色的回憶」は羅希、江建民といった名うてのギタリストを起用しながらもそれに頼ることのなく、あくまでも潘越雲の泣き節で迫る。
「有情不如無情好」、これがまたスケールの大きな曲だ。歌い上げる潘越雲にはしかし、この手の曲によくある押しつけがましさが微塵もない。この人はどうしてこういつも淡々としているのだろう。それが最も効果的であることを知り抜いているのだろうか。たまらなくストイックですらある。
李健復とのデュエット「京華煙雲」は19人からなる男声合唱団を従えた佳曲。彼方から湧き上がり上空を横切っていくような潘越雲の「ああ〜」という声ひとつとってもこの上なく美しい。それで極上のメロときては。

このアルバムを、ぼくはまずLPで入手したのだが、続くタイトル曲「紗的吻」は盤を裏返すという行為を抜きにしては語れないB面の妙を感じさせる作りになっている。ここでふっと緊張の糸を緩める「間」というものが、アナログ時代には音からだけでなく行為として用意されていたのだ。CD全盛となった今、この感覚をつかむのは難しい。

さて、中華味が嫌味なく昇華された前半に対し、後半はAOR的、フュージョン的な音作りがなされている。ブラス・サウンドの導入、フェイザーをかけたようなギターの音色からもそれは顕著だが、軽いスウィング感ともあいまって、心地よいサウンドとなっている。
これが前半とはなんの違和感もないのがまた見事というしかない。こうした音がこうした構成で台湾から出てきたということも、当時のぼくには驚きだった。

長いイントロ、というよりも序曲を伴って奏でられるタイトル曲「紗的吻」から「唇的抱擁」への流れは、そんな音といいけだるげなヴォーカルといい、潘越雲の魅力を認識させるに充分だ。このあたりからビートはある目的を持って走り出すようだ。それが理解されたときの戦慄。なんという布石。

そんなビートが行くつく先のラスト2曲。ここではロック的なアプローチがみられる。ディストーションがかけられたギターが重いリズムにのって飛翔する「最後的開麥拉」は、ギタリストの羅希のアレンジがいかにもという感じで、オープニングからドラマチックに迫ってくる。この舞台設定に潘越雲はただ声だけを武器に立ち向かう。そう、立ち向かうとしかいいようがない美しさ。

笛の音を模したイントロが思わせぶりな「夜奔」は、実際のテンポ以上の疾走感を感じさせる演奏で、ぐいぐい引っ張られるようなベース音が快感。さらにはうねるギターに、ビシリとオカズを決めてくるドラム。凄いぞ凄いぞ。声もバックも全開じゃないか。打ち込みでは絶対に追いつかないであろう躍動感。これこそ「夜奔/Running in the dark」ではないか。 こんな演奏を聴かされてまだアンコールを求めるというのは人の道に外れることだ。
もういい。よくやった、潘越雲。見事だったよ、阿潘。

ただ惜しむらくは、これがフェイドアウトで終わるということ。それならそれで、もう少し時間をとってほしかった。でなければ、ほとばしる汗を感じさせるようなビシッとした終わり方しかない。

この作品が台湾ではどれほどのセールスを記録し、またどれほどの評価を得たのかはわからない。が、これが台湾ポップスの底力を見せつけてくれる作品であることは疑いようがない。どこに出してもいささかの遜色もないことは、8年を経た今でも同じだ。

台湾ポップスは一昔前の日本のニューミュージックが國語で歌われているだけ、國語の響きが美しく感じられない者には聴く必要もないもの、というような意見をぼくはある程度まで確かに認める。
しかし、この作品をそれらと同列に語られると困る。困るどころか怒る。絶対怒る。この壮大な音絵巻は、絶対に台湾からしか出てこない音でありながら、台湾だから、國語だからという次元を完全に、しかも軽く超越しているからだ。

CDに加えられたボーナストラックの4曲は、出どころはわからないが、はっきりいって蛇足。ただ、貴州民謡とある「茶山情歌」は小刻みなギターが煽ってくるのが小気味よい佳曲。バックのピアノの奔放な突っ走り具合もいい味だ。この曲だけはちょっと得をした気にさせてくれる。
ただし、この曲は歌詞カードとまったく違うことが歌われているので、「茶山情歌」というタイトルも大いに怪しいことを付け加えておく。
(96/02/01) text by まるこめAboutMe!
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