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林憶蓮『灰色』

▲林憶蓮『灰色』 CBS/SONY CBD 186
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林憶蓮は、ここから始まる。この作品の前に、それまでのいくつかは習作にも等しい。

歌い手にしろ弾き手にしろ、2種類があるとぼくは思っている。ひとつはファン、ひとつはミュージシャン、あるいはアーティスト。ファンにはお手本がある。憧れの誰かがいる。ああなりたいと思っている。その衝動によって動かされている。だから、実は誰かの模倣がうまいだけといった連中も少なからずいたりする。

一方、ミュージシャン、あるいはアーティストと呼ばれる者にも、お手本はあったかもしれない。憧れの誰かみたいになりたいと強く願ってもきたことだろう。が、いつしかその域を超えてしまった。逆に手本に、また、憧れにされていたりする。もちろん、わずかながらもファンを経過することなく、いきなりアーティストとして現れる者もいるが、いずれにせよ、彼らを突き動かすのは「誰かのようになりたい」という思いではすでにない。

というような意味で、林憶蓮は87年の『灰色』によってファンの壁を突き抜けたのではないかとぼくは思っているわけだ。

このことはカバー曲の多寡とは必ずしも関係はない。サンタナのインスト・ナンバーに詞をつけた曲など、見事なまでに自分のものにしてしまっているではないか。 聴かせるのはギターでもメロでもない。 林憶蓮その人の声なのだ。これは「哀愁のヨーロッパ」にちょっと詞をつけてみました、えへへ、といった次元とは根本的に異なる。当然でしょう。

マイク・オールドフィールドの曲では、まさかマギー・ライリーと張り合おうとは思っていないだろう。かつてぼくはこのカバーには否定的だったが、それでも憶蓮色に染まっていることは認めざるをえない。憶蓮色、それはめらめらと燃える青白い炎にも似た情念の世界である。

そんななかでぼくの最愛の1曲は、A.Godson/G.Beauchampのペンによる「點唱機」だ。オリジナルは1度聴いたきりで、タイトルも知らない。が、それよりも圧倒的にこれは出来がいいと乱暴な断言をしてしまおう。そうとも、こいつはオリジナルを凌駕した。よどみのない演奏にのって、軽く、けだるく、うつろに、はかなげに林憶蓮は歌う。まさに醒めた炎、しかして背筋が寒くなる4分間である。

伝説はここから、壁を突き破ったところから始まる。
(98/09/13) text by まるこめAboutMe!
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[聴かずに死ねるか] [N E X T]