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Secret Garden『Songs From A Secret Garden』

■Secret Garden『Songs From A Secret Garden』 PHILIPS 314 528 230-2

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誰もが癒しを求める時代だそうで。

しかし、ぼくに言わせりゃ、ことさら「癒し系」なんて分類する方がおかしいんで、こと音楽に関していえば、自分の気に入ったものを聴くことが一番の癒しであるはずなんだがな。

なにをもって癒されるかは人それぞれ、しかも、その日の気分によって全然ちがっていたりして当り前だと思う。だから、それが賑やかな南洋チャチャチャだったり、拙い三線にのった島唄だったり、ぶっちぎりの大韓ロックだったりしたって全然かまわないわけだ(CDを買うこと自体が癒しになっている人もいますな)。が、これらは「元気の素」といわれることはあっても、「癒し系」とは絶対にいわれない。なんでやねん。「癒し系」って、なんやねん。

思うに、癒しとは「凹」な気分をせいぜい「口」にまで持っていければいいんで、それを「凸」にまで押し上げてしまってはいけないらしい。しかも、それは、なにかを聴いてみたくはあるけれど、なにを聴いていいんだかわからないといったさして音楽に対するこだわりのない人、もっとはっきりいえば非音楽ファン、そういう人をも取り込もうとしたときにさらに有効に機能する括りであるらしい。

そんな気がしてならないが、「らしい」ばかりの文章のなかで、ひとつだけはっきりいえることがある。
ぼ、ぼ、ぼかぁ「癒し系」なんて言葉、大っ嫌いじゃあ!そんな文脈で語りたくもないわ!

というわけで、シークレット・ガーデン。
過ぎた日々への甘いいざない。

ビデオというものが出回る以前、サウンドトラック盤は音楽を聴かせるだけでなく、お気に入りの映像をも喚起させるものとして機能した。映画には、それを思い起こさせる音楽が必ずあった。では、ぼくらの過去の日々には? それを喚起させるに最もふさわしい音楽とは? はたしてそれは当時のヒット曲だけなんだろうか。かつてシークレット・ガーデンを存在しない映画のサントラだと評したのは、そんな思いがあったからだ。

確かにこれは美しくはあろう。美しいだろうし、甘くもあろう。甘いだろうし、切なくもあろう。それはどこか、なにかの理由で泣き始めたものの、いつのまにかその理由さえ忘れ、泣くという行為自体の居心地のよさに延々と泣きじゃくるさまにも似て。

だもんで、これに浸っていてはいけないと告げるなにかがぼくにはある。そこに停滞していてはいかんという誰かがぼくにはいる。
でも、キム・ヘヨンとアリーシャを10回ずつ、蔡可茘とメースイを20回ずつ聴いた後に1回ぐらいは聴いてもよかろ、と思うのだ。シークレット・ガーデン。
(98/09/02) text by まるこめAboutMe!
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[聴かずに死ねるか] [N E X T]