典型的なジャケ買い。
背表紙が主張するCDというのは滅多にないが、こういうジャケが平積み状態だったりするとスケベなぼくはころりと弱い。そして、それがワールドなコーナーにあったりするともうダメだ。抗うことがまるでできない。なにかのプログラムに従うように、ぼくはそれを手に取り最短距離でカウンターへと向かってしまうのだ。
モニク・セカがどういう人なのかよく知らない。というか、全然知らないに等しい。コートジボアールの人だという話は聞いたことがある。その国を、学校では象牙海岸と習った記憶がある。なんという国名! その国では漢字が使われているのか、などと感慨深かったものだ。そういうのは見当違いというもので、深いとはいわないが。
だとしたら、って、コートジボアールの出身なのだとしたらということだが、彼女が使っているのはフランス語ということになる。同時に、これがズークと非常に近しい、もしくはズークそのものな音楽だとしても納得がいくわけだ(ズークがなんであるか、まだよくわかっていない)。
似たような音楽ではあるけれど、モニク・セカはズークマシーンのように押せ押せでは迫ってこない。もっとゆったり、余裕を持って聴かせる。それは自ら作曲に携わる者の余裕でもあるのだろうか。誰からも解釈を強要されず、己の内から湧きいずるままに従っただけであるとも。
そんな意味でも、またどんな意味でも、タイトル曲の出来が図抜けていい。まさに象牙海岸の残照(どんなんや)という感じが漂っているではないか。声は軽く伸びやかで、適度な艶とハスキーさが同居しており、それはぼくが日頃聴いているアジアにはまず存在しないといっていい。だから、新鮮。
ぼくの夏の定番ともなったモニク・セカ、これが4度めの夏になる。 |