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チャンチュアン・ドゥアンチャン『私のことを想ってね』

▲チャンチュアン・ドゥアンチャン『私のことを想ってね』 B&M BKP-CD135
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名前だけで15文字も使ってしまうと、タイトルまで書くとお尻がハネられてしまうのだ。

というのはある意味真実ではあるが、実は正確なタイトルなど知らんもんねというのが本音。これだから、アルファベットでも漢字でもない文字が使われる国はやっかいだ。輸入業者によって音訳されたシールが貼ってあるものもあるにはあるけれど、それだってタイ語やラオ語となると、咄嗟にゃ発音できませんぜ。

となると、一番ありがたいのは意訳がついていることで、このチャンチュアン・ドゥアンチャンの場合、ある輸入盤通販店では「私のことを想ってね」というタイトルがつけられていた。これは覚えやすくはあるけれど、その店だけのお約束でしかなく、他の店、他の業者を通じて買おうとしても、同じタイトルがついている保証はどこにもない。ああ、なんてやっかいなんだ。

だが、このチャンチュアンに限っては大丈夫。円形缶ケース入り、しかもジャケ写ははみ出るほどにアップ。さらにいえば、美形。裏ジャケの挑むような目つきといったらアナタ。うひひ。
文字は読めずとも、見ればわかる。見たら即座にゲットせよ。

数年前、タイのポップスへはクリスティナーを入り口とする人が多かったらしい。ぼくも聴き惚れたものだが、しかし、それイコール・タイの代表みたいに思ってしまうと後が続かないんじゃないかとも思う。なぜなら、タイのポップスの王道はそこにはないからだ。

クリスティナー以前、タイのポップスへはプンプアン・ドゥアンチャンから入る人が圧倒的に多かったはずだ。活字になるタイの歌い手といえばほとんどこの人ばかりだったし、タイ歌謡を扱う店の数少ない在庫の大半は彼女の作品が占めていた。その作品の多さ、なんでも歌いこなす力量、ジャケに見る華やぎ、まさに女王の名にふさわしかったと思う。タイポップスの、少なくとも女性歌手としての王道はそこにあったような気がする。チャンチュアンは、急逝したそのプンプアンの妹。当然ながら、路線は踏襲。

というような素性も容貌も、全部見なかった知らなかったことにしたとしても、これは上出来、充実作。緩急自在でバラエティ豊か。タイポップスのおいしいところが、これ1枚にぎっしり。いいかえれば、これを田舎臭く感じたり、格好悪いと思うようならタイには近づかない方がいい。

かつてぼくは、そんなところに行ったこともないくせに、このCDが想起させる風景としてこう書いた。「チャオプラヤ川を下る向こうに牛を追う素足の少年たちが見えてくる」。
そして今、ぼくはそのCDを聴き返すこともなしに、こんな文章を書いている。

でも、誰にだってあるよな。それについて語るのに、もはや聴き返す必要のない音楽のひとつやふたつ。
……もっとか。
(98/08/29) text by まるこめAboutMe!
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[聴かずに死ねるか] [N E X T]