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于台煙『空白録音帯』

▲于台煙『空白録音帯』 銀河唱片 GA-8803
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台湾のポップスだというだけでなにを聴いてもおもしろかった幸せな時代に、于台煙に出会った。おそらくセカンドだろうと思われる『是附熾]n』がそれだ。なんと暗い声を出す、なんと暗い顔をした女性だろうと思った。その印象は、 後にファーストアルバムらしき『化粧舞會/想蕪I夜』を聴いてもさして変わることはなかった。ランラララと歌われたところで、楽しくなんか全然ない。陰影に富むという表現があるが、それは一方に光があってこそ成り立つわけで、彼女には陰しかないようだった。なのに妙に心に引っかかったのは、その素直で癖のない歌唱がなんとも清楚であったからかもしれない。

だから、下北沢のレコード店で残り少ない台湾モノの在庫のなかからこの『空白録音帯』を薦められたとき、ぼくに躊躇はなかった。暗いなと思いこそすれ、嫌いではなかったのだ。それになにより、台湾ポップスというだけでなにを聴いても新鮮に感じられた時期の真っ只中にぼくはまだいたのだった。

ぼくの計算が正しければ、『空白録音帯』は于台煙の3作めにあたる。制作年代についてはよくわからない。おそらく80年代の終りだろうと思われる。髪型は変わっていたが、ジャケットの表情は相変わらず暗い。いくぶん洗練され、美しくなったとはいえ。

で、肝心の曲の方はというと、これがいい、実にいい、すごくいい。ぼかぁ好きだ。たまらなく好きだ。美しい旋律が並ぶということは、こうも新鮮なことだったのかと思う。そうなのだ。ここに収められた旋律はどれも美しく、どこか悲しい響きを持っている。心がきゅーんとしてしまうのだ。切なくなってしまうのだ。それがまた于台煙の歌声にひどくマッチしているのは、歌いこなしたというのではなく、素材を活かして作られた曲が出した結果という気がする。

アレンジははっきりいって凡庸だ。録音もよくはない。しかし、どんなアレンジが施されようと、どんな音で録られようと、本当に美しい旋律が色あせることはけっしてない。それをこの作品は見事に証明してみせた。ここにはぼくの愛してやまない「うた」が確かにある。

于台煙はこの後、明るく美しい女性へと恐ろしいまでに変貌し、それに伴い歌声も強く女を感じさせる厚みを増していくことになるが、歌い手としての発展途上期に位置したこの『空白録音帯』を超える作品はまだものにされていないとぼくは断じる。毎回いくらかの失望を感じながら、見かけるたびに彼女に作品に手を出さずにはいられないのは、すべてこの作品があったればこそなのだった。
(98/09/09) text by まるこめAboutMe!
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[聴かずに死ねるか] [N E X T]