彼女を愛する者はオヤジである。
蔡幸娟には『楊貴妃』で出会った。そこそこに気に入ったので次に『消消之思/娟娟之姿』を聴いてみたらば「琵琶曲」が入っていた。それでハマッた。『牽牛花』を聴くに至って、事態は決定的となった。「新曲與精選」と銘打たれたそれには「中國娃娃」が入っていたのだ。
「琵琶曲」と「中國娃娃」、この2曲こそは蔡幸娟の神髄である。 これはくすぐるだろう。 大いにくすぐる。くすぐるにちがいない。 洋の東西を問わず、とまで大きなことは言わない。 ただ、日中、日台を問わず、これは必ずやくすぐる。
なにをくすぐる。 オヤジ心を、である。 そう、ぼくのなかのオヤジ心はびんびん反応しまくってしまったのだった。それがオヤジ心というものであることを認めるのに、ぼくはやぶさかではない。可憐だ。蔡幸娟はたまらなく可憐だ。 ……正確には、可憐だった、ではあるが。
89年の『東方女孩』がそんな路線を踏まえた作品であることはタイトルからも明らかだ。かの2曲の後では極めつきのこの1曲という強さこそないが、トータルな雰囲気作りがアルバム1枚を通しての完成度を高めている。
とはいえ、タイトル曲が彼女の代表曲のひとつであることにまちがいはない。「琵琶曲」「中國娃娃」の後を受けて、サウンドとして完成を見ているわけだから。その曲調の、なんとエキゾなことだろう。さらに「異郷情喚」、「象牙舟」といった曲の美しさ。そして、ラストを締める「酔別今夜」の余韻。
東方にひとり女子あり。名を蔡幸娟という。 そんなタイトルに偽りなしの出来ではないか。 どれか1曲、ではなく、どれか1枚と問われたときの答えがこれで決った。 さぁ、きみも内なるオヤジ心と向き合ってみないか。
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