気高く、そして格好いい。
シーラ・チャンドラに対する印象は、これに尽きる。
80年代半ば、ぼくはまだロックという音楽ならぬ言葉、もしくは幻想が捨て切れず、失意にまみれながらもイギリスとアメリカの間を右往左往していた。光明は、イギリスのインド人コミューンにおいて、バングラビートが席巻するなか、そんなムーヴメントとは一線を画したところから現れたひとりの少女によってもたらされた。
冒頭の「ALL YOU WANT IS MORE」、そのイントロで、ぼくはすでに虜となってしまうことを確信した。だから、やおらヴォーカルが立ち上がってきたときには、ははーっとひれ伏すしかなかった。そこへもってきて、あの口タブラだ。
口タブラ。「ろたぶら」ではなく、「くちたぶら」。
有名どころでは後にディック・リーの「ムスタファ」でも顔を出したこれ、日本ではさしずめ口三味線ということになるのだろうが、インド音楽とはずっと無縁に過ごしてきたため、まったく意表を突かれてしまった。なんなんだ、これは。こいつはなにを言っているのだ。じゅ、呪文か。ってなもんで。そんな口タブラが、インドながらの怪異なメロとリズムに導かれて、実に格好よく響いてしまうのだった。
シタールを聴かせどころにおいたのが「VILLAGE GIRL」。ビートは明らかにロックのそれだが、ギターのように斬り込むことをせず、じわじわと攻めたててくるところがシタールたる由縁。他のメンバーが黙っていると、平気で40分くらい弾いてしまうのだろう。たぶん。
「FROM A WHISPER...TO A SCREAM」、 「PREMA, SHANTI,DHARMA, SATYA」の2曲で見紛うことなしのインドを垣間見させた後、「UNCHANGED MALADY」によって東西の文化は再びあいまみえる。その拮抗の危うさ、もろさが美しい。
異国情緒を演出するだけにとどまることなく強く主張するタブラとシタール。英語による歌詞よりも雄弁ですらある口タブラ。それらが、ロックという様式の囚われ人であったぼくには衝撃だった。とりもなおさずそのことは、これまでいかにぼくが小さな枠のなかでしか音楽を捉えていなかったかの証左でもあった。道はかくして開かれた。しかも全方向に、全方位へ。 |