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黄乙玲『愛イ尓無條件』

■黄乙玲『愛イ尓無條件』 波麗佳音 PCTD00113

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「演歌とヘビメタ以外はなんでも聴きます」。

音楽好きを自認するある種の人たち決まり文句はこれだ。
んじゃ、サルサも聴くのね、ケイジャンも聴くのね、ダンドゥットも、ガザルも、うへぇ、すごい守備範囲ぃ。というような意地悪な相槌を打つ気はないけれど、なぜ演歌とヘビメタなんだという疑問をぼくは密かに抱いている。抱き続けて十余年。

演歌とヘビメタ。共通項は様式美ではないかと思う。それにこだわりを見せた、というか、周囲が勝手にこだわりを期待したジャンルにプログレというのものがあったが、今や誰もそれがプログレッシヴだったとは思っていないという点でここでは除外する。「演歌とプログレ以外は」という台詞を、ぼくは聞いたことないし。ふはは。

では、様式美の行く着くところはどこかというと、こうあらねばならないというお約束に縛られたあげく、そうあってほしいという人だけを相手にする閉塞的状況だったりするわけだ。それが現在の、ヘビメタはともかく、日本における演歌の姿なのではないだろうか。その悲劇は、歌謡曲という今にして思えば極めて太っ腹だった枠から切り離されたところから、演歌としての独立を果たしたところから実は始まっていたのではないかとも思えるが、こうしたぼくの感触は本日の黄乙玲とはおそらくなんの関係もない。

黄乙玲。台湾の歌手。思わずジャケ買いに走ってしまうようなことはたぶん、ない。しかし、突出して歌は上手い。このクラスになると、歌うために生まれたという形容は嘘でも気負いでもなくなる。

というわけで、演歌である。
演歌、あるいは親父が好むクサい歌といった認識が、台湾のこの手の音楽にあるのかどうかは知らないが、黄乙玲の歌う世界は日本人であるぼくの耳に演歌以外のなにものでもなく響く。それもひどく心地よく。日本のそれが往々にして持つ臭みも閉塞性もまるで感じさせることなく。どころか、新鮮で瑞々しくさえ、これはある。なぜか。

日本における「演歌のお約束」がここにはないのだ。多くの場合、このお約束は編曲面で顔を出し、出た途端にぼくなどは聴く気が失せるものだが、ここにはそれがまるでない。確かに、日本の演歌をなぞっただけのような作品も台湾には存在するし、それがどういう評価を得ているかは知る気もないが、それらとは明らかに一線を画しているのがこの『愛イ尓無條件』だ。

タイトル曲ひとつを聴けばすべてはわかる。この音、この声、このコブシ。この間(ま)、このサビ、この情感。すべてを聴くまでもなく、ぼくはこのイントロだけで持っていかれてしまったが。他には台湾以外から絶対に出てきそうにない2曲め、6曲め、10曲めのアレンジが光る。5曲め、これも演歌としては日本では考えにくいアレンジだろう。ぼかぁ一瞬、T-SQUAREかと思ってしまった(笑)。とまれ、最強の名を与えたい。

ところで、陳淑樺にポスト・テレサ・テンのキャッチフレーズを冠したのは、いかに売らんがためとはいえ、どこの馬鹿の仕業だろう。テレサは永久欠番扱いに決まっているではないか。もちろん、黄乙玲にそれを与えよなどということをぼくは言おうとは思わないが。
(98/10/26) text by まるこめAboutMe!
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