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「H氏の思い出」

50歳で別世界のツーリングに旅立ったH氏。
突然の訃報に彼との思い出を、思いつくままに書く


(1991年1月ニュージーランドにて)

平成26年(2014年)1月24日(金)午後8時、帰宅するとH氏の奥様から電話があったとの事。
内容は「訃報連絡です。午後9時ごろまた連絡します。」との事であった。悪い予感を覚えつつ9時
に受け取った電話は「本日 夫が亡くなりました・・・」との予感どおりの内容だった。1時間の待ち
時間の間に心の準備が出来ていたかのように、奥様から通夜・葬儀の連絡を受け取った。


(2004年「あすか鍋」参加)

H氏と自分の関わりは高校時代に所属していたショップのクラブであった。1歳年上のH氏であった
が、気さくな人柄で同年のような付き合いが始まった。自分が山梨の大学に入学し下宿生活を始め
ると、山梨の道を走るために自分の下宿に遊びに来た。お互いが社会人になると、休日のサイク
リングに行き始め、今では自分の恒例企画となっているGWツーリングも最初はH氏と2人旅から
始まった。自分の初の海外遠征であるニュージーランドサイクリングで、ペース配分のミスで膝の
故障をしてしまい翌年リベンジで再度出かけるときには、H氏を誘っての2人旅となった。NZでは
毎晩地図を広げながら翌日の行程の打ち合わせをし、お互いが旅のプランナーとして良い面を
出し合いながらNZの大自然の中で本当に楽しいサイクリングとなった。
1992年のスイスツーリングも当初はH氏との2人旅の計画であったが、計画途中に奥さんとの結婚
が本決まりとなり、自分の一人旅になってしまった。H氏の結婚後は、レストアの世界に引きずり込ま
れ、2人して自転車屋巡りや自転車のレストアを楽しみ、最近はお互いの子どもの為の自転車作成
に知恵とアイデアと手持ちの部品を出し合いながら楽しんだ。


(2008年中部古典ロード走行会 H氏親子)

外部の催しにもよく2人で参加することが多かった。cancanさん主催の「あすか鍋」、くりくりさん主催
の「御前崎ミーティング」、大阪のフリーマーケットの「シクロジャンブル」など参加させていただき、
たまに1人で参加すると、「あれ相方のHさんは・・・なんて言われることも多かった。H氏は早い時期
から参加していた「トーエイ・オーナーズ・ミーティング」には第10回の時に連れて行ってもらった。
恒例のトーエイ・オブジェ抽選会には同じテーブルに座った4人で、3本あったオブジェ全て当選しま
したが、H氏1人だけが当選できずにくやしがっていました。

 
(2007年TOM)        (TOM解散後の個別ツーリング)

最近の会話の中では、お互いの退職後の旅の企画をよく話していた。自分はヨーロッパの放浪旅、
H氏は日本縦断であった。さらにはその時に使う自転車の仕様などもよく話した。実際に彼はその
為の自転車も製作し、バックなども全て準備していた。

今日、彼と最後の会話をした。「俺はまだまだ走るでな、一緒についてきてな・・・」。
自分とH氏との2人旅は自分の心のなかでまだまだつづく。



(2011年TOMで走った野辺山周辺・三国峠が彼との最後の2人旅となりました)

(2014.1.26)


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