津軽半島 竜飛崎・五所川原


まかど観光ホテル  
    まかど観光ホテルは、浅虫温泉を通り越して、山の方に入ったところにある。冬場は、スキー場として利用されているところのようだ。

 ビュッフェスタイルだと、ついつい取りすぎてしまう。

 
 ホテルの雰囲気を写真にと思うが、時間もなくて、バスの中からちらりと撮る程度になってしまった。

竜飛崎へ向かう
  
 バスは、青森市内を抜けて津軽半島の方に進んでいった。

 岩木山の姿をとらえようとしたが、なかなか顔を見せてくれなかった。

 緑がいっぱいの中を走った。北海道新幹線の青函トンネルへの入り口のところも通ったはずだが、写真に残っていない。
竜飛の町に入ると、海岸沿いの道路は狭く、家々はがけにへばりつくように建っていた。

 国道339号線。ここは、階段国道に綱がtrているのだ。

昼食会場 ホテル竜飛
  
 339号から分かれて坂道を上り、中腹のちょっとした高原のようなところに出た。
 そこには、昼食会場のホテル竜飛があり、少し先には、石川さゆりの津軽海峡冬景色の歌碑もあるのだった。

  まずは、ホテルで腹ごしらえ。海鮮丼の定食だった。
 近くに漁港もあり、さすがにネタは新鮮だった。


 ホテルのロビーから見下ろすと、漁港が見えた。しかし、その眺めよりも興味を惹かれるところがあった。
   
    玄関を入ったすぐのところに、新幹線が開通する前、トンネルを列車が通過すると点滅をするところがあった。このホテルの真下を、青函トンネルが通っているのだそうだ。

 もう一つ、見たい景色があった。ホテル前の小高い丘にある展望台からの眺めが面白そうに思われたのだ。
 
 展望台からは、ホテル(中央)もきれいに見えたし、竜飛崎灯台(下の段)も見えた。

 そして、何よりも展望台までの坂道が、きれいに咲いた紫陽花に囲まれているのが魅力的だった。


竜飛崎 そして 階段国道  
    ホテル前から灯台下の駐車場まではすぐだった。少し坂道を上ると、津軽半島竜飛崎と書かれた展望台に着いた。

 津軽半島の先端を見下ろすところだ。
 
     天気は良かったが、あいにく、北海道は見えなかった。 

 なぜだろう。
 今こうしてまとめていても、竜飛崎の印象があまりない。
 時間も限られていたので、焦っていたのだろうか。
 駐車場からホテルのある方を見下ろす。
 そこには、石川さゆりの歌碑もあるし、階段国道のスタート地点(ゴール地点?)もあるのだ。

 バスを使って下り、まずは階段国道を訪ねてみることにした。

 国道339号の標識がある。確かにそこは、下り階段の始まりだった。

 とても整備されている。しかし、それは国道というよりも、公園内の遊歩道といった感じだ。

 途中にも、国道339号を示す標識が立っていた。会談は、右に左にと曲がりながらつながっていた。

 10分ほど階段を下っていくと、民家の間の通路のような路地に出た。

    そして、ついに自動車の通れる道路へとつながった。

 それにしても、なぜこれが国道なのだろうか。自動車なんて通れないし、自転車でだって苦しい。
 
 いったん、階段を下りきると、今度は引き返すのだが、今度は余裕をもって階段を味わいながら上った。

 
  そして、再び階段を降り始めたところに戻りつくことができた。たったそれだけのことだが、階段国道を征服したぞという満足感があった。

 ちなみに、googleのmapでは、右のように自動さhの通る道路と同じような表記になっていた。
   
 階段をのぼりつめたところに軽ワゴン車が止まっていた。臨時の郵便局だった。竜飛岬やねぶたのシール付きの暑中見舞いはがきが、はがきの値段で買えるということで、つい買ってしまった。

 そして、そのすぐ近くにある津軽海峡冬景色の歌碑に向かった。
 津軽海峡冬景色の菓子を彫った石碑前のボタンを押すと、石川さゆりの津軽海峡冬景色が流れてきた。

 ここが、まさに竜飛岬なのだ。


太宰治記念館 斜陽館  
 斜陽館に着いたとき、けっこう混んでいたので、まずすぐ横の津軽三味線会館に一句ことにした。

 力の入った三味線の生の演奏が聞かれた。

 三橋美智也の業績を展示するブースもあり、改めて彼の偉大さを知
ることができた。
 そして、いよいよ斜陽館へ入ることにした。

 太宰治の生家であり、戦後は旅館として多くの客を迎えた。
 その後、市が買い取り、太宰治記念館として今に至っている。
 玄関を入ったところは広い土間になっていて、そこから見える庭は趣のあるものだった。
 柱や鴨井などは、磨きこまれて黒光りしていた。

 旅館として使われていた時には、どのような使われていたのだろうかと、旅館の面影を追って、館内を巡った。
 仏壇も立派なものだった。

 旅館としての使われ方にも興味があったし、太宰が生活していた時には、彼がどのような過ごし方をしていたのか、そんなことにも思いを馳せた。

 2階へ上る階段は、この建物の象徴のような存在。手摺の光沢が、歴史を物語っているようだった。

 2階には洋室もあり、並外れものであったことが伝わってきた。
 ふすまの書、絵、自分にはその価値は分からないが、著名な作家によるものなのだろう。

 それにしても、こういう部屋が宿泊客に使われていたとすると、客は気楽に寝泊まりできたのだろうか。
 斜陽館のすぐ横にある郷土料理の店「はな」で、またまた早めの夕食を撮った。

 今回は、昼食も夕食も、量が適当で、じっくり味わうことができた。

 この後、いよいよ五所川原の立佞武多だ。
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