(1) 教育実践ノート 205号 発行者 家本 芳郎
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私の大好きなメルマガ。なかでも、自分の人生観のようなものに近いことが書かれている次の記事に注目していただきたい。社会科教師推奨!
◆<時評> 教師にむだな経験はない◆
★バチンコ屋にいくな?★
わたしは保護者か教師か、だれかわからないが、教育委員会に密告されたことがある。 夜、暴力団の家に出入りしていた。放課後、質屋の暖簾をくぐっていた。勤務時間中、飲み屋にいた。そういう密告である。しかし、これは、すべて事実であるから、密告されてもしかたがないと思った。
こいう密告や投書は、今も、しきりである。
先日、ある教育委員会へ市民から投書がいった。
「教師が昼日中からパチンコをしていた」
教育委員会はあわてて校長を呼び集めて、「こういう投書がきた。けしからん教師がいる。厳重に注意せよ」
校長は教師たちに「パチンコ屋にいくな」と指示した。
この話をきいて「ばかじゃないか」と思った。「教師の仕事がぜんぜんわかっていない」とも思った。教師の仕事に「バチンコ屋にいくこと」もあるからだ。
まず、教師がなんでパチンコ屋に入ってはいけないのか。教師が入ってよくない場所なら、パチンコの営業をさしとめるべきだ。市民の娯楽場は、教師の娯楽場でもある。だいたいバチンコ屋は、日本の国家権力たる警察によって堅く守られている場所である。そんなばかなことをいうと、いまに、警察に叱られるぞ!
ついで、なぜ、昼間、教師はパチンコ屋に入ってはいけないのか。
いつ行こうと自由である。そんなことまでにいちいち干渉すべきではない。競馬・競輪・碁会所・マージャン屋、これとて同じである。山登りや釣りが高尚で、競輪・パチンコが下等だから教師はすべきでないということはない。
★パチンコ人生とむきあう★
では、勤務時間中だからパチンコ屋に入ってはいけないのか。勤務時間中に、遊びのために入るのはよくないが、仕事の目的があれば入ってもいいはずである。
わたしも勤務時間中、パチンコをしていたと密告されたことがある。
発端は、学年の生徒が問題をおこした。学級担任は研修のため指導できないというので、学年主任のわたしが指導することにした。母子家庭で、これまで学校に協力しない問題の多い母親だった。
放課後、家庭訪問したら、母親はいない。近所の人に聞いたら駅前のパチンコ屋にいるという。バチンコ屋に行ったら煙草を吹かしながら、はじいていた。
「やあ」と声をかけると、硬い表情になって「まずいところ、みつかっちゃったね」と言う。「そんなことはないよ。ぼくもきらいじゃないから」
みると、目下、大入りの真最中。「すごいね。続けなさいよ。待っているから」隣の席に腰掛けて待つことにした。この母親はじつにじょうずで、わたしも思わず興奮して、「入った、入った」と球入れのケースを運んできてやった。
「先生、店員にいえばもってくるんだから。悪いね」と言うから、「じょうずだね。プロだね」と感嘆したら、「これで食ってるんだから」そう言いながら、一つかみのパチンコ球をわたしの台の皿に投げ入れて、「やってみなさいよ。先生も」という。
ここは遊ぶしかないと、わたしも「チンジャラジャラ」とはじめた。
ところが、こういうときにかぎって、出る、出る、大当たり。母親もびっくりして、「先生、うまいじゃないの。ほんとはパチプロじゃないの」
「あ、バレたか」
こうして、1時間くらい、時間を忘れて二人で大当たりして、札止め。40箱もゲットし、換金して大笑い。
「先生のおかげで、きょうはついた、ついた。つきの神様だね、先生は。またきてよ」
それから食堂に入り、「じつはね」と子どもの話になった。
母親は「わたしは学校なんか信用してなかったけど、今日の先生をみたら、信用できる。こんなばかな親につき合ってくれた先生はいなかったものね。これまで、パチンコで食っているといったら、先生たちはみんなばかにしたような眼でわたしをみた。中には『正業につきなさい』なんて言った先生もいた。しかし、先生はちがった………。
これは、だれにもいったことはないけど、わたしはパチンコの釘師の娘で、生まれてすぐに母親を亡くして、父親の手一つで育てられた。子どものころから、父親につれられて全国のパチンコ店を渡って歩いた。学校にもろくに行ってない、パチンコ人生だったんです」
生い立ちを語ってくれた。切ない話で、思わず涙がでた。
話を聞き終わると、「これから先生には協力するよ」と約束してくれた。
★さまざまな経験を蓄積する★
こういう親もいる。これはたまたまパチンコだったが、ともに酒を飲んで心を開き、意気投合することもある。
わたしは、このほかには、教師不信の「暴力団」「質屋」の保護者とも意気投合したことがある。暴力団だと、「昼間から暴力団の家に出入りしている教師がいる」となるが、暴力団の保護者の子どもの家庭訪問ならしかたないだろう。
教師はあらゆる手段を尽くして、子どものために働くものだからだ。
人とつきあうことは、教師にとって避けてはとおれない仕事である。教育は人とのかかわりの仕事だからだ。それゆえ、人との交わり能力が強く求められる。
だが、すぐにはうまくいかない。たとえば、暴力団の保護者とは、かんたんには話し合えない。話し合えるようになるには、教育にはかかわりのない、一見、むだと思えることを、機会に応じて、いろいろとやってみて、さまざまな経験を蓄積するしかない。
わたしは、たまたまパチンコを知っていたので、あの母親とも意思が通じあえた。「釘師」という言葉も違和感なく理解できたし、幼い子どもの手を引いた父親が、全国を渡り歩き、父親が釘をうち直す深夜の店先の一画で、眠りこんでいる幼子の姿も想像できた。
パチンコという経験があったればこその想像力である。
そういう、教育にはいっけん関係のない見聞や経験が、かならず教師の人格を耕し、どこかでいつか、教育の役に立つものである。その意味では、教師にとって行住坐臥、すべてむだな経験はない。子どもたちの生活背景は多様にして無限だからである。
教育とはそういう世界なのである。そういう現場のことも知らずに、「けしからん」とはなにごとだと思う。
教育は机の前に座って、命令して成立するとでも思ったらおおまちかいである。
(以下略)
(2)よみうり教育メール 発行日:2004.08.13(vol.961)
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これもよく紹介するよみうり教育メール。今回も相談コーナーである。学校と地域の連携について考えさせられる。
荒れた中学でのPTA活動
【相談】
◆今年度、中学校のPTA会長を引き受けました。校長と話をし、学校も見に行きましたが、10人ほど手に負えない生徒がいて、さらに取り巻きが数人いるようです。その10人は遅刻、抜け出し、早退などなどやりたい放題。校舎内は、ほこりやゴミがあり、汚い印象を受けました。教頭や生徒指導の先生も見回っていて、抜け出した生徒を連れ戻すなどしているようですが、PTAとしては何ができるでしょうか。 ―――会社役員、男性
【回答】
埼玉県退職校長会幹事 清水章夫
●PTA会長が、問題行動を起こす子供たちに対する学校側の指導に積極的に支援、協力を検討されているのは、大変心強い限りです。荒れる子供を抱える中学校で、成果を挙げている事例を紹介します。
(1)毎朝、校門で登校指導とあいさつの呼び掛け。教員と一緒にPTA有志が「おはようございます」と、毎朝校門で生徒に呼び掛ける。このことは子供たちに大変良い影響を与えます。最初、問題の子供は遅刻が多く、あいさつもできない場合が多いと思いますが、遅刻が無くなり、全員あいさつできることを目標に継続して下さい。
(2)清掃活動など、学校をきれいにする運動への協力。清掃の時間など、子供たちと一緒に清掃活動と取り組む。特にトイレや外階段、昇降口、外回りなど、問題の子供たちがたむろしがちで汚れた場所を、その子供たちの参加を原則に取り組んでいただく。継続すれば必ず、子供たちも汚す立場から清める立場に向かうと信じて下さい。
(3)授業中の校内の巡回指導への協力。校長や教頭を中心とした校内巡視は、問題生徒の実態把握と補導に欠かせません。しかし、実情は手不足で不徹底になりがちです。これに当番を決めて協力していただくと、大変な効果が期待できます。
(4)校外補導活動体制の確立と積極的協力。地元の青少年育成会などが中心となり、警察の支援も受け、問題の子供たちの夜間徘徊などの補導に当たっています。この活動の強化、充実に、PTAとして積極的に協力していただきたいと思います。
これらの活動を組織し、継続するのは大変ご苦労なことですが、「隗(かい)より始めよ」です。学校長ともよく相談され、PTA全体に呼び掛け、活動の焦点を絞って辛抱強く継続して下さい。必ずその熱意が、子供たちの行動に現れてくると信じております。
回答者 しみず・あきお。浦和(現さいたま)市立中学校教諭、市教委学校教育部長、市立常盤中校長などを経て、1992年4月から1年間、埼玉県中学校長会長を歴任。現在、聖学院大学などの講師も務める。学習・進路指導や学校経営が専門。著書に「未来を開く学校教育を問う」(世界通信)など。
(3) 教育情報 Magazine/ある小学校教師の独り言
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これもいつも紹介する島原先生のメルマガ。超おすすめ。
Vol.138 −139より、見直しが必要!“総合的な学習の時間”を紹介します。
― 総合的な学習について関心がおありの方,ぜひご一読を! ―