(1)学校へのコンテンツ配信 9月13日スタート 文科省
文部科学省が今年度予算で実施を始めた「ネットワーク配信コンテンツ活用推進事業」による学校へのコンテンツ配信が9月13日からいよいよ開始される。
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全国で24の自治体が選ばれた。大口町もその一つ。
これまでは、PCソフトは高価で、しかもすぐに古くなるという欠点があった。しかも、バージョンアップもままならない。さらに、教科や単元によっては、使うのは年間で一時的という場合も多い。 しかし、ネットワークコンテンツなら、半年契約で、毎年最新バージョンのものが安い値段で使用できる。ぜひ成功させたい事業だ。
(2)業績で4段階評価−教職員が自己申告−
和歌山県教委は教職員の人事評価に自己申告制を導入する方針を固め、9月から県立高校の校長、教頭を対象に試験運用を始めた。年度ごとの目標や成果を自ら記入し、業績を4段階評価することで、やる気を引き出す狙い。運用がうまくいけば、一般教員にも拡大する。
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うまくいったらすごい。個人的にはうまくいくとはとても思えないからだ。「業績を4段階評価する」ことで「やる気を引き出す」ことにつながるだろうか。
と言っても、取り組みそのものを否定するわけではない。実験的なものも含め、策を講じることは大賛成だ。経過を温かく見守りたい。
(3)おかやま山陽高調理科の生徒が「菓子工房 ル・フチュール」を設立(岡山)
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教育の中に「製造」「販売」を取り入れるのは大賛成だ。断片的な学習がいっきに広がり総合的になる。ただ調理だけすれば良かったのが、仕入れ先との交渉、コスト、価格設定、保健所との調整、税金、接客など、考えなければならないことが増える。これが、社会の現実なのだ。社会の現実と向き合った時、本当の勉強の大切さがわかる。
(4)新潟市の6年生、一堂に会して体育祭(新潟)
新潟市内の小学6年生が一堂に会す「第53回市小学校体育祭」が15日、陸上競技場で行われ、澄み切った秋空の下、児童たちの元気な歓声が響いた。
参加したのは市内全62校の6年生4690人。
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詳しいことはわからないが、少なからず驚いた。「なぜこんなに元気があるの?」
わかる人にはわかるが、これだけのことを企画し、実現するには、膨大なエネルギーが必要だ。国体のアトラクションの準備等ならわかるが、そうでなければ本当にすごい!関係者に敬意を表したい。
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■■■■■ 社会人の雑学 |●9556部発行 Mag2___8352
■■■■■ ★雑木話★ 第502回配信 | melma!__481 melten__373
■■■■■ 星田直彦 2004/09/28 | Macky!___99 melon___251
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☆★☆ 紹介 ☆★☆
雑学サイトは数多いが、ここの特徴は一人のQに対して、不特定多数の人が回答する点である。
中には専門的な回答もあり、インターネットの利点をうまく生かしたメールマガジンである。
┏● 疑問No.376 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 右利き用と左利き用のはさみ、どこがどう違うの? ┃
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―――●Picorinoさんから●――――――――――――――――――――――
刃と刃の接触圧力がポイントです。
鋏は二つの刃が接触しているときに、剪断力が最も効率よく発揮できます。接触圧力が低いと、刃が離れて剪断できなくなります。圧力が高いと摩擦が大きくなり、大きな力が必要になります。
したがって、通常の鋏はは軽い接触圧力がかかるように作られています。それも、刃を緩やかに曲げて、根本は軽い接触で、刃先に行くにしたがって強く接触するように曲げてあります。
さて、人が鋏を握るとき、親指側は押す力が、残りの4本側は引く力がかかります。その力加減で接触圧力が調節できるのです。ですから、持ち手から見て、右利き用は親指穴の刃が左に、左利き用は右に来ます。
―――●しげ3さんから●―――――――――――――――――――――――
はさみ以外の左利き用が気になり調べたところ、包丁も左利き用がありましたので、報告します。
左利き用の包丁があるのは、片刃のものですが、通常の片刃のものは握った状態で上から見て左側が平らになっています。左利き用は右側が平らです。これは、鉈(なた)等の刃物でも同じ形になっています。
これを反対側の手で使うと、刃が切る対象物から逃げていく形になり、押さえが利かなくなります。鉈などでは、刃が逃げてしまうと、弾かれる形になるため、危険度が上がります。
以上のことから、力の入れやすさ等を考えて作ってあるものは、反対で使うと問題ありということになります。
(2) 日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』(中高MM)第1089号
2004年9月25日:土曜日発行
編集・発行 梶原末廣 sukaji@po.synapse.ne.jp
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☆★☆ 紹介 ☆★☆
教育界屈指のおすすめメールマガジン。今回の前田康裕先生はじめ、いつも力のある実践者が書いている。
■「IT授業を創ろう」(13) 前田 康裕(熊本大学教育学部附属小学校) yasu@aminet.or.jp
◆ ITを使ってはいけないとき
画像を投影し続けてはいけない場合もある。
たとえば、国語の授業。芭蕉の俳句で次の句がある。
山路来て 何やらゆかし すみれ草
教育実習生は、イメージ検索で「すみれ草」を探して印刷して見せた。子どもたちは「すみれ草」を知らない。この場合の映像は、効果的であった。薄紫の小さくて美しい花だ。
しかし、教育実習生は「どうして、すみれ草を、『ゆかし』と感じたのか?」ということを、映像で考えさせてしまった。これはまずい。子どもたちは、思考の根拠を映像に求めるようになるからだ。
国語の授業においては、思考の根拠は文章であるべきだ。どこまでも、文にこだわらせて、はじめて「国語」の授業と言える。
だから、この場合は「すみれ草」の映像は消さなくてはならない。
そして、たとえば、次のような発問ができるだろう。
「話者は今どこで何をしていますか?」
山路を「来た」という話者の行為が確認されるはずだ。
「話者には、どんなものが見えますか?」
森林や雑草、焦げ茶色の地面、空などが出されるだろう。
「その中で対比しているものは何ですか? ○○とすみれ草」
うっそうとした森林や雑草などと、すみれ草が対比されるだろう。
それによって、すみれ草のもつ「鮮やか、紫色、小さい、美しい」というイメージが強調されるだろう。
「なぜ、すみれ草を『ゆかし』と感じたのでしょうか」という発問で終わる。なんでも、映像を投影すれば分かりやすいか、といえば、全くそうではない。授業のねらいが重要なのだ。映像を見せてはならないときもある。だからこそ、授業研究が必要なのである。