(1)年のはじめに考える 曲がり角の学校選択制 2009年1月3日 東京新聞社説
公立の小中学校を自由に選べる制度が導入されて十年。改正したり、廃止する自治体が現れました。行き過ぎた競争原理への反省も含まれています。
少子化が進んでいます。文部科学省の学校基本調査では二〇〇八年度の小学生は七百十二万二千人と過去最少でした。ピークだった一九八一年度の六割です。
学校も少なくなっています。〇八年度の公立小学校は前年度に比べて1%減り、二万二千百九十七校でした。中学校も同じ傾向です。公立学校の統廃合は避けられない問題となっています。
(中略)
前橋市は小中学校で導入している選択制を一〇年度までとし、廃止を決めました。入学希望が偏ってしまい、行政の予測以上に学校規模の格差が生じたからです。
ただ、見直し派はいまのところ少数です。今後、保護者などから要望があれば選択制を取り入れる自治体はあるでしょう。
「地域」「学校規模」などの問題が顕在化しましたが、今後は「学力」も選択制と併せて考えられていくことになるでしょう。
実は全国一斉学力テストの成績をめぐる公開問題には、学校統廃合の問題が背景にあるのです。
先月末、秋田県知事は〇七年と〇八年に実施したテストの平均正答率を県内二十五市町村別に公表しました。学校別ではありませんが、六町村は小中学校が一校ずつしかないので事実上は学校の成績が開示された形となりました。
関係市町村は「序列化になる」と批判しましたが、情報公開の流れからすれば、公表に踏み切る自治体はほかにもありそうです。
ランキングと化した成績は選択制に影響を及ぼし、やがては学校統廃合のものさしとして使われることが考えられます。教育現場が結果に一喜一憂し、成績向上に躍起になることが予想されます。
かつての全国学力テストが中止になったのは、各地で先生の誤答指さしなどが横行したからです。東京都足立区の独自テストでも同様の不正行為が発覚しました。これでは学力向上どころか本末転倒になってしまいます。(以下略)
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学校選択制は「子どもは地域で育てる」という流れに逆行しているという意見は前からあった。特別な事情のある場合は別にして、やはり学区はあるべきで、小学校の通学団、子供会などの縦社会で培われる社会性は、生きる力の大きな構成要素である。
この社説で気になるのは、「ランキングと化した成績は選択制に影響を及ぼし、やがては学校統廃合のものさしとして使われる」という部分である。
学力調査を2回経験して個人的に感じるところがある。
@ 平均点は、子どもの集団が変われば大きく変わる。平均点を学校のランク付けにするのは無意味である。
A 学校の力があるとしても、職員は管理職も含めて入れ替わりが激しい。成績は流動的なもので、学校の統廃合の要因にするのは無意味である。
B 特にA問題は平均点が高く、例えば外国籍等で日本語がわからない生徒がいると大きく平均を下げてしまう。それは仕方がないことで、そういった事情も考えないで平均点が一人歩きするのはたいへん危険である。
私は、全国平均、都道府県など、母数の大きな平均はともかく、学校単位のような「平均点」は不要だと考える。そうではなく、問題ごとの平均正答率を大切に考えてもらいたい。問題ごとの全国との比較は参考になった。また、学習状況調査の全国との比較は、学校や学年集団の特長を見いだすのに大きな資料になった。
せっかくの調査である。正しく活用しないと、決して長続きはしない。
(2)学力テストの成績公表「知事に権限あるのか」−文科相が批判
平成20年10月27日 教育ニュースより
秋田県の寺田典城知事による全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の市町村別成績公表について、塩谷立文部科学相は二十六日の閣議後記者会見で「情報公開請求を受けてでもなく、全く独自に発表されたが、知事にそういう権限があるのか」と批判した。
塩谷文科相は、同県の全市町村教委が成績公表に反対だったと強調。「テストに参加しない市町村が出てきて、全数調査ができなくなると問題だ」との懸念を示した。(以下略)
学力テストの成績公表 「なぜ、だめなのか」
秋田知事が反論
秋田県の寺田典城知事は二十六日の記者会見で、塩谷立文部科学相が全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の市町村別成績を公表した知事の対応を批判したことに対し、「なぜ県は公開されて市町村はだめなのか。公開によって公教育の向上に資する」と反論した。(以下略)
☆★☆★ コメント ☆★☆★
前のコメントと同様である。そもそも首長が学力テストに口を挟むことこそが問題である。そこをマスコミは問題にすべきではないか。軍事でシビリアンコントロールが守られている。そこまでとは言わないが、政治が教育に介入するのはできるだけさけたいものだ。
(3)授業で英語自在な高校教師は約1割 2008年12月29日
今月発表された高校の学習指導要領改定案で、英語の改定案が注目を集めた。従来の文法、日本語訳中心の指導法から会話に力を入れる指導に転換、基本的に英語で授業を行う方針を打ち出した。教える単語数も現行の1300語から1800語となり、同じく増えた中学と合わせ中・高で800語増となった。
この改定案に対して、学校現場には期待の半面、戸惑いの声も少なくない。新しい指導法を取り入れていく負担、そして教師自身の英会話力に差があり英語による授業がどこまでできるのかという不安があるためだ。
文部科学省が平成15年に策定した「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」では、ほぼ全ての英語教師が英語で授業を行うことができる英語力と授業力を備えることを目標に定め、教員研修などを進めてきた。
ただ、同省が昨年12月に実施した「英語教育改善実施状況調査」によると、高校の授業で英語を用いることが「ほとんどない」「半分以下」という教師が合わせて9割に上っている。(以下略)
☆★☆★ コメント ☆★☆★
小学校の英語教育に象徴されるが、教育内容の変更で、現場は大きな影響を受ける。小学校教員養成課程で、英語教育は受けていない。学生時代もリーダーならともかく、英会話の学習は短時間しかやっていない。小学校教員に英語教育はそもそも無理がある。教員養成のシステムを変えても、現場に反映するのは何十年もかかることを肝に銘じなくてはならない。
『英語が使える日本人』の育成のための行動計画