(1)【教育記事から教育を考える】2009年1月30日(金)作者:中土井鉄信 VOL.319
こんなことまでして、学力向上をする意味は何なのか?
【記事】学校公認、DSの時間 学力アップに大阪の小中20校で
朝日新聞(2009年1/26)より以下抜粋
○ 大阪府教育委員会が学力向上のために企画した携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」を使った学習が26日、大阪狭山市の市立南第三小学校で始まった。府教委は府内の公立小中計20校に40台ずつ貸し出している。「都道府県単位で携帯ゲーム機を学習に採り入れるのは初めて」という。
○ 同校ではこの日、1時間目が始まる午前8時45分までの15分間、5年1組の35人が黙々と専用のペンで画面に漢字や読みを書き込んでいた。
○ 同校では今年度から、漢字に関心を持たせようと、3年生以上を対象に、学校独自の漢字検定に取り組んでいる。山中雅典校長は、DS活用も意欲づくりの一環ととらえ、「試してみて効果がなかったらやめればいい」と話す。
○ 府教委は今回、800台を購入。希望のあった学校の中から小中10校ずつをモデル校に定め、2年間の期限付きで貸し出した。DSの使用前と後の2回、独自の小テストで効果を測ることにしている。(小河雅臣)
*私からのコメント
◇ DSは、子ども達にとって非常に人気の高いゲーム機器だが、子ども達の生活習慣に大きく影響するゲームを学校で導入し、漢字学習のツールとすることに、どうも私は違和感を感じる。
◇ 小さい内からゲームに慣れさせて、大人になるまで、いや大人になってからもゲーム依存体質にしてしまおうとするような試みにもろ手を挙げて賛成することは出来ない。
◇ 古い話だが、給食が、日本食文化を子どもから奪ったように、楽しみながら学習するだけのDSを導入することで、子ども達から何かが奪われるにように思うのだ。
◇ 学習は楽しいことだけではない。苦しいことだってある。嫌なことだって学んでみてはじめて、好きになったりする。私が思うに、「学ぶこと」のプロセスには、自分と対決する様式が含まれる。
◇ しかし、この時代は、「学ぶこと」を学ぶよりも、学んだ後の結果としての学力だけをことさらに重要視しているらしい。だから、簡単に楽しみながら覚えられるようなDSが、重宝するのだろうが、そんなことで学ぶ体験が、完結するはずはないし、させてはいけないのだ。
◇ 漢字の学習に興味や関心を引き出したら、自分の身体を使って、読み書きをしっかりしてほしいし、読書を通じて、漢字の意味を文脈から理解してほしい。DS学習は、いわば事前学習で、楽しさがつかめてきたら、事後学習として、紙に書いて覚え、文章を読んで文脈を理解し、意味を汲み取れる学習をしてほしい。そうであれば、DS導入もある程度は意味があるとは思う。
◇ 子ども達に必要なのは、学んだ結果としての学力だけではない。「学ぶこと」を通して、自分と対決し、「学ぶこと」は自分を知ることだと教えることが、必要なことなのだ。安易に何でも手に入るということを教育の世界で実感させるべきではない。DS導入が、子ども達から苦労という経験を奪ってしまうものならば、そんなものは、導入しない方がよいのだ。
☆★☆ コメント ☆★☆
かなり同感である。私もDSで漢検や歴検をやるが、暇つぶしにはおもしろい。しかし、学習効果は低い。次の画面に行くと消えてしまうし、戻れないからである。そこで、間違えたもの、知らなかったものをメモしながら解くことになる。結局、書かなければ頭に入らないのである。
さて、DSを学校でやる意義はあるか?休み時間ならあってもよいかもしれない。しかし、教育課程内なら疑問だ。その理由は、学習効率、教師の役割、そして中土井さんのいう精神論である。
(2)よみうり教育メール 発行日:2009.02.02(vol.2107) 発行者:読売新聞社
《あなたなら、この相談に何と答えますか?》
高校2年の息子が2学期から保健室登校になり、午前中には帰宅して、ゲームをする生活になりました。3学期になって、学校にも行かなくなっています。内向的な反面、家の中では物に当たって壊すことも頻繁でした。「学校へいきなさい」と言うと、ドアや壁をけるので話ができません。
中学校では無欠席でした。やっと入れた公立高校なので卒業させたい。母子家庭で授業料の免除を受けています。経済的にも厳しく、1日も早く就職してほしいのです。留年、中退しかないのでしょうか。 ────福島・会社員女性、40代
《 よくある話です。まず、自分ならどう答えるか考えてみましょう。その後で尾木先生の回答を読んでみましょう。 》
【回答】教育評論家、法政大教授 尾木 直樹
これは大変。お母さんの気持ちを考えるとこちらまでつらくなってきます。女手一つでここまで頑張ってきたのに、あと一息というところで希望を断たれるような不安でいっぱいだと思います。
ただ、お母さんの「何とか学校にだけは行ってほしい」という強いこだわりを少し見直さないと、今後の見通しが立たないような気もします。これ以上無理強いをすると、家庭内暴力がますますエスカレートする心配さえあります。お母さんの考えや気持ちはまったく「正論」なのですが、発想の大転換をしてはいかがでしょうか。
つまり、勇気を奮って、息子さんの気持ちになってみるのです。
暴力行為は、気持ちをわかってくれない寂しさとイラ立ちの表現でもあり、「助けて」という叫びなのです。息子さんの気持ちになってみると、行くべき高校にも行けない自分がどんなに情けないことでしょう。中学まで無欠席で元気だっただけに、不登校になった今、よけい落ち込んでいることでしょう。
高校中退になったら、その後の人生はどうなってしまうのか。不安ばかり募っているはずです。必死になって自分を育ててくれた母親を苦しめていることで、ひどい自己嫌悪にも陥っていることでしょう。
こうして、お母さんが息子さんの現状をありのまま率直にまず受け止めてみることが解決への第一歩のように思います。息子さんの心の疼(うず)きがお母さんに響いた時に、息子さんは初めて自分の理解者を得た安心感に満たされるのではないでしょうか。荒れた気持ちもなごみ、心のうちをポツリポツリと吐露し、暴力もふるわなくなるはずです。
高校卒業という形だけに縛られるのではなく、まず息子さんのつらさを受け止め、味方になり切ることが今一番大切な課題のように思います。
《 どうでしたか?こうした訓練は教師力アップのために有効です。》